祝言と欲望
着物を買い、風呂敷を手に町を2人で歩く。江戸の町並みは、いつも通り、沢山の人が行き交っていた。
店も沢山あって、千夜は視界に入ったモノに声を上げた。
「……あ。」
足を止めた千夜に、土方は、何か気に入ったもんでもあったのか?と、千夜の視線に、自分の視線を合わせてみる。
「……クナイ?」
確認する様な土方であったが、千夜は、と言えば、目をキラキラさせて見ている。
————なんで、着物に興味無かったのに 、クナイに興味をもつのか……?
理由なんて、皆目見当がつかない。
はぁ。っと、短く息を吐きだし、値段を見れば
これぐらいなら自分にも買ってやれる値段であった。いまだに、それを見つめ続ける千夜に、土方は、諦めた様に声をかけた。
「買ってやるよ。」
欲しいなら。
「本当?」
満面の笑みで、こちらを見た千夜だが、
着物より喜ぶってどういう事だよ…。と、土方は、思ったのだ。しかし、買ってやると言った手前、こんなに喜んだ千夜を落胆させては酷だと、結局、クナイを2つ買ってやったのだった。
夜、土方に買ってもらったクナイを投げてみる千夜。土方は、といえば、夜になると相変わらず出かけてしまう。行く所は、試衛館か、お琴さんの所だろう。
別に聞く気なんて無い。
投げ放ったクナイは、音を立てて風を切り、的である木に見事突き刺ささった。
”キィキィ”と、何かの動物の鳴き声に千夜は、辺りを探してみる。
突き刺さった木のすぐ近くを覗き込めば、見知らぬ鳥がそこに居た。
「……灰色の鳥?」
鳥にしては大きい。近づくと、羽から赤が流れて飛べないらしい。バタバタと千夜を見て暴れるその鳥。
「……痛いね。」
キィーキィーと、こちらを警戒して鳴く鳥に、千夜は、近寄った。手を伸ばせば、くちばしで突かれて痛みが走る。しかし、そのままにしておけば、死んでしまうかもしれない。
千夜は、なんとか、そっと抱き抱え、山崎の家がある方へと走った。治療なんて出来ない。頼れるのは、医者だと言った山崎しか居ないのだ。
山崎が住む掘っ建て小屋に着けば、千夜は迷わずに、戸を思いっきり開け放った。
バタンッ
「烝っ!」
「ちぃ?どないした?」
慌てだ様子の千夜に、山崎は、歩み寄りながらそう聞いた。そろそろ、寝ようか。と思って居た山崎は、着流し姿で、突然の来客に内心驚きながらも、千夜が手にした鳥に大体の状況は、察する事ができたのであった。
「鳥が……怪我してて…」
そう言っている間にも、山崎は、すぐ近くの勝手場から水を器にいれ、千夜に手渡した。
「落ち着きぃ。ほら、水飲んで。」
千夜は、それをゴクッと一口飲んで「鳥を助けて。」と山崎に頼む。
「……俺は、人間の医者やねんけどな。
よし、じゃあ、治療の仕方を教えたるわ。」
そう言って山崎は、千夜に基本的な治療を
教えてくれた。それは、もちろん人間の治療法で、鳥の治療法では無い。しかし、止血をしたり、怪我の手当ては、大体は、同じである。
千夜が鳥に突かれてながらも、一生懸命に治療をしていく姿を山崎は、少し口角を上げて見つめて居た。
出会った時は、4歳だったのだ。治療をしている姿なんて、誰が想像したのだろう。
「コレは、鷹の雛鳥やな。」
「鷹?」
「せや。大きい鳥やで。ちぃが治療したから
すぐ、よおなるわ。」
鳥に巻いた晒しを見ながら、山崎はそう言った。山崎の様にキレイに巻けなかった晒しだが、そう言ってくれるのは嬉しかった。
「今日はもう帰らな、みんなに、見つかってまう。」
「……でも。」
鷹の雛鳥が気になるのか、視線をヒナに向ける千夜。
「大丈夫や。俺がみとるから、な?」
「……わかった。」
「ええ子や。送ったるわ。」
家までそんな遠くはないが、手を繋いで歩く。
鷹の名前を考えたり、道に咲いた花を見たり
このコト居るとホンマに穏やかな気持ちになる。
家が見えてくるとこの繋いだ手を離したくない。そう、思ってしまう自分がいる。
「……烝?元気ない?」
「……ああ。もう、ついてしもたな。」
目の前には、土方の実家。
寂しそうな山崎を見て千夜は、山崎に抱きついた。
「元気だしぃ?烝。」
俺の真似してそう言った、ちぃ
「……真似するなや。」
えへへ。と、笑う千夜
「元気でた?」
「ああ。おおきに。さ、帰り…」
「うん。またね。烝。」
家の中に入るまで山崎は、千夜を見送った。
万延元年3月29日
近藤勇と松井つねの祝言の当日
ノブ姉に新しい着物を着せて貰ったのだが、ちぃは、せっかく、化粧をして貰ったのに膨れっ面で土方の前に現れた。
「お、似合ってんじゃねぇか。ってか、なんで、膨れっ面なんだよ…」
「……だって。」
「千夜は、着物を着慣れてないから動きにくいって言ってね。こんな、べぴんさんになったのに…。ほら、千夜!
何時まで膨れっ面でいる気だい?」
動きにくいから膨れっ面って……。
ノブ姉に背中をバシッと叩かれて顔を顰めた彼女。ありゃ、痛いな……。
「————っ!ノブ姉痛いよー。本当にこれで行くの?袴のがいいのに。」
まだ言うのか?ちぃ……。
「はいはい。サッサと行かないと遅れるでしょ。」
結局、ノブ姉に家から追い出される形で、土方と千夜は、家を出たのだった。
「……ほ、本当に、ちぃなの?」
近藤宅に来て早々に、藤堂に質問される千夜は、すでにうんざりした表情である。
「千夜だし。
よっちゃん、もう、着替えていい?」
「ダメに決まってるだろ?まだ、祝言始まってもねぇ!」
口を尖らせる千夜
「ちぃちゃん、本当綺麗。」
なんだか、その場に居るのが嫌だった。
「……私、フデさんの手伝いしてくる。」
そう言って部屋を出た。
「またかよ…」
と、土方は頭をガシガシと掻いた。
「……僕、悪い事いったかな?」
「違げぇよ。いつもと違うから違和感があるんだろ。」
「本当に綺麗なのに。」
沖田の声に、皆が、頷いたのだった。
今日は、烝は仕事で居ないって言われてるし、烝が居れば、話し相手になってもらうのだが、フデの手伝いをするしかやる事はない。
フデの元に行けば、案の定、お茶の支度やら、お孝と慌ただしく動いていた。
「フデさん、私も手伝うよ。」
「千夜、やっぱり、あんた、綺麗だね。
そうやって、着物着てれば娘にしか見えないのに…。勿体無いねぇ。」
もう、笑うしかない千夜。その時だった。
ガシャンッ。っと、フデの後ろから物音が聞こえ、フデと千夜の視線は、自然とそちらに向けられた。
湯呑みを割ってしまったお孝
「何やってんだい!お孝っ!本当にあんたは、
何をやらせても鈍臭いんだからっ!」
「……すいません。」
「ほら、フデさん。私片付けるからさ、そんなに怒らないで。ね?」
「はぁ。千夜、せっかくの着物汚すんじゃないよ。」
「はーい。」
割れた湯呑みを片付ける千夜。その姿を唇を噛んで見つめるお孝には、全く、気づかなかった————。
「……あ。」
そんな、お孝の声に千夜は、自分の作業の手を止めて振り向いた。
「どうしたの?お孝。」
「お醤油切らしちゃった。急いで買って来ないと、フデさんに怒られちゃう。」
そう言った、お孝。さっき、湯呑みを割ってしまったばかりの彼女。
みんなは、受け付けやらしていて、手が開かないだろう。お孝がここを開ければ、また、フデさんの雷が落ちる……。
「じゃあ、私が買ってくるよ。」
選択肢はそれしかない。
「でも、雨降りそうだし、私が……」
「大丈夫だよ。醤油屋さん、すぐそこだし」
そう。醤油なら、近くのお店に売っている。だから、走っていけば、すぐに帰ってこられる。
「……ごめんね。」
謝るお孝からお金を受け取った。
「じゃ、行ってくる。」
そう言って家を出て行った千夜を見送り、台所には、お孝だけとなった。
「————そうだね。醤油屋さんは、すぐそこだけど、すぐ、帰ってこれるかな?」
クスッと笑った、お孝。台所の片隅には、醤油便が置いてあった。それは、半分液体が入っていた。そう。醤油は、なくなってなんてなかった。
「ごめんね。千夜。私————貴方が邪魔なの。」クククッ
笑いを押し殺した声が、台所に響いたのだった。
醤油を買いに町に出た千夜は、空を見上げた。どんよりした空。灰色に染まる雲から雨粒がポタポタと丁度落ち始めたのだ。
「……雨、降ってきちゃったな。」
と、呟いた。
パラパラと降る雨に、ただ、急がなきゃと思うものの、なんか、嫌な予感がする————。
そう思った刹那。
千夜の背後から忍び寄る黒い影。
「……んっ! !」
千夜の口を何者かの手が覆った。驚いて目を丸くする千夜だが、手は離れない。体を動かそうとしても、すでに抱え込まれてしまって動くのは不可能な状況だ。
「んー。んー。」
「おい、場所変えようぜ?」
背後からの声では無い事に千夜は気づいた。
ジタバタと足を動かしてみるが、14歳の千夜に、背後に居る、成人男性だと思われる手を振り払えない。
「しっ!大人しくしろ!」
辺りを見ても、雨が降ってきたからか人通りが無い道。助けを呼べないままに、次第に息苦しくなって、自然と涙が流れた————。
————よっちゃん………。
声も出せない。息さえもうまく吸えなくなっていって、視界さえ霞んでいく。
クタッとした千夜を抱き上げ、男達は、その場から立ち去ってしまったのだった。
————
———
——
ここは、何処だろうか?
水の音。背丈の長い草。
目の前に居るのは、知らない男達…。そうであって欲しかった。でも、目の前に居るのは、最近、試衛館に入った門人達だ。
千夜の襟元を左右に大きく開き、ニタニタ笑う男達。ペタペタと体を触られる感触が、ただ、気持ち悪い。
どれぐらいの間、そうされてるのかも、わからない。叫びすぎて声すら出ないし、体に力が入らない。悪夢であって欲しいと、何度思ったかわからない。
よっちゃんに買ってもらった着物は、すでに、泥だらけで辛うじて体に掛かっているだけ。
泣いても、叫んでも誰も助けてなんてくれやしない 。こんなにも、女である事を憎んだ事など無い。
力無く空を見上げる彼女の目には、全てが霞んで見えてしまうのだ。
力があれば、こんな事にはならなかった 。
力があれば————。
男達は、千夜に欲望をぶつけ続ける。
そのまま、千夜は意識を失ったのだった。




