彼がいるから
「ルベル、ちょっと手伝ってもらえますか?」
言った瞬間、
彼の表情がわずかに明るくなった。
(あ……声に出しちゃった……
“手伝って”って言うと、嬉しそうにするんだよね……)
今や家事はほぼルベルのほうが上手い。
けれど今日は、
棚の上段にある箱を下ろしたかった。
私の身長では届かない。
とはいえ昨日までなら踏み台を使っていたのに――
今日は“彼がいるから”つい頼ってしまった。
ルベルは軽い動きで近づき、
箱を取ろうと手を伸ばす。
私は箱が落ちないように、
下からそっと手を添えた。
その瞬間。
指先が、かすかに掠った。
ほんの一瞬。
触れたか触れないかの距離。
けれど――
魔力が、ふわりと揺れた。
(えっ……やば……また揺れた……!)
揺れた瞬間、
ルベルの動きが一瞬止まった。
息が、浅くなる。
空気がひんやり張りつめる。
「……エレノア」
低く、かすれた声。
顔を上げれば、
ルベルの瞳はわずかに震えていた。
光を受けて赤が濃く見える。
その目が、一瞬だけ“獣”の色に揺れた。
(あ……だめ……これ危険な方の反応……!)
箱を持つ手がぶるっと震え、
私は慌てて言おうとした。
「ル、ルベルっ――」
けれど、その直前。
ルベルの足が、
勝手に一歩前へ出ようとした。
彼自身も気づいていなかったはずだ。
本能が、エレノアの魔力の揺れに呼ばれた一歩。
しかし――
次の瞬間。
ぎゃんっ、というほどの力で自分を止めた。
強張った肩。
浅い呼吸。
押し殺した衝動。
そして震える声で、
「……ごめ……
言って。
“離れて”って……言えば……動かない……」
苦しそうに、
それでも必死に理性をつないでいた。
(……そんなの……
そんな風に言われたら……言いにくいじゃん……)
私の魔力が揺れて、
それに彼が反応してしまう。
悪いのは私なのかもしれない。
でも、
ルベルは自分の本能を必死に止めている。
そんな姿を見てしまったら――
責任とかじゃなくて、
心がきゅっと痛くなる。
「……大丈夫です、ルベル。
私、ただ驚いただけで……
怒ってませんから」
小さく笑って言うと、
ルベルの表情がすこし緩んだ。
けれど自制は解かない。
箱をゆっくり下ろし、
三歩うしろへ下がってから、
静かに息を整える。
「……エレノアの魔力……
近くで揺れると……だめ。
制御が……難しい」
「そ、そんなこと言われても……私も制御たいへんで……」
「……だから……
“いっしょに”練習したい」
(いっしょに……?
魔力制御……?)
その提案は、
少し甘くて、
少し危なくて、
でもとてもまっすぐで。
胸の奥が熱くなる。
(だめだ……
完全に生活が二人仕様になってる……
魔力の制御まで“共同作業”になってる……)
どこまで一緒に踏み込むべきだろう。
まだ答えは出ない。
けれど――
彼が自分の欲を抑えて距離を守ろうとしていることだけは、
痛いほど伝わった。
私は胸に手を当て、小さく息を整えた。
「……ルベル。
練習……考えてみます」
ルベルは、
救われたように、
嬉しそうに微笑んだ。
その微笑みに、
また魔力がふるんと揺れて――
私は慌てて視線をそらした。




