赤子と命の尊さ
翌日、いつも通り、試衛館に皆が集まった。集まった。と言っても、剣術の稽古をする為で、千夜の報告をする為では無かったのだが、稽古の休憩中に、自然と千夜の話しとなったのだった。
「君菊が、千夜っ! ?」
バシッ
「声がデケェッ! !」
頭を叩かれた永倉は、自分の頭をさすりながら、「すまねぇ。」と口を尖らせながら呟いた。
「…おいおい。本当かよ。昨日言ってた
芸妓の名前も同じなんだぜ?」
「ちぃが、芸妓?でも、何で?」
「強くなりてぇんだとよ。」
どこか、投げやりの土方に、皆が首を傾げる中、宗次郎だけは、短く息を吐き出し
「何で、そんなに、投げやりなんですか?」
「何でって、何で、テメェが知ってて、俺には言わねぇんだよ!」
「……そこに怒ってたんですか…」
脱力する宗次郎
「当たり前だろ!」
当たり前じゃないと思うけどね…。
「何度言ったらわかるんです?たまたま、吉原に行った時に、会ったからだって言ってるじゃないですか!土方さん、意外にシツコイですよ。」
ピキッと土方の青筋が立つ。宗次郎は、素知らぬ顔で、視線を違う方向へと向けた。
「でも、はじめくんに、つけられてたなんて……。僕も、まだまだですね……。」
「そこかよ!黙ってた事を反省しろよっ!」
「ずっと気づかない方が、僕は、不思議だと思いますよ。」
一緒に暮らしていたのに……。
コレには、土方も何も返す言葉が見つからなかった。
「————で?辞めさせるの?」
「いや。辞めねぇ。って、言い張っちまってる。はぁー。
誰に似たのか、頑固過ぎてこまる。」
その言葉に、皆が土方を見た。
「————確実に、土方さんに似たんですね。ちぃちゃん。」
皆、納得した様にうなづいたのだった。
*
一方、その頃、山崎の家にて……。
「あ゛ー。頭痛い……。女将の奴。ホンマ恨むでぇ……」
昨夜、女将に散々酒を飲まされた山崎は、布団に寝転んだまま、唸り声を上げていた。
「大丈夫?」
声が聞こえた方をむけば、そこには、千夜の姿。
「ちぃ?どないした?今日は、土方さんと
試衛館行かへんかったん?」
「……うん。昨日、よっちゃんにバレちゃって
なんか、行きづらいなって…」
頭をさすっている山崎に歩み寄り、心配そうに彼を見る千夜。
「今日は、もう少し寝てなよ。烝。」
ふぁーっと、欠伸をする千夜。
吉原で働いている千夜は、まだ寝ている時間帯
人に寝てなよ。と言う彼女も眠いのだろう。
「ふ!せやったら、一緒に寝るか?」
「そうだね。私も、眠いかも。」
戸惑う事もなく、山崎の横に寝転ぶ千夜に自然と笑顔になる。
「おやすみ。ちぃ。」
「うん。おやすみ、烝。」
山崎は、久しぶりに日が高くなる頃まで、千夜と一緒に寝たのだった————。
その翌日の事、千夜は、土方と試衛館へと足を向けて居た。土方と一緒に居るのは嬉しいが、気不味さばかりが先に立つ。
パリーンッ!陶器が割れる音がして、
「あんたは!またっ!」
フデさんの怒鳴り声が試衛館に響いた。
「…すいません。」
と、お孝の謝る声が聞こえた。
「あー。また茶碗割ったんだ…。」
「お孝も、そそっかしいんだよな。」
原田と永倉が順に口を開いた。
「…俺は、あいつは好かん。」
斎藤の声に皆が彼を見る。
「珍しいね。はじめくんが好き嫌いするなんてさ?」
「だよなぁー。お孝、大人しいのに……。」
あいつは————。
『邪魔なのよ。千夜が……』
その後、千夜は襲われた。
雨の中、まるでゴミの様に放置された千夜。
白い肌に殴られたアザや男達につけられた赤い華……。
思い出すだけでも、顔が歪む程に、酷い有り様であった。
あんな事をしてもなお、あいつは、千夜には辛く当たる。
そんな姿を何度も目撃してしまった斎藤は、お孝にいい印象など持てなくなっていた。
「————はじめくん?」
「なんだ?」
「どうしたの?ボーっとしちゃって?」
「……いや、何でもない。」
女とは、好いた男の為にあんなにも人を傷つけられるのか…?いや、自分の為か————。
割れた茶碗に手を伸ばしたお孝。
「————…っ!」
尖った場所で指を切ってしまい、流れ出る赤は、地にポタリ。ポタリとシミを作る。指から流れる赤を見て思い出す。
『千夜、あんた手を切るんじゃないよ!』
千夜が茶碗を割ったらフデさんは、そう言った。
『ちぃ、大丈夫か?ほら、見せてみろ。』
土方さんも
『大丈夫?ちぃちゃん。』
沖田さんも…。みんな、千夜には優しい。私には、誰も声なんてかけてはくれない。
「————お孝?どうしたの?」
千夜の声がして、サッと切れた手を隠すお孝。
「……なんでもない。なんか、用事?」
千夜は、今来た所らしい。手にはいつもの団子があるのが、その証拠だ。どうせ、いつもの様に、皆のお茶を淹れに来たのだろう。
千夜は、地に落ちた赤と割れた茶碗を視界に映し、お孝に視線を向けた。
「手切ったの?手当てしなきゃっ!」
お孝の手を治療しようと千夜は、彼女に手を伸ばす。
ドンッ!
お孝は、伸ばされた千夜の手を振り払った。その衝撃に、千夜はその場に倒れ込んでしまう。まさか、手を振り払っただけで、千夜の身体が傾くなんて事は、考えなかった。
「————っ!痛…。」
割れた茶碗の欠片の上に倒れ込んだらしく、千夜の腕に破片が刺さってしまった。ポタポタと赤が流れ落ちるソレは、自分の指の傷なんかより大きく、流れ落ちる赤は、千夜の腕すら染め上げた。
「……私…。————私は、悪くないっ!」
勝手場から飛び出す様にお孝は走り去ってしまった。千夜は、自分の腕を止血し、腕についた赤を拭い去った。そして、割れた茶碗を片付けはじめた時だった。
「千夜?どうした?」
勝手場にうずくまる千夜に斎藤が声をかけたのだ。
ビクッと小さく飛び跳ねた千夜は、何事も無買ったかの様に、片付けを再開した。
「……ん?なんでもないよ?」
明らかに可笑しいと斎藤は思い、千夜に近づいた。
「はじめ?お茶が欲しいの?」
斎藤は、その問いには答えずに、グイッと千夜の腕を引いた。その反動で千夜は立ち上がってしまう。
斎藤の視界に入ったのは、千夜の腕に巻かれた赤く染まった手拭いだ。
「————お孝がやったのか?」
「違うよ。私が転んじゃっただけだって…」
「だったらなんでお孝は、逃げ出した?」
そんな事、千夜にだってわからない。
「……。ビックリしちゃったんじゃないかな?」
「千夜っ! !」
斎藤が声を荒げるのを初めて聞いた。千夜は、驚きながらも、口を開いた。
「……本当に、私が転んだだけだから。」
何故、あの女を庇う?どうして————?
「あの女に弱味でも握られてるのか?」
「……?え?」
意味が全くわからない質問に、千夜は、斎藤に、キョトンっとした顔を向けた。
あの女は、お孝だとしても、弱味って何?
「まぁ、いい。腕を治療せねば…。随分、深く切ったな……」
傷口を見ながら斎藤は口を開いた。
「え、あ…うん。なんか、ごめんね。」
「別に、このぐらい、気にするな。」
チラッと天井を見る千夜。斎藤は、その姿を気にしながらも、治療道具を取りに行く為に、仕方なくその場から離れた。
「————あの女、許さへん…。」
天井から、一部始終を見ていた山崎は、そう、呟いたのだった。
斎藤が治療の為の道具を手に持ち、帰ってくるのは、そんなに時間はかからなかった。
ぎゅっと、晒しを締められ、顔を歪める千夜。
「痛いか?」
「大丈夫だよ。ありがとう。はじめ。」
そう言って彼女は笑う。
「少し深く切っているから、治るのにかなり、かかるな…。」
「……剣術は、やったらダメなの?」
「やめといた方がいい。傷口が開くやもやしれん。」
剣術が出来ない。それを聞いて千夜は、表情を曇らせた。
「……そっか。……仕方ないよね……」
そして、心配をかけない様に、笑顔を貼り付ける。
「うん、わかった。」
ポンっと、斎藤の手が千夜の頭を撫でる。
「……えっと?はじめ、どうしたの?」
何故か、手が勝手に動いた。同情か?と聞かれたら、そうかも知れない。
「いや、なんとなく、頭を撫でたくなっただけだ。」
小首を傾げた千夜を見て、クスリと小さな笑みがもれた。
「嫌か?」
「嫌じゃないよ。」
ただ、子供扱いされている気分ではあるが…
斎藤がこんな事をするのは珍しい。
剣術を教える時は、厳しいし、あまり、感情を表には出さない斎藤が少し口角を上げたまま、自分の頭を撫でる。
千夜は、ただ、おとなしく頭を撫でられ続けるしかなかった。
「何してんだ?お前ら…」
突然の思いがけない声に、ビクッと反応してしまったのは、千夜だけでは無かった。悪い事は何もして無いのに……。
「ちょっと、ドジして腕を切っちゃって、治療して貰ってたの。」
と、腕の晒しを見せる千夜
「本当に、ドジしただけか?」
「うん、そうだよ?よっちゃんに嘘吐いても仕方無いでしょ?」
「……なら、いいが、外に行く時は、声をかけろ。異国人を斬り殺す奴も出ているし……。」
この頃、世の中は尊王攘夷をかかげる人が増加
尊王つまり天皇を尊び、攘夷は、異国、外国から日本を守ると言えば聞こえはいいが、中には異国人を殺してしまう者もいた…
千夜の髪も目も日本人には居ない色
土方は、千夜にも危険が及ぶと考え吉原へ行く時も稽古の時も必ず誰かに声をかける様にと口酸っぱく言うのが多くなっていた。
何故だか、吉原の事は、何も言われてないが、送り迎えもしてくれてる時点で認めてくれてるんだとは思っている。
「うん。わかった。」
そう千夜が言ったら、バタバタ…バタバタ…
近藤さんの部屋の方から物音が聞こえた。そして………。
「なにぼさっとしてんだい!サッサと産婆さんを呼ぶんだよ!」
フデさんの怒鳴り声に
「はいっ!」
近藤さんが返事をして、部屋の前を物凄いスピードで走り抜けた人影。多分近藤さんだったと思う…
産婆……?
確かにフデさんは、そう言った。
「ツネさんが産気づいたんじゃ……?私、手伝ってくるっ!」
そう言って千夜は、自分が怪我をしたのも忘れ
部屋へと急いだ。
残された土方と斎藤は、顔を見合わせて笑った。
しばらくして、赤子の鳴き声が試衛館に響いた。
ツネさんの着物を直しながらも、千夜の視線は赤子へと向けられる。
「……可愛い~!女の子だー。」
ニコニコと赤子を見つめる千夜。生まれたと聞かされ、宗次郎達も部屋へとやって来た。
赤子を見つめている千夜を見て、宗次郎は、小さな声で呟いた。
「ちぃちゃんのが可愛い…」
小さな手をツンッと触る千夜。
「千夜ちゃん抱いてみる?」
ツネさんが千夜に提案するれば、驚いた様に
「いいの?」
「ええ。」
腕に赤子を乗せてもらって、初めて赤子を抱き上げる。
ズシリと感じる重み、生まれてくる時の母親の
苦しさ、小さな体を動かす赤子。全てが尊いと感じた————。




