ギリギリの距離
午後の片付けを終えたころ。
ルベルは三歩後ろに下がったまま、
静かに私を見ていた。
その表情は、
午前よりも柔らかく、
でも確かに“決意”を含んでいる。
(な、なんか……言いたそう……)
私が視線を向けた瞬間。
ルベルは一歩、わずかに前へ出た。
違う。
距離は守っている。
“気配”が近づいただけだ。
「……エレノア」
胸がどきりと跳ねる。
「さっき……魔力が揺れた」
「そ、そんなこと……よくあることですよ……?」
「違う。
“俺に向かって”揺れた」
「~~~~っ!!?」
(言い方やめて!!
心臓が……!)
ルベルは続ける。
「……魔力の揺れを落ち着かせるには……
ふたりで制御した方がいい」
「ふ、ふたりで……?」
「うん。
俺の“核”と、エレノアの魔力……
いま少し混ざってる。
だから、いっしょに整えた方が早い」
言い方がとても理性的で、
とても冷静で、
だからこそ余計に危険。
近づく理由が増える。
本能を理由にされると断りづらい。
(どうしたらいいの……
本当に危ないのに……)
私の沈黙をどう受け取ったのか。
ルベルは提案を続けた。
「……手を……」
「手を!?」
「つないで……魔力を循環させる。
もっと安全に調整できる」
(手!?
手を繋ぐ!?
そんな近距離で!?
魔力絶対揺れる!!)
私は慌てて首を振る。
「む、むりむりむり!!
それは……近すぎです……!」
「でも……魔力は触れた方が流れやすい」
「だからそれがダメなんですってば!!」
ルベルは困ったように目を伏せ、
静かに息を吐いた。
「……エレノアが嫌なら、無理はしない。
でも……
本能だけじゃなくて……“手”なら、抑えられる」
抑えられる――
その言葉に、胸がまた揺れた。
(……抑えながら触れる……?
そんな高度なこと……
できるの、この人……?)
視線を落とすと、
ルベルは自分の手をじっと見つめていた。
震えてはいない。
むしろ、
“触れたいけれど触れない”ために
指先に力を入れて我慢しているようにも見えた。
(……あ……
本当に抑えてるんだ……)
距離を詰めようとしたときも、
本能に逆らって止まっていた。
触れたら揺れる。
揺れたら近づきたくなる。
それを自分で抑えようとしている。
(……だったら……
ほんの少しだけなら……
練習してみても……)
気づけば私は口を開いていた。
「……手を繋ぐのは、まだ早いですけど……
少しだけ……距離を詰めて……
魔力の流れを見る……くらいなら……」
言いながら自分で顔が熱くなる。
(な、なに言ってるの私~~~~!?)
ルベルの瞳がわずかに見開かれ、
その後、静かに嬉しさをにじませた。
「……エレノアが決める距離なら……大丈夫」
「ひ……ひぃ……」
(言い方が……優しすぎる……!
こういうのに弱いんだよぉぉ……!)
ルベルは深く息を吸い、
まるで何かを整えるように静かに吐き出した。
「……次の魔力調整は……
エレノアの“近づいていい”の合図で始める」
その姿勢は従順で、
忠誠で、
でもどこか家族のように寄り添う気配があって――
私の心のほうが揺れてしまう。
(……これ……
本当に……二人で生きていく生活になってきてる……)
魔法でも、家事でも、日常でも、
もう私は“ひとり”じゃない。
それが怖くて、
だけど同時に、
泣きそうになるほど安心する。
胸に手を当てながら、
私は小さく息を吐いた。
「……練習は、また夕方にしましょう。
いまは……ちょっと休みたいので」
「わかった。
エレノアの好きなだけ休んでいい」
その声が優しすぎて、
また魔力が揺れた。
ルベルはそれに気づき、
静かに視線をそらして自制した。
――触れたい。
――けれど触れない。
そのぎりぎりの距離が、
今の私たちの現実だった。




