初めての“作りたい”
キッチンに入ったエレノアは、
今日こそは落ち着いて朝食を作ろうと決意していた。
パンを用意して、
スープを温めて、
昨日のように――
と、思った瞬間。
後ろに人影。
いや、人影ではない。
ルベルだ。
一歩半後ろにぴったりつき、
静かにこちらを見つめている。
(影ルール……まだ続いてたぁぁぁ!)
エレノアは混乱を押し殺しながら、
パンを取り出す。
すると、ルベルが突然前へ寄った。
「エレノア」
「は、はいっ!?
ど、どうしましたか!?」
「……俺も、朝食を作ってみたい」
「えっ……?」
手が止まる。
その言葉はあまりに意外だった。
ルベルは淡々と続ける。
「昨日の……エレノアの料理、匂いがして……
楽しそうだった」
(料理って……そんな理由?
でも……なんか……子犬っぽい……)
ルベルは続ける。
「エレノアが作ったものを食べるの、好き。
でも……俺も“エレノアのために”作ってみたい」
(……え、急に破壊力……)
胸のどこかが、ぴしっとひび割れるように熱くなる。
だがエレノアは慌てて否定する。
「え、ええと……ルベルは料理なんてしたことないですよね!?
危ないですし、包丁も熱も扱うんですよ!」
「大丈夫。
エレノアがいるから」
(いやそういう問題じゃないのよ……!)
ルベルは当たり前のように、
エレノアの手からパン用ナイフを取ろうと手を伸ばした。
「あっ! それは――」
手が触れそうになった瞬間。
ふわっ。
魔力が、揺れた。
エレノアもルベルも気づいた。
けれど、反応が先に来たのはルベルだった。
「っ……」
瞳が細くなる。
息が熱っぽくなる。
指先が僅かに震える。
(でた……!
魔力過敏モード……!!)
エレノアは慌てて距離をとった。
「ル、ルベル!!
ちょ、ちょっと離れて!!」
ルール発動。
ルベルは即座に動きを止め、
二歩ほど後ろへ下がった。
(ここだけ従うの早い!!)
ルールの解釈はズレてるのに、
“離れて”という言葉だけは絶対。
息を整えていると、
ルベルが申し訳なさそうに言う。
「……ごめん。
エレノアの魔力が揺れたから……
反応した」
「そういう時、言ってくれればいいんですよ……!
危ないですから……」
ルベルは静かに首を振る。
「……危なくない。
俺は、エレノアが触れたものに反応しただけ」
「だから危ないのよぉぉ……!!」
エレノアは頭を抱えた。
本能が混ざって過敏になったことで、
料理という普通の行為すら刺激になってしまう。
だが――
ルベルは少しだけ視線を落とし、続けた。
「……でも、朝食は作りたい。
エレノアのために……なにかしたい」
(こ、これは……ずるい……)
エレノアは困り果て、
そして観念した。
「……じゃあ。
初心者用の“かんたん作業”だけにしましょう」
ルベルがほんの少しだけ目を見開く。
「……作って、いい?」
「い……い、いいです……!」
瞬間、ルベルの表情が柔らかく緩んだ。
その表情は――
本当に嬉しそうで、
子どもが褒められたときのようだった。
(この笑顔に弱い……
危ないのに……)
エレノアは、
胸の魔力がまた“ふるっ”と揺れたのを感じた。
そしてその揺れに、
ルベルの赤い瞳がまた細くなる。
(あっ、しまった……!!)
ふたりの距離問題は、
料理を始めても何も解決していなかった。




