家事レッスン
エレノアは掃除道具の棚を開き、
一番手前にある“ほこり取り用のハタキ”を取り出した。
まずは簡単な道具から。
そう決めていた。
「ルベル。
まずはこれを持ってみてください」
三歩後ろにいたはずのルベルが、
音もなくすっと前に来る。
エレノアは思わず後ずさる。
(ち、近い……!
移動するときだけワープみたいに早いのずるい……!)
だがルベルは真剣そのもの。
エレノアの手からハタキを受け取り、
じっと道具を見つめる。
「これで……埃を払う?」
「そ、そうです。
軽く振るだけで……」
エレノアが説明を終える前に、
ルベルは一度ふわっと手首を動かした。
ハタキが音もなく揺れ――
棚の上の細かい埃がすべて消える。
「え?」
一瞬だった。
技術も動きも無駄がない。
(……はやっ!!
絶対一瞬でコツ掴んでる!!)
ルベルは平然としている。
「こう?」
「こ、こ、こ……こう、ですね……!」
(なんなの!?
飲み込み早すぎる!!
というか見ただけで理解してる!!)
次にエレノアは掃除布を渡す。
「テーブルを拭く時は、
こう円を描くように……」
また言い終わる前に、
ルベルはすっと動き――
テーブルの汚れも水滴も一掃された。
「終わった」
「終わった!?
もう!?
まだ教えてませんけど!?!?」
ルベルは少しだけ首を傾げる。
「エレノアの動き……見たら、わかる」
(や、やばい……
完全に召喚獣の“コピー能力”だ……!)
吸収力が異常すぎる。
魔術より早く理解してる。
エレノアはなんとか次のレッスンへ。
「じゃ、じゃあ床掃除は……このホウキで……」
ルベルはホウキを受け取ると、
一瞬だけエレノアの手に触れ――
魔力がふわっと揺れた。
(あ、だめ!
揺れる……!)
ルベルが息を飲む。
「……いま……また……」
「はいっ! 離れて!!」
エレノアが叫ぶと、
ルベルはビシッと三歩下がった。
(はやっ!!
言えば即座なのに……言うまでずっと近いのなんなの……)
深呼吸し、
エレノアはホウキの使い方を説明する。
「こうやって……軽く掃きながら……」
説明し終わる前に、
ルベルは動き、
床一面がみるみる綺麗になる。
「終わった」
「終わらないで!!
まだ教えてる途中!!」
「……違う?」
「違わなくはないんですけど……」
(いや違うのよ……
そうじゃないのよ……
なんでこんな何でもできちゃうの……
怖い……けどありがたい……でも怖い……!!)
エレノアが頭を抱えたとき、
ルベルが静かに近づいてきた。
(え、距離!!
距離ルール!!)
声を出そうとしたが、
先にルベルが囁いた。
「エレノア」
低い声。
ゆっくりとした呼吸。
「……もっと、教えて」
その瞳は真剣で、
どこか嬉しそうでもあり――
“主に褒められたい獣そのもの。”
エレノアの魔力がまた揺れる。
(だめだめだめ!!
今日の心臓ほんとに危ない!!)
慌てるエレノアを知ってか知らずか、
ルベルは続ける。
「……エレノアが教える時間……好き」
胸がきゅうっと痛いほど熱くなる。
(この魔獣……
ほんとに……私にだけ……甘い……)
そして新しいレッスンが始まる。
家事のレッスンだというのに、
どうしてこうなるのか。
距離は縮まり、
甘さは増え、
過剰反応は強くなる一方。
エレノアの日常は、
ますます平穏から遠ざかっていった。




