山崎とお孝
文久2年、近藤さんとツネさんとの間に女の子が生まれ、名前を、たまと名付けた。
試衛館は、今までとは違い、赤子中心の生活へと変わっていった。
そして秋へと季節は変わる————。
ゴホゴホ。ゴホゴホ。ひどい咳をする千夜。
「また、喘息か……?」
「季節の変わり目は、特に酷いんだよね……ちぃちゃん。」
「土方さんは?」
「今日は、出稽古で留守だろうが。」
「ああ、そうだった。」
この日、土方、山南、井上、近藤は
他流試合の為、試衛館には居なかった。
ゴホゴホ。ゴホゴホ。苦しそうに咳き込む千夜予防薬なんて無い時代、ただ耐えるしかない。
「本当、辛そうだよな…」
「ちぃちゃん、おいで?」
何度か千夜の背を叩いた事のある宗次郎が千夜の前に来て、彼女の背を軽く叩き出す。
苦しそうな彼女を抱きしめる形になってしまうのは、仕方がない事。その場にいる皆は、それをよく理解していた。
はぁはぁと苦しくて宗次郎の着物を握りしめる千夜の表情は、辛そうであった。
なにしろ、息を吸っても肺に吸い込める量はごく僅かだ。
その様子を見て、お孝は、ギリっと奥歯を噛みしめる。
自分が宗次郎に想いを寄せてるのを知りながら
宗次郎に抱きつく千夜が許せなかった————。
しばらくして、「千夜ー。」フデが千夜を呼ぶ声が聞こえて来た。当然の事ながら、苦しそうにする千夜には、声が聞こえて居ようと、返事など出来ない。
「フデさん此処~」
涙目の千夜の変わりに、藤堂が返事をしてくれた。
フデが、部屋へ来て、千夜を見ると、驚いた表情をした。
「また、喘息の発作かい。ちょっと、待っといで。」
と、一旦その場を去り薬と水を手に戻ってきた。
「歳三が、千夜が発作を起こしたら飲ませてくれって置いていったんだよ。」
薬を渡され、水と共に流し込む。
「……ありがとう。フデさん…ゴホゴホ。」
「おとなしく寝てな。今日は、歳三も勇も遅くなるみたいだから、泊まっていけばいいよ。」
ニコッと笑って、千夜は、ありがとう。と言った。
フデさんが居なくなって、
「……やっぱり、
フデさんは千夜には甘いよな。」
「ああ。泊まっていけばいい。なんて、言う人じゃねぇからな。」
「俺だってメシおかわりするの、スゲェ勇気がいるもん。」
「……」
「……平助?それは、なんか違う気がするよ?」
その後、千夜は、布団を敷いてもらい、横になったのだった————。
そして、日も暮れた頃の事。
「……あ、あの、沖田さん。」
「ん?なに?お孝。」
夕餉が終わり、お孝が宗次郎を呼び止めた。
「あ、あの!後でお話があるんです!」
「……僕に?何?」
周りを見て、顔を赤らめるお孝。彼女の態度に、宗次郎は、小首を傾げた。
「あの…後で、道場に来てくれませんか?」
「……別にいいけど?」
と、返事をしてくれた宗次郎にお孝は、心を弾ませた。
そして、宗次郎がお風呂に入り、約束通り道場へと足を向けた。
道場に着けば、すでにお孝の姿があった。出来れば、手短かに済ましたかったのが本心だ。お風呂上がりに道場なんて、湯冷めしてしまう。早く布団に入りたいし、千夜の体調も気にかけていた。
「……で?話って?」
自分の心拍音が緊張感を高め、手をモジモジと動かすお孝。
「……あ、えっと…」
「話しないなら部屋に戻るけど?」
「今、話します。すいません。」
宗次郎を見つめたお孝は、来てくれた喜びに舞い上がっていた。
「あの、私、————沖田さんが好きなんです。あの、ずっと好きで、よかったら私と————」
「ごめん。君の気持ちには、応えられない。」
さっきの舞い上がった気分から、一気に落胆した表情になる、お孝
「……それは、他に好きな人が居るから、ですか?」
「好きな人は…居るよ。でも、その子にも自分の気持ちは、まだ、言うつもりは無い。」
「……どうしてですか?」
「僕は、まだ、修業中の身ですから。」
そう言って、宗次郎は、苦笑いした。
「沖田さんの好きな人って、千夜ですよね?」
「君に言う必要は、ないよね?」
冷ややかな宗次郎の声に、さっきまでうるさいぐらいだった心拍音も一気に静かになった。涙を流す、お孝
「————本当、ごめん。僕、行くね。」
その場から逃げ出したかった。
泣かせてしまったのは自分だけど、彼女を慰める事は出来ない。だから、足早に道場から出ようとしたのに、
「待ってください。」
自分の気持ちを話したからか、お孝の行動は、大胆なモノになる。
宗次郎の背後からお孝は抱きついた。
「ちょっ…」
「なんで、千夜なんですか!あの子より、私のが貴方の事が好きなのにっ!!あの子は、————汚れた子なのにっっ!!」
そう叫んだお孝。言ってしまった言葉に、ハッとして自分の口を手で塞ぐ。だが、すでにその言葉は宗次郎の耳に入ってしまっていて意味がない。
「————汚れた子?ちぃちゃんが?なんで、そんな事言うの?」
あの日、千夜が襲われた事を知るのは、土方、沖田、斎藤、藤堂、永倉、原田その6人だけの筈。近藤の式の最中だった試衛館。
フデさんには、女性だから土方さんが言ったかも知れないが、お孝にまで、あの人が話すとは限らない。
ずっと疑問だった。何故、あの日、ちぃちゃんが試衛館を出なければならなかったのか————。
前もって支度を欠かさないフデさんが何かを切らすなんて、おかしいと…。はじめくんが言っていた買い出し。
それは偶然ではなく、お孝が何かを企んでの事だったら……?
だとしたら………『ずっと好きだったんです。』
原因は、自分であったのでは無いか?
————あんな、人気のない場所で、犯されたちぃちゃん。
見つけた時の千夜を思い出し、宗次郎は、顔を片手で覆った。
「————嘘でしょ?」
バラバラのパズルが一つ一つ繋がっていく感覚
「君が、ちぃちゃんを————」
疑いの目を向ける宗次郎 。ふるふると首を横に振るお孝。
「……違う違うんです。私はっっ!」
「なにが、違うの?あの日、ちぃちゃんが買い出しに行ったのは、なんで?」
「それは、醤油がなくなったから……」
「……一升瓶の醤油が半分あったのに、買い出しっておかしく無い?
お祝いとはいえ、何にそんなに、醤油を使うのさ? 」
宗次郎の鋭い視線が痛くてたまらなかった。だから、その視線から逃れたくて、お孝は、口を開くのだ。自分が少しでも良く見られる様に
「頼まれただけです。私は……」
「頼まれた?」
「……」
答えようとしない、お孝
「誰に?」
「……」
ただ、困った様に俯くお孝に、宗次郎は、
「……もういい。」と、言葉を吐き捨てた。
「待ってっ!
……待ってください。沖田さん。」
お孝に腕をとられ、また、身体を停止させた宗次郎。苛立ちは、頂点に来ていた。
「触らないでよ。」
「……沖田さん。」
「触らないでよって言ってるの。聞こえない?」
おずおずと、掴んだ手を離すしかない。
「ちぃちゃんは、汚れてない。汚れてるのは、
————君の方だよ。」
その言葉に、膝から崩れるお孝。そのまま
宗次郎は、道場から出て行ってしまった…。
全てが終わった。全て————。
千夜の所為で————。
静かな夜
ギシ……ギシ……
軋む廊下の音。1人の女がある部屋へと向かっていた。
目的の部屋へと着けば、スッと襖を開け、布団に横たわる桜色の髪を確認した。
それに向けて短刀を振り上げる。
そのまま、その桜色の髪の持ち主に小刀を振り下ろした。
ザクッと音はした。だが、手ごたえはない。
「————可哀想な女やな。沖田さんに振られて、そんで、ちぃを傷つけんのか?」
そんな声が背後から聞こえた。
短刀を手に振り返ろうとするが、布団に押し倒されてしまう。
「————離せっ!んっ!」
口を手で覆われて、相手の顔を睨みつけた。
桜色の髪は、カツラだったのか空いた方の手で外した男。それは、山崎であった。
「声出されたら困るねん。俺は、お前が許せん。ちぃを傷付けたお前が…な。
ただ、殺すのは、面白ないやろ?
せやからな、ちぃと同じ痛みを味合わせたるわ。なぁ?————お孝」
ニヤリと笑う男は、見知らぬ男。その男が自分の名を呼んだ。誰もが恐怖を抱くであろう。お孝も例外では無かった。
————逃げなきゃ。
しかし、全てがもう遅い。布団に縫い付けられる様に上からかぶさった男を簡単にはどかす事など出来ない。
「————んっ!んん~。」
ジタバタと抵抗を試みる、お孝。だが、男の力に敵うわけがない。知らない男が自分の上に乗り口を押さえつける。お孝を襲うのは、恐怖である。
ジタバタすれば、着物の裾が捲り上がり、白い肌が露わになる。それを男は、撫で上げる。
————嫌だっ!
恐怖で涙が流れ落ちる。
「————なぁ?怖いやろ?ちぃは、もっと怖かったはずや。5人に犯されたんやからな。」
目を見開き、男を恐怖の目で見るお孝。
「あいつが感じた恐怖をしっかり、教えたるわ。快楽なんかやらん。感じるのは、痛みと恐怖だけでえぇ。」
「————っ!」
山崎が着物に手をかけた時だった。山崎の首には、冷たい感触。その感触に、山崎の動きは、停止した。
「————何考えてるの?サッサとどきな。」
「何で邪魔すんねん。————ちぃ。」
山崎が背後から首にクナイを突きつけた千夜の姿
「どう見ても、逢引には見えなくてね。邪魔させてもらった。ゴホゴホ。」
山崎は、お孝を離すしか無い。
ただ唖然として、お孝はその場から動けなかった。
お孝を離し、千夜を見下ろす山崎。
「……なんでや…?なんで、こんな女を庇い続ける?自分、傷付けられたんよ?わかっとる?ちぃ。」
「……わかってるよ。
でも、私は、今、止めなきゃ、ずっと、後悔するから。貴方の手を汚してしまったのは、————私だと…」
「ちぃは、なんも、悪い事しとらんやろ?」
「見て見ぬフリをしても、それは、悪いことじゃないの?
お孝を傷付けて私が喜ぶと思うの?」
山崎は、千夜の目を見る事が出来ない。
「ごめんなさい。貴方に人を殺させてしまった。」
「………。気付いとったんか。」
「うん。だから、もうこれ以上は————」
「ダメや。いくら、ちぃの頼みかて、それは聞かれへん。」
短刀を構え直す山崎、千夜もクナイを構えるが
ゴホゴホ、ゴホゴホ…
喘息特有の咳が邪魔をする。
「……す、すむ……」
息苦しさに胸を押さえる千夜。それを見ながらも、山崎が短刀を向けるのは、お孝ただ1人である。
「まっときぃ。すぐ、この女片付けて治療したるから。」
なんで、こんな時に喘息の発作が————。
……嫌だ……
烝に人殺しをさせたくない。あの時、私は諦めた。————また、諦めるの?
山崎は、今にもお孝に襲い掛かりそうな勢いだ。
イヤだ……。嫌だ……。
恐怖で布団から動けないお孝。
私に出来ること————。
シュッ
ザクッ
目を見開いた山崎、お孝も同じく目を見開いた。
パサッと桜色に髪が少量だが落ちた。
そして、お孝の前に立ちはだかる千夜の姿。
山崎の振り下ろした短刀は、千夜は頬を掠め、彼女の頬からは、赤が流れた。
どうして、頬に……?
山崎が狙ったのは、お孝の心臓だ。なのに、
短刀は千夜の頬を掠めた。
「————君菊。堪忍。間に合わへんかった。」
女性の声が部屋に響く。それは、山崎と同じ関西弁の……女性。
「……女将、さん?」
いつの間にか、山崎の腕を掴みあげている女将の姿が目に飛び込んで来た。
彼女がしゃがみ込んでいて、千夜の視線には入らなかった様だ。
「————なんでお前が…。」
「なんでて、そんなん、『同業者』ならわかるやろ?」
「……同…業…者?」
唖然とする山崎を他所に
「君菊~!せっかくの綺麗な顔が…。痛い?痛いよねぇ。」
すいません。話す間を下さい。
意味分からないし……
「————お孝は?」
「あぁ、あの子なら、眠ってもらったわ。」
振り返れば、お孝は、布団に倒れこんでいた。
この人、何者?揚屋の女将じゃないの?
ギシ…ギシ…
「ちぃ?今なんか物音しなかった?」
辺りを見渡したら、山崎と女将の姿はすでに部屋には無い。お孝も居ない。
部屋には、私だけ————。
切れた頬を髪で隠し、襖を開けた。部屋に来たのは藤堂だ。
「あぁ、ちぃ。物音がしたんだけど、大丈夫か?」
「う、うん。大丈夫。」
ゴホゴホ…ゴホゴホ…全く忘れていた。
喘息の発作を————。




