新しい着物
千夜が向かった場所は、土方と出会った場所だ。
私は何かあると、必ずよっちゃんに出会った場所に足が向く。
川を見ながら、千夜は、濡らした頬を袖で拭った。
「どないした?」
そして、いつも彼は、私の前に現れるのだ。
「どうもしないよ。」
そう、大した事じゃない。私の想いは告げる事など無い。初めから、そのつもり————。
私には、子供が産めないから。
自分の下っ腹にある刀傷。それは、大きな傷で
すでに痛みなど無い。何故、傷があるのかなんて知らない。
この時代、祝言は、世継ぎを生む為でもある。
子が産めなければ、男は、妾を貰うのが当たり前。だから、私は、愛も恋も知らなくていい————。
頭を撫でてくれる烝は、いつも、私の側に居てくれる。
彼に身体を向けて、そっと背に腕を回したら、
「な、なにしとん?」
驚いた声が聞こえた。
「あったかいね。人って、あったかい……」
「……そやな。あったかいわ。」
烝の腕が、千夜の背に回る。
「————ねぇ、烝。私を、吉原に連れて行って。」
ビクッと彼の体が強張った。
私は知っている。彼は、私のお願いは聞いてくれると————
簡単に、武士にはなれない。だから、どんなチャンスも逃さない様に、私は、吉原の遊女となる。山南さんが言った情報を手に入れる為に……。
いや、彼らの夢の為に————。
「……何、言うてんねん。冗談キツイわ。」
そう、頭の中で言葉が作られたのに、口に出せない。ちぃは、もう、決めたからという顔で俺を見とったから。
その顔は、ホンマモンの姫様の顔で、これは、お願いじゃなく、命令なのだと、そう、思う事しか出来ない覚悟を決めた顔だった。
「……御意。」
その言葉を聞いて
ちぃは、笑ったんだ。あの時、もう二度と連れ戻さないと誓った、あの笑顔を俺に向ける。
今から、俺が連れて行く場所が、どんな場所か、知ってるかの様に————。
その頃から、千夜は、家では個室となり、夜、抜け出すのも容易くなった。
夜は、情報を求めて、吉原へ
朝は、キッチリ家の手伝いをし、たまに、試衛館に行く。試衛館に行かない時は、吉原に芸の稽古へと出かける。そんな生活へと、変わっていったのだった————。
千夜は、幼い時から琴や三味線を習っていたからか、記憶がなくなっても体が覚えていて、その点では、芸妓としては、その辺の子には負けない腕前であった。
吉原に送り届け、迎えに行くのは山崎の仕事だ。
段々と大人び、艶っぽくなっていくちぃは、誰が見ても綺麗な娘へと成長していった。
「烝っ!」
だけど、変わらない事もあって、迎えに行った山崎を見つけると、ガバッと彼に飛びつく千夜
子供の様に笑って俺を困らせるのは、いつもの事
「……ちぃ、お淑やかにしとらんとやろ?」
女の着物を着ようと、小さな時から抱きつくのは止めてはくれない。
「えー。ヤダ。烝の家に行くんでしょ?」
道端で、ちぃを着替えらせへんから、いつも
着替えは俺の家。家って言っても、山の中の掘っ立て小屋なんだけども……。
「……ああ。帰るでぇ。」
「帰ろ。お腹減っちゃった。今日、寒いね。」
「せやな。雑炊ならつくたるわ。」
「本当?やった。」
ニコニコしている、ちぃ。ホンマ、小さい頃と変わらん。
そう言いながらも、山崎の頬は、緩んでしまうのだ。しかし、その時、人影が一瞬見えた。
それに気づき、足を止めた山崎だったが、
「……どうしたの?」
山崎の顔を覗き込む千夜。その問いには、しばらく答えてはくれなかった。
山崎は、辺りを見渡すが、気配はしない。
「……なんもない。早う帰ろ。」
俺は、この時、気付けなかった。俺たちの姿を見て、妖しく笑った女がいた事を————。
そして、千夜が吉原に行くようになってから半年の月日が流れ、年号が万延となる。
食客もいつの間にか増え、藤堂平助、永倉新八、原田左之助、斎藤一が食客になった。
そんなある日の事、
皆が居間で昼餉を食べていたのが、何故か皆、よそよそしい。理由は、フデが機嫌が悪いからだ。
「どうしたんです?フデさん。」
ピリピリとしたフデに話しかけれるのは、千夜しか居ない。ヒヤヒヤしながら、その様子を見守る男達。
「千夜、聞いとくれよ。周助さんがね、勝太の許嫁を勝手に決めっちまってね……」
周助は、逃げようと御膳を片付け様とする始末だ。
「あんた!どこ行くんだい!」
「……」
その声に、腰を下ろした周助さん。まさに、鶴の一声だ。
「え?近藤さん祝言あげるの?」
皆を見れば、止めとけと首を振られるが、千夜には意味がわからない。
「御三卿・清水徳川家の家臣である、松井八十五郎の長女だ。文句あるか!」
「……ええ。ありますとも。千夜なら、文句も無いのにねぇ。」
ぶーっと、口から何かを吹き出したのは土方、近藤、沖田。三名だ。
「勝太、千夜にしたらどうだい?」
「……い、いや。」
そんな事言われても、困るだけである。
「でも、もう相手は決まったんでしょ?」
「……ああ。私の許可なくね。」
こりゃ、相当怒ってらっしゃる
「近藤さん、おめでとうございます。」
こういう時は、そう言うしかできない。
「でもよ。千夜って、男いねぇのかよ?」
「馬鹿新八、止めとけって。」
「だよなぁ。初めて会った時より、綺麗になってねぇか?」
「平助!お前まで!」
「だってよー。」と声が聞こえたが、吉原に出入りする前に、出会った食客も居るが、自分じゃ、何処が変わったかなんて、わからない 。
そんな中、コトッとお茶が置かれ、千夜は、反射的に身体をそちらに向けた。
「……あ、ありがとう。お孝。」
そう、お茶を入れてくれた彼女にお礼を言った。
「いえ。」
最近、近藤宅で女中として働いて居るお孝は、私より5つ年上の女性だ。物静かな彼女だが、
「……あ、あの、沖田さんもどうぞ…」
「ああ。ありがとう。お孝。」
みんなが見てわかる程に、顔を赤く染め上げる彼女。彼女は、宗ちゃんが好き……。そんな彼女を見て、かわいいなぁ。なんて、思う。
「ちぃちゃん、僕の部屋でお団子食べよ?」
「……え?でも…」
お孝が視界に入るが、グイグイと引かれるがまま、私は席を立った。しかし、
「団子ならココで食えばいいだろうが。」
「そうだよ。みんなで食べよ?」
面白くなさそうに、口を尖らせてみる宗次郎
「……ちぃちゃんと2人で食べたかったのに…」
「なんだよー。宗次郎!俺らと食いたくないのかよ!」
絡んでくる3人。嫌いじゃないけど面倒臭い。
宗次郎は、仕方なく千夜の腕を離して、みんなとお団子を食べる事にした。
「で?祝言は、いつなんだ?かっちゃん。」
「3月29日」
「……。一ヶ月もねぇじゃねぇか!」
万延に年号が変わったのは、安政7年3月18日だ。江戸城火災や桜田門外の変などの災異のため改元されたのだが、一ヶ月どころか、10日程しかない…
「ちぃ、家帰るぞ。」
「……なんで?まだいいじゃん。」
お団子をまだ頬張っている千夜に、慌てた様に土方は、言い放つ。
だが、日もまだ高いし帰るのは早すぎる。
「馬鹿!お前、袴で、祝言に来る気かよ!」
「……。ダメなの?」
はぁー。と、皆がため息を吐く。
「ダメに決まってるだろうが!呉服屋行って、着物をあつらえなきゃ間に合わねぇ!」
「……着物要らないよ。」
「俺が恥をかくんだよ!」
まだ、団子の串を咥えている呑気な千夜に土方は、
「さっさとしろ。」
と、言ってみるが
「まだ、来て一刻もたってないのに。」
不満げの千夜は、未だに口に団子の串を咥えているまま動かない。
「……。わかった。呉服屋行ったら、戻ってきていいから。」
「本当?じゃあ、行く。」
着物要らないけど……
2人は、急いで試衛館を後にしたのだった。
「トシには、先週言ったはずなんだがな。」
「間に合うんですかね?着物…。」
宗次郎の疑問に、皆、首を傾げたのだった。
その後、土方と千夜は、慌ただしく呉服屋に駆け込み、着物を選ぶ。と言っても、千夜には、興味が無い。選んでるのは、土方である。
「……なんで、テメェは、いつも、自分の着物なのに興味を示さないんだよ!」
「だって、沢山ありすぎて、わかんないし。」
「わぁ。可愛らしい子やね。そうだ、その子に似合いそうな着物ありますよ。」
頼んでもないのに、着物を奥から持ってきてくれる女将さん。
桜が描かれた桜色の着物と白地に梅があしらわれた着物の2着だ。
「白は、花嫁さんの色でしょ?」
「ああ。まぁ、普段着程度でいいんだがな、その普段着が全部袴しかねぇからな…ちぃは……」
「桜、綺麗だね。」
着物を見て目をキラキラとさせる千夜
「これにするか。」
「うん。そうする。」
着物を買ってやるのは、久しぶりだった。ずっと袴でも文句を言った事なんてない千夜。
動きやすいから、これで良いと今着ている袴も
土方のお下がりで、長い裾を自分で縫い直して
履いている袴。
土方は、
昔会った医者からの金で桜色の着物を買った。
本当は自分の稼いだ金で買ってやりたかったが
そんな大金は、土方には無い。




