浪士組と消えた仲間
お孝が試衛館から去って、数ヶ月の時が流れた。お孝とは、たまに文の交換をする様になった。
祝言を挙げた男性と仲良く暮らしている様子でホッとしている。
試衛館の方は、相変わらずで、皆、元気に暮らしていると返事を書いた。
その日の夜、吉原でいつもの様に働いていた千夜。
「今日は、幕府の役人が吉原に来とる。」
そう、女将に言われていた。なんとしても、その座敷に上がりたい。いつも以上に座敷を行ったり来たりして居た千夜。
そして、私は、その幕府の役人の座敷に上がることが出来た————。
酒を飲みながら、君菊の肩を抱く男。
震える身体に気が付かれない様にしながら、お酌をしていく。
なんとしても、情報が欲しかった。皆の夢を現実にする為に。
酒も程よくまわってきた頃、役人が気になることを話し始めたのだ。
「————ろうしぐみ?」
「ああ。浪士組ってのを考えて居るんだ。」
「それは————」
役人の腕から離れ、その話しを詳しくきき出したかった。しかし、グイッと顎を持ち上げられ、それ以上何も言えなくなる。
何故なら、目の前の男が獣にしか見えなくなってしまったからだ。
「……ほぉ。噂に名高い君菊が、浪士組に興味があるか?」
興味があるに決まっている。幕府が集めるとなれば、武士になれるかもしれないのだから。
「……。へぇ。興味ありんす。」
酒の匂い。顎を持ち上げてる手。ニタニタ笑う幕府の役人。
————怖い。
「知りたいか?」
目の前の男が何を考えてるか、すぐに分かった。でも、私の答えはこれしかない。
「知りたい。」
「タダでって訳にもな…」
身体に向けられた視線。肌を売れと、そう、言われてるみたいだった。
掴まれていた顎から男の手が離れた。
逃げるなら、今……。でも逃げたら、浪士組の情報は貰えない。
「君菊は、肌を売らないらしいな?
こっから先は、お前次第だ。どうする?それでも知りたいか?」
ハッキリ言わない幕府の役人
『ちぃ、俺は武士になりてぇんだ。』
よっちゃん…
『武士かぁ。なってみたいなぁ。』
近藤さん…
『やだなぁ。近藤さんならなれますよ。』
総ちゃん…
『吉原に行くのは構わねぇ。ただし、肌だけは、売るんじゃねぇ。』
ごめんなさい。私は、約束を破る……
「教えてください。
私の、夢の為に————。」
役人の手が、千夜へと伸びる。赤い布団に横たえられ、身体を這いずり回る男のゴツゴツした手に、赤い舌。
触れられる場所は、不快な感覚しか覚えない。それでも、演じなければいけないと、甘い声を上げる。この役人が満足すれば、情報を得られるのだ。
何度も何度も、「君菊」と呼ばれ、身体を求められる。その吐き気がする様な行為は、男の欲望を吐き出され、ようやく終わりを迎えた。
紙と金が置かれ、幕府の役人は、部屋から出て行った。
手に入った情報
それと共に、虚しさだけが取り残された————。
仕事が終わり、ふらふらと吉原を歩く。
帰らなきゃ……。早く伝えなきゃ……。
見覚えのある彼の姿に足を止めた。
「……総ちゃん……?」
「どうしたの?」
彼女の手は震えていた。
それだけでは無い。震えた手で着物を着付けたからか、着乱れた着物に、髪は結われて居ない。こんな千夜を見るのは、初めてだった。
「————ちょっと、こっち来て!」
強い口調に身体がビクッと反応してしまう。
揚屋の一室を借り、沖田と2人になった千夜は、視線を彷徨わせる。
「————肌を売ったの?」
「……」
「ちぃちゃん?」
ポロポロと涙を流した彼女。
気の所為だと言って欲しかった。なんかの間違いだと、そう、言って欲しかった————。
しかし、彼女から返ってきた言葉は、全く違う言葉だった。
「……ごめん、なさい。」
どうして?そんな事すぐに分かった。彼女は、僕たちの為に肌を売った。
怖がるかもしれない。突き飛ばされるかも知れない。でも、目の前の震える彼女を僕は、抱きしめてあげる事しか出来ない。
「……汚れちゃう……」
か細い声で、彼女はそう言った。
「汚れないよ。」
「私は、汚い……。だから————」
「汚くないっ!ちぃちゃんは、汚くないよ。
ごめん。ごめんね。怖かったね。」
彼女は、声を出して泣き始めた。
初めて、彼女が声を上げて僕の胸で泣いた。
そして、
翌日、ちぃちゃんは、みんなを集めた。
「ちぃ、何だ?話って……」
皆が千夜を一斉に見た。
昨日あんな事があったばかりなのに、彼女は、僕を見て声を出さず口を動かした。
————大丈夫だから…。
って、笑った。
そして、皆を見て千夜は、ようやく声を出した。
「情報が手に入ったの。」
「本当かよっ!」
「どんな、情報なんだ?」
興奮したみんなは、前のめりに目を輝かせた。
情報、それは、武士になる為の情報だと皆が知っているから————。
「みんなに話すけどね、条件があるの。」
「……条件?」
「そう。私も、連れて行って欲しい。」
「……ちぃ…」
「私は、みんなと一緒に居たいの。女だから
ダメだって言われるのは、わかってる。
女だから、武士になるのは無理って知ってる。
お願いします。私を置いていかないで下さい…」
ちぃは、俺たちに頭を下げた。
俺たちは、情報と引き換えに、ちぃの同行を許可した。
それが、千夜にさらなる悲しみを味合わせるとは、この時は、誰も知らなかった————。
年明け、文久3年2月4日。
浪士組に参加を希望する者たちが、江戸小石川の伝通院に集められた。
その数230人。
予定より多い浪士の数に、浪士取扱であった、お偉方が引責辞任してしまい、鵜殿 鳩翁が後任につくという一幕もあった。その日は、一旦お開きとなり、
翌5日
早くも上洛にあたっての隊編成が発表された。
「ちぃちゃん、本当にいいの?」
「何が?」
「何がって、名簿に名前載ってないから。」
編成の発表には、千夜の名前はどこにも無い。
「いいんだよ。私は、————観察方としてみんなについて行くんだから。」
そう言って千夜は、笑った。
その日の夜。千夜は、山崎の家へと報告に来て居た。一緒に行こうと伝える為に————。
「……なんで?どうして、烝は一緒に行けないの?」
「……堪忍。」
彼は、ただ、そう言うだけで、理由は教えてくれない。
「ずっと、一緒だったじゃんっ!」
「……ちぃ……ホンマ、堪忍。」
俺だって、ちぃと一緒に行きたい。でも、それは出来ん。
スッと立ち上がって上を向く千夜。
「————っ!わかった。」
俺は知っとる。上を向くのは、泣くのを我慢しとる時だと————。
「……ちぃ。」
伸ばした手。だが、慰める言葉が思いつかない。手は、風を掴み、再びダラリと垂れる。
「烝、今まで守ってくれて、ありがとう。」
振り向いた千夜は、笑っていた。
でもね。と千夜は続ける。
「さよならは、してあげない。今度は、私が烝を守るから、だから、————必ず、生きて戻ってきて。」
『わかった。約束する。』
その言葉がどうしても、出てこない。
「ちぃ。」
抱き寄せる体は、出会った頃より大きくなって、身体つきさえ、変わった千夜。
ずっと守ると誓った。ずっと側にいると誓った
でも、それが出来なくなってしまう。
京に一緒に行きたいのに行けない……。
俺は、絶対見つかってはならない奴に見つかってしまった。幕府の刺客に————。
俺の罪状は、———徳川斉昭のご息女の誘拐。
俺がこのまま京に一緒に行ったら、ちぃは、連れ戻されてしまう。せやからな、俺は、囮になんねん。
お前を守りたいから、お前が大事やから…。
だから、約束はできへんねん。
抱きしめ返してくれる腕を離したくない。
「あったかいね。烝は、あったかい。」
「……ちぃ、生きろ。お前の信じた道で
————幸せになるんよ?」
なんで、烝は、泣いてるのだろうか?どうして…?
「……烝?」
「さ、もう、帰りぃ。」
家から追い出す様に、山崎は、千夜を外に出し、戸を閉めた。
「烝っ!?」
ドンドンと、叩かれる戸を背に、そのまま、泣き崩れる山崎。
「……ちぃ……」
スッと空いた、別の襖。
「もう、いいのか?」
「お前が刺客で、ちょっと助かったわ。斎藤さん。」
斎藤さん———。山崎の前に現れたのは、斎藤一だった。
「俺は、椿様の顔は知らん。仮に、千夜が椿様でも、本人に記憶がないんだ。あいつに手が伸びる事は無いだろう。」
「……なんや、慰めてくれるん?
斎藤さんこそ、よかったん?試衛館から出て……」
涙を拭いながら、山崎は立ち上がる。
「俺は、勤めを果たさねばならん。」
「その、勤めが、俺って事か……」
「……すまない。」
「ええよ。覚悟はしとった。もう、ずっと前から…」
「行くぞ。」
「……あぁ。」
その日から、山崎と斎藤の姿は、江戸から消えたのだった————。
翌日、山崎の様子が変であったのが気になり
千夜は、山崎と家に向かった。
ドンドン
「……烝?」
いつもは開いてる戸が開かない。千夜は、仕方なく屋根裏に忍び込み、家の中に入った。
「烝?あれ?どこ行っちゃったのかな?」
そして、机の上に文があるのを見つけた。宛名は、
「……私、に?」
千夜様と書かれていた文を千夜は、読み進めていった————。
拝啓 千夜様
なぁーんて書いてみたんやけど、やっぱ、書きなれんな。お前と過ごした日々
穏やかな時が、俺は、好きやった。京に行ける様になって良かったな。
一緒に行けんくて、堪忍な。
俺がおらんくても、みんなと仲ようして幸せになるんよ?お前の信じた道や。
ちゃんと、最後まで貫け。
…さようなら……ちぃ
山崎烝
「何で?さよならしないって言ったじゃん!何処行ったの?ねぇ!すすむっっ!」
声を荒げても、返事なんてない。
「……なんでや。」
山崎の真似をしても返事は、なかった。
「ヤダよ————すすむっっ!!
ずっと、側に居てくれるって言ったじゃん!今度は、私が守るって……クッ……」
溢れ出る涙。それをいつも拭ってくれた山崎は
————もう、居ない……。
居なくなって初めて、その人の存在の大きさを知った。
もし、よっちゃんが、近藤さんが、総ちゃんが
仲間が死んだら……。
そこまで考えて頭を振る。
起きてない事を考えるのは辞めよう。
「烝、どうか、無事でいて……」
他には、何も望まないから、どうか、無事で————。




