正解の距離にいるつもり
パンもスープも整い、
エレノアはテーブルへ運び終えた。
(ふぅ……ここまで何とか……
距離ルール、ギリギリ保ててる……はず……)
イスに座って息を整える。
よし。
あとは静かに朝食を――
「エレノア」
呼ばれて顔を上げた瞬間。
ルベルがイスを持ってきていた。
エレノアの横に。
ぴったり横に。
(ちょ、ちょっと待って!?
それ、どう見ても近……)
「“距離ルール”、守ってる」
「どこがですか!!?」
エレノアは思わず素で突っ込んだ。
だって距離ゼロ。
正しくは“ひじが当たる距離”。
ルベルは真剣な顔で説明する。
「離れすぎると……エレノアの魔力の状態がわからない。
でも、三歩以上離れろとは言われてない」
「そりゃあ……言ってませんけど……!」
「だから、エレノアの“手が届く範囲”にいる」
「その範囲、狭すぎません!?」
しかしルベルはきっぱり言い切った。
「エレノアが“離れて”と言えば離れる。
言われてないから……ここでいい」
(私の表現が悪かったぁぁぁぁ!!)
エレノアは頭を抱えながら、
パンに小さくかじりついた。
そんな彼女を、
ルベルは静かに、しかし深く見つめる。
これは“監視”ではない。
“観察”でもない。
完全に、
「好きなものを愛でる視線」。
エレノアはパンを喉につまらせそうになった。
「るっ、ルベル……その……食べないんですか……?」
「食べる」
そう言ってパンを手に取る。
……が。
口に運ぶ前に、
またエレノアの瞳を見る。
じっ。
(見ながら食べるの!?
なんで!?)
一口食べる。
かみしめる。
そして、
飲み込むまでずっとこちらを見る。
「……おいしい」
「よ、よかったです!!
あの……その……私じゃなくて、パンを見て言ってください!!」
「エレノアが作ったもの。
だからエレノアを見る」
(理屈になってるようでなってない……!!)
エレノアは耐えきれず、
そっと顔をそむけながらスープを飲む。
視線の熱が頬に刺さる。
(ち、近い……
どう考えても近い……
距離ルールって何……
どうやって生活するの私……)
だが、
ルベルは本気で“距離を守っている”と思っている。
三歩離れる条件は
・魔力が揺れたとき
・体調が悪いとき
・集中したいとき
・エレノアが「離れて」と言ったとき
そのどれでもない今、
ルベルは“正解の距離にいるつもり”なのだ。
そして追い打ち。
「エレノアが隣にいると……落ち着く」
その一言に、
胸がちくりと甘く痛んだ。
(ちがうの……そういう感情に弱いの……
距離ルールより破壊力強いの……)
エレノアは心の中で転げ回りながらパンをかじる。
ルベルはそれを静かな喜びとともに見つめていた。
距離は近い。
近すぎる。
だが、
エレノアは気づき始めていた。
ルベルは、エレノアが“離れて”と言わない限り、本当にそばにいたいのだ。
それは本能であり、願いでもある。
そして――
エレノアは今日まだ一度も
「離れて」と言っていない。
(これは……
これは私が……言うべき……?
でも……言いにくい……!!)
エレノアの心の葛藤をよそに、
ルベルはスープを飲み、ぽつりと言った。
「……エレノアの横は、いい」
ただの一言。
なのに心臓が跳ねた。




