傷つけた彼女に救われた命
数日後
お孝は目を覚ました。
「…うっ。…私…?」
自らの喉を短刀で突き刺したお孝だったが、声は出た。
「目、覚めた?」
「……沖田、さん。」
お孝の布団の横に居たのは、沖田だった。
会いたいけど、会いたくない人物。まさか、彼がついていつくれてたなんて、考えなかった。
「 あのさ、どうしてこんな事したのか、大体わかってるつもりだよ。
だけどね、こんな事しても僕は、傷つかないし
君のことを好きにならない。」
掛けられた言葉は、冷たい言葉。
「……でも、死ななくてよかったと思っている。」
「……」
「ちぃちゃん、君が寝ている間、ずっと看病してたんだ。3日も寝ずに、君の為に————」
「……千夜が?」
なんで?
「ちぃちゃんは、あの日、君が嘘を吐いていたのも知ってた。でも、襲われたのは、自分が悪い。って、お孝は、何も悪くない。って、そう言ってたよ。」
「……」
「僕は許せない。 雨の中、ちぃちゃんは草むらに、捨てられるように…クッ
わかる?
君は、ちぃちゃんが男とすぐ寝る様な子だと思ってたみたいだけど、あの日が初めてだったんだよ。————意味、わかるよね?」
「……え?」
お孝は、その言葉に目を丸くして宗次郎を見た。
「僕らが見つけた時、ちぃちゃんは、赤く染め上がっていた。
殴られ、蹴られ、声すら出ないほどに喉を痛めて…。今も、男の人が怖いんだよ。」
「……」
「でも、彼女は、————吉原に行く。
なんでか、わかる?」
お孝に、その理由なんて分かるはずが無い。
「武士になる情報を得る為に、男の人が怖いのに、彼女は、
————僕らの夢の為に自らを犠牲にしてるんだよっ!」
沖田さんの夢を…?
「そんな子を汚いなんて、汚れてるなんてどうして言えるの?それを知っても、君は、また同じ事が言えるの?」
ふるふると寝ながらも、首を振り涙を流したお孝。
「……ごめん、なさい。」
「それを言うのは、僕じゃないよね?
僕の好きな子は、きっと、君を許すよ。
だから、
僕は君を————許さなきゃね。」
それは、自分を納得させる様な言葉であった。その後、宗次郎は、襖へと視線を向けてしまう。人影が見えて、襖がゆっくりと開かれる。そして、入ってきた人物は、お孝を見て、少し嬉しそうな表情を見せた。
「お孝?よかった。目覚めたんだね。」
やつれた千夜。目の下にはクマが出来ていて、
手に持つ桶の水が今にもこぼれてしまいそうな程に、彼女は、ふらふらであった。その姿に、お孝は、胸が熱くなるのを感じていた。
本当に、ずっと看病してくれてたんだ————。私を……。私なんかを………。
「……沖田、さん。土方さんを呼んでくれますか?」
「無理したらダメだよ。」
と、お孝の顔を覗き込む千夜。
「それは、千夜でしょ?ありがとう。助けてくれて…」
あのまま死んでたら、ずっと知らないままだった。貴女の事を誤解したままだった———
「お孝。当たり前でしょ?私は、貴女の友達だから。」
勝手にそう思ってるだけかもしれない。でも、ずっと試衛館で暮らしてたんだもん。だから私の中では、友達。
「ごめんね。千夜。」
「…うん。」
私は話すよ。誰が千夜を傷つけようとしたのか
あの人が、千夜をまた、狙うかもしれないから————。
そして、部屋に土方がやって来た。
「俺に話しってなんだ?」
眉間に皺を寄せた土方。機嫌は良くないのは、一目瞭然だった。
「よっちゃんまだ、お孝は、目が覚めたばっかりだから…」
「千夜、私が話したいの。」
「……でも…」
不安は、山積みである。機嫌が悪い土方。まだ目が覚めたばかりのお孝を2人きりにしていいものか、悩む千夜。
「ちぃ、お前は、外に行ってろ。」
これは、お孝が決めた事。私が口出しする事では無い————。
お孝の決意は固い様子で、千夜は、納得するしか無かった。
「……わかった。」
「宗次郎、ちぃを頼む。」
「わかりました。」
部屋から出る直前、千夜の身体がフラッと崩れてしまう。3日間も寝ずに看病したのだ。体調が良くないのは、千夜も同じであった。
「ちぃちゃんっ!」
その身体を支える宗次郎。
「ごめん、大丈夫。」
「少し休め。お前は、ずっと看病していたんだから。」
「うん。そうする。ありがとう、よっちゃん。」
宗次郎に支えられ、千夜は、部屋を出て行った。そして、お孝と土方の2人が部屋に残された。
お孝は、土方の目を見ながら口を開く。
「————これから話す事は、嘘、偽りは述べない。全て、お話しします。
千夜を傷付けようとしているのは、私だけでは無い。実は、————」
その後に続いたお孝の言葉に土方は、目を見開いた。
お孝は、その後、どうして千夜が邪魔だったか
土方に話した。
そして、それが全て、ある人物の思惑のまま行われていると————。
「それは、事実なんだな?」
「はい。」
「わかった。よく、話してくれた。」
立ち上がった土方に、お孝は、俯いたまま一言呟いた。
「あなたも、私を責め無いんですね。」
「ああ。あいつは、お前を許せと言った。
同じ試衛館で暮らした————仲間なんだから…ってな。」
そう言い残し、土方は、部屋を出て行った。
「……仲間……っ。」
その後、その部屋からは、すすり泣く声が聞こえた。
土方は、部屋に戻り、文をしたためる。そして、それを飛脚に渡した。
「やっぱり、あいつが関わっていたとはな。」
————
———
そして、翌朝、土方が向かった先は、戸塚村。
戸塚村には、三味線屋がある。そこへと足を向けたのだ。
土方の前に居た女は、不機嫌そうに彼を見る。
「————で?私に用事ってなんですか?
文まで寄越して。まぁ、祝言の話なら、嬉しいんですけど。」
と、さっきの不機嫌な顔は何処へやら。まるで、獲物を見つけた女狐の様に土方に身体を擦り付ける。
この女は、土方の許嫁の、お琴だ。
「————テメェと祝言なんてあげねぇよ。」
いつもより、冷たい土方の態度に、周りを見渡すお琴。ここは、店の中。客だって居るのに恥をかかされたらたまらない。
「場所かえましょうか。」
そう、女は言い、土方は仕方なく場所を移動した。
河原を歩く男女。ハタから見たら、お似合いの恋仲か、夫婦にしか見えないだろう。しかし、互いの腹の中は、黒いものが渦巻いて居た。
「————お前だったんだな。千夜を傷つけてたのは……。」
「……な、なに言ってるんです?」
明らかに動揺した女に、土方の眉間のシワは、深さを増した。
「お前の言う通り、お前自身は、直接、千夜には何もしてない。
裏で、千夜が恨みを買うように動いていたのは、お前だろう?なぁ、お琴————」
「————っ!さっきから、何、訳の分からん事言ってるんです?
両親が、最近土方さんが毎日会いに来てくれるから、祝言はまだか?って聞いてくるんです。」
と、しおらしく言い放つお琴に、土方は、いつもと変わらぬ声色のまま女に問うた。
「俺がお前に惚れたから、毎日会いに来てると思ってたのか?」
「それしか、考えられないでしょ?」
真面目に答える女に、土方は、笑い声を上げた。
「ククク……。めでてぇ奴だな、お前。
言っておく。
俺は、初めからお前なんか眼中にない
兄に勧められて仕方なく、お前を許嫁にした。
そして、最近お前に会いに来てたのは、————お前を疑っていたからだ。」
「……疑う?何を疑うんです?」
「しらばっくれるか……?
もっと早く、お前を断ち切っておくべきだった。そうすれば、ちぃは、傷つかずに済んだんだ。」
「……また、千夜。」
「当たり前だ。俺が大事なのは、ちぃだ。
もちろん、他にも大事なもんはあるけどな。
あいつが、俺に惚れなくとも、俺は、あいつから離れるつもりはねぇ。
————共に生きると、誓った女は、あいつだけだ。」
「……何それ。そんなのが幸せな筈————
「俺の幸せを、なんで、テメェが決めんだよっ!」
「……」
「武士になりたい。そう言ったらお前は笑った。ちぃは、何つったと思う?」
そんなの、お琴が知る筈がない。
『……じゃあ、私も————強くならなきゃね。みんなが大好きだから、ずっと一緒に居たいから。ねぇ、よっちゃん。』
「笑って、あいつはそう言った。
男に襲われた時も、弱かった自分が悪いんだっつって、無理して笑った。
武士になる為の情報を手に入れる為に吉原で働き、男が怖いのに、俺たちの為にあいつは、ずっと、強くなろうとしてんだ!」
「……それが、なんだって言うんです?
千夜が口から出まかせ言ってるんじゃありません? 」
「————っ!!金輪際、俺とちぃに近づくな。ハナっからテメェに、わかってもらおうとなんてしてねぇよ。
俺が言いたかったのは、それだけだ。」
土方が、お琴に背を向け、遠ざかって行く————。
お琴は、手を伸ばす事も出来ずに、そこに佇むだけで、溢れ出てくる感情が何なのかさえ、わからない。
「————なんで?なんで、千夜なの!
私は、ただ、歳三さんが好きなだけなのにっ!!」
土方は、振り返ってもくれず、そのまま、見えなくなってしまった。
「歳三さん?なんで————?」
「そりゃ、あんさん。綺麗な女と、醜い女は、
天と地も差があるからなぁ。あんさんは、わからんやろ?
女は、外見ばっか綺麗でもダメなんよ。
————心が綺麗やなきゃ。」
突然声がして、お琴は、振り返る。
そこには、見知らぬ綺麗な女の人が1人立って居た。
「誰?あなた。」
「残念やなぁ。あんさんに、名乗る名前なんないんよ。だって————」
グサッ
「あんさんは、此処で、死ぬんやから。」
何を言っているのか、わからなかった。しかし、次の瞬間、自分の身体に走る痛みにお琴は、その場に倒れた。
痛みを感じる場所は、首だ。触ってみれば、ベトリと手に赤がついた。
自分が狙われた意味は、全くわからない。
「……どう、して……」
だからか、そう口にして居た。
「許せんねん。あの子を傷つけたあんたが…。
自分の手は汚さん。汚いやり方。
同じ女として、どうしても、————許せへんねん。」
敵意をむき出した女の視線。彼女の言う”あの子”に、血の気が引いて行く。
あの子を襲わせた試衛館の門人達は、殺された。
「……痛……誰か、助け…」
「誰もこん。知っとる?こんな場所で、あの子は、叫び続けたんよ?
でも、誰も助けてくれへんかった。」
辺りをみれば、背の高い草が生い茂っていた。
『助けて!よっちゃんっ!!』
あの時、あの子の声は、聞こえていた————。
背の高い草に隠れ、あの子を嘲笑っていたのは、他の誰でもない。——私自身。
————俺は、武士になりてぇんだ。
笑うよ。笑うでしょ?普通。だって、農民は、農民にしかなれないんだもの。それが、普通なんだもの。
でもね。好きだったの。そんな”普通”に囚われない歳三さんが……。
だから、取られたくなかった———。誰にも………。
「————とし…」
お琴の腕は、土方の言った方向へと、ほんの少し伸ばされた後、彼女の瞳が閉じられた。
彼女の、瞳が再び開かれる事は、もう無い。
「知っとる?悪い事をしたら、必ず自分に返ってくるんやて。必ず————。」
女の屍に、語りかける女将の姿。
「————お前。」
その声に、女将は、横目でチラッとだけ山崎を見て、わざとらしく声を上げた。
「なんや、山崎はんおったん?気ぃつかへんかったわ。」
そんな筈ない……。気がつかないなんて事、ある筈がない。
俺から見ても、優秀なこの女が気配も消さなかった自分が近づいて来ていた事など、分かっただろうに。
同業者だからわかる。
こいつは、強い————。
「お前が、やらへんかったら、俺がやっとったわ。」
「なにゆうとんの?私は、許せへんかっただけや。あんたの手、汚す必要ないやろ。」
こいつは、俺の手を汚さん様にしてくれた。
「何、笑っとるん?気持ち悪いわー。サッサと帰りぃ。」
そう言って、まるで犬の様に追い払おうとする女将に、山崎は、笑った。
「ああ。俺、お前、嫌いじゃないわ。」
「————だったら、ウチ買います?」
突然の申し出に、山崎は、一瞬だけ固まった。
「…………。やっぱ、嫌いやわ。」
「何でや!」
「意味が違うわ!何で、お前を買わなあかんねん!」
お琴の死は、千夜に知らされる事は、無かった————。
そして、数週間後、お孝は、近藤さんが決めた男性の元に嫁ぐ事が決まった。
「千夜、本当に「幸せになってね。」
お孝の声を遮る千夜。そんな彼女を見てお孝は笑った。
「うん。ありがとう。」
「……あ、そうだ。お孝、コレ…」
「私に?」
小さな木箱をゆっくり開けてみると、そこには、綺麗な簪が木箱に収まっていた。
「……これ…鼈甲じゃ……。こんな高価なもん、貰えない。」
開けた箱をそのまま、千夜に返そうとするお孝だったのだが、
「これはね、みんなで選んだの。試衛館を出て行く、お孝の為に、ほら、安物だとすぐ、ダメになっちゃうでしょ?
だからね、ずっと、お孝の側に置いておける様に。————受け取って?」
その言葉に、お孝は、返すのを忘れ、その鼈甲の簪に視線を向けていた。
「……私の、為に……?皆さん、ありがとうございます。」
ペコッと頭を下げたお孝
「————幸せに、なんなよ。」
明後日の方角を見ながら、お孝に言ったのは、宗次郎だ。
「沖田さん……。」
私の初恋の彼。でも、彼が見てるのは、
————私じゃない。
「なんで、不貞腐れてるの?」
「不貞腐れてないよ。何で、頬つねってのばすの?」
「面白いから。」
「————っ!!ちぃちゃんっ!」
彼が見てるのは、
————私が傷つけてしまった女の子。
「皆さんの夢が叶う様に、遠くから祈っています。どうか、御武運を。」
私は、今日この試衛館を出て行く。何も償えないまま………。
「お孝、あなたは、ずっと私達の仲間だからね。」
嬉しい言葉を背に、私は、前を向いて生きて行く。貴女が助けてくれた命を大切にして————。




