夕暮れ、揺れ始める魔力
夕方の光がゆっくりと薄まり、
家の中は橙色から深い藍色へと移り変わっていた。
暖炉はまだ灯していないのに、
どこか温かいように感じるのは――
きっと、心臓がうるさくて、体温が上がっているせいだ。
私は深呼吸をひとつして、
ルベルを呼ぶために廊下へ出た。
「ルベル……
魔力練習、始めましょう」
その一言で、
空気が静かに震えた。
足音はなかった。
けれど気づけばルベルが
三歩の距離をきっちり保って現れた。
いつも通りの距離なのに、
いつもより近く感じる。
(やっぱり……夕方ってだけで雰囲気変わる……)
私はリビングに戻り、
中央に敷いた魔術用の小さな布の上に立つ。
魔力の流れを確認するためのものだ。
ルベルも反対側に立った。
距離は四歩ほど。
触れない距離。
安全な距離。
……のはずなのに。
彼の瞳が、
夕暮れの光を映して深く赤く染まっていた。
「……エレノア。
始めていい?」
声が低くて、
熱を押し込んでいるみたいだった。
「はい。
まずは……距離を保ったまま、
魔力を少しだけ放ってみてください」
ルベルは頷き、
静かに目を閉じた。
胸の奥から、
柔らかい魔力の波が広がる。
それは野性の獣のように荒れることもなく、
忠犬のように従順すぎることもなく――
ただ、
**“私にだけ向けられた気配”**を帯びていた。
(う……また揺れる……)
私の魔力が、勝手に震える。
ルベルの魔力とぶつかるわけじゃない。
私が“応えてしまう”のだ。
まだ触れていないのに。
まだ距離はあるのに。
揺れる。
吸い寄せられるみたいに。
「エレノア……
今、魔力が……」
「分かってます……い、今制御中……!」
少しずつ深呼吸して、
魔力の線を整えていく。
でも、彼の魔力は――
優しいのに強い。
静かなのに熱い。
だから落ち着かない。
まるで自分の魔力が
“この人の魔力と混ざりたい”と言っているようで。
(ちょっと……そんな勝手なこと言わないで……!)
心の中で叫びながら、
私は魔力を抑え込んだ。
「次は……私も魔力を流します。
お互いの流れを確認するだけで――
触れませんので」
念を押したのに。
ルベルは小さく眉を寄せた。
「……触れなくても……
揺れてる」
「し、仕方ないでしょ!?
これは……体質なんです……!」
「……好き」
「は!?!?」
違う違う違う!
いまのは“魔力が”好きって意味だ!
絶対そうだ!
そうに決まってる!
(……そうだよね?
ちがう意味だったらどうしよう……)
私が混乱している間に、
ルベルは静かに続きを言う。
「エレノアの魔力……好き。
柔らかくて……あたたかくて……
近づきたくなる」
(どっちにしろダメ~~!!)
魔力の練習にならない!!
私は慌てて距離を測り直す。
「ル、ルベル!
そこから一歩前に出てください!」
「前?」
「そうです!
魔力の流れを合わせやすくするためです!」
嘘じゃない。
本当だ。
でもルベルが前に来ると――
気配も熱も、三倍で届いてしまう。
それでも練習のため、
私は息を整える。
ルベルが一歩前へ。
床がぎし、と鳴った。
近い。
近い!
さっきよりずっと近い!
魔力が、
まるで引っ張られるように揺れる。
ルベルの瞳が細くなる。
「……揺れた」
「揺れますよ!!
あたり前じゃないですか!!
近いんですから!!」
「……嬉しい」
「嬉しくないです!!
いや嬉しいかもしれないけど困るんです!!」
もう何を言ってるか分からない。
でも確実に分かることがひとつ。
魔力練習=ただの距離感拷問。
ルベルは、
私が逃げないように
決して距離を詰めずに――
でも確実に私の魔力を受け止めていた。
その優しさに、
余計に魔力が揺れる。
(落ち着いて……
落ち着けるわけないけど落ち着いて……!)
私は深く吸って、ゆっくり吐いた。
そして――
「次は……
少しだけ、魔力の“線”を繋ぎます。
手は……繋ぎません。
まだ早いので……!」
「……エレノアが決めるなら、従う」
ルベルは従順だった。
本能を押し込みながら、
ただ私を見ている。
その視線が、
触れていないのに触れられているみたいで。
(もう本当に……
夕方にやる練習じゃない……)
光が完全に消える前、
私たちは静かに魔力の線を伸ばし始めた。
触れない距離で、
触れてしまいそうな温度のまま。




