やってしまった!後悔。
記憶を失った青年――さっき喚ばれたばかりの彼は、ローブの前を軽く押さえながらエレノアを見つめていた。
月光に照らされた赤い瞳は静かで、しかしどこか底が読めない。
一方のエレノアは、というと。
「ご、ごめんなさい……! ごめんなさい! ごめんなさい!!」
床に座り込んだまま、全力で謝っていた。
「本当に、あの、そんなつもりはなくて!!
……その……ごめんなさい!うわぁぁぁ……!」
両手で顔を覆いながら、足をじたばたさせる。
挙動不審という言葉の見本のような動きだった。
彼は首をかしげた。
「……謝る必要はないと思うけど」
「あります!! めっちゃあります!! というかもうごめんなさい!!」
「……どうしてそんなに謝るの?」
「ごめんなざ……えっ?いやその……とにかくごめんなさい……!」
答えになっていない。
本人も気付いていない。
狼狽しすぎて語彙が謝罪で埋まっている。
彼は困ったように目を伏せ、次に少し優しい声音で問いかけた。
「君が……僕を呼んだんだよね? エレノア」
名前を呼ばれただけで肩が跳ねる。
だがその言葉に、エレノアはさらに気まずくなった。
(そうだよ……私が、私なんかが、禁術なんて……)
胸の奥がぎゅっと縮まる。
顔を上げられず、小さな声で答えた。
「……はい。私が……喚びました。すみません……」
「謝らないで」
低い声がすっと胸に落ちた。
その響きは優しいのに、どこか命令のようでもあった。
彼はエレノアの前に膝をつき、目線の高さを合わせる。
赤い瞳が近くて、鼓動が跳ねる。
「僕は……名前がないんだよね?」
「え?」
「だから……君が、与えてくれない?」
彼の瞳が、静かにエレノアをとらえて離さない。
底に熱が宿っているようで、逃げ場を失うような視線だった。
(名前……名前……!
まだショックで頭が回らないよ……!)
挙動不審のまま髪を触ったり、袖を握ったり、指先がばたばた動く。
彼はそんな様子をただ静かに眺めていた。
やっと言葉がこぼれる。
「……ルベル。
あなたの名前……ルベルにします」
その瞬間だった。
赤い瞳に、かすかな光が灯った。
それは理性の奥で何かが目覚めたような、ぞくりとするほど鮮烈な光。
「……ルベル」
彼は自分の新しい名をゆっくりと噛みしめるように呟く。
「……いい名前だね。
君がくれた名前なら……何でも嬉しいよ」
声は低く甘く、胸の奥でずしんと鳴った。
エレノアはもう心臓がもたない。
震えたまま立ち上がり、手を伸ばす。
「ちょ、ちょっと! とりあえず……リビング行きましょう!
暖炉つけて……あの……と、とにかく落ち着きましょう!」
ルベルの手首をそっと掴んだつもりが、今のエレノアは完全にパニックで力加減を忘れている。
ひっぱるようにしてリビングへ連れていき、暖炉に火を灯すと、ソファへ座らせた。
ルベルは静かに座り、火の光を受けて紅い瞳がさらに深く染まった。
まるで――
名を与えてくれた人物を、初めて見つけた獣のように。




