たった三歩
ひと通りの家事レッスンが終わり、
私は湯気の立つハーブティーをテーブルにおいた。
陽の光が差し込むリビングは、
朝と違ってほんの少し温度が上がっている。
さっき干した布が窓辺で揺れ、
その影が床に柔らかい模様を落としていた。
私は椅子に腰を下ろし、
ふぅ……と息を吐く。
(……今日は、いろいろすごかったな……)
正直、心臓はまだ落ち着ききっていない。
朝食づくりでは、
スープを味見するたびに私を見るし――
家事レッスンでは、
私がやる前に全部理解してしまうし――
そのたびに魔力が揺れるし――
(いやほんと……私の魔力ってこんなに扱いづらかったっけ……?)
魔術師としては未熟。
でも、制御できないほどじゃない。
少なくとも普段の生活で魔力が暴走するなんてなかった。
なのに今日は、
ほんの少し手が触れただけで揺れてしまった。
(……原因は……わかってる。
ルベル……だよね)
彼が近くにいるだけで、
魔力の流れがふわっと動く。
怖い、というより、
くすぐったいような、ざわっとするような、
不思議な反応。
本来、召喚獣は主の魔力に反応するものだけれど――
これは、少しおかしい。
(たぶん……禁術のせいなんだろうな……
私の魔力と、ルベルの核が混ざって……
過剰反応してる……)
自覚すると余計に胸が熱くなる。
スープを飲む音、
布を干すときの指先、
私の言葉に反応して近づこうとした足。
全部、私に向いていて――
従順なのに、どこか危うい。
そんな存在が、
今はほんの数歩後ろで待機している。
私はカップを持ったまま、
ちらりと視線を向けた。
ルベルは、
窓の横で静かに立って私を見つめていた。
距離は三歩。
離れてと言った距離。
それなのに――
その“たった三歩”が、
やけに近く感じる。
(どうしよう……
なんか、慣れてきた気がする……)
自分でも驚く。
本当なら、
こんなに近くで監視されているみたいな状況は嫌なはずなのに。
でも。
彼は私を困らせるために近づいているわけじゃない。
“役に立ちたい”
“褒められたい”
“そばにいたい”
まっすぐで、純粋で、
召喚獣としては当然すぎる欲求。
(……これ、けっこう可愛いな……)
そう思ってしまった自分に、
私はカップをぎゅっと握った。
(ち、ちがう、可愛いとか……!
これ危険な禁術で生まれた存在なんだから……!)
でも、
本当のところは自分がいちばんよく知っている。
――私は、
ルベルがそばにいることを
もう“完全には嫌じゃない”。
むしろ……
(……なんか……
ほっとする……)
胸の奥があたたかくなり、
息が少し軽くなる。
彼の存在は重たいはずなのに、
なぜか安心する。
そのことがいちばん、
ややこしい。
ハーブティーをもう一口飲み、
私はテーブルに置いた。
(……午後の家事は、もっと大変なことになりそうだなぁ……)
まだ半日しか経っていないのに、
もう“二人の生活”が動き出している。
心臓の鼓動と魔力の揺れを感じながら、
私は窓辺の彼の姿をそっと見つめた。
ルベルは、
光の中で静かに、
少しだけ嬉しそうに笑っていた。




