封印という名の本能
黒い箱は棚の奥で、
まるで呼吸するように弱い光を繰り返していた。
危険の気配は微量。
だけど、確かに“生きている”。
ルベルはその前に立ち塞がるようにして、
エレノアをかばう位置を崩さない。
「ルベル……そんなに、危険……なんでしょうか」
エレノアは恐る恐る尋ねた。
ルベルはわずかに目を伏せ、低く答える。
「……僕の“前の核”とよく似てる。
形になる前の……暴れるだけの魔力」
その言葉に、エレノアの背筋がぞくりとした。
暴れるだけの魔力。
理性も命令もない。
ただ発生してしまったら手がつけられない、本能だけの塊。
(師匠……こんな危険なものを残していたんだ。
たぶん……処分する時間がなかったんだ……)
エレノアは胸が痛くなった。
師匠は、
自分を護る召喚獣を創ろうとした。
危険だと悟り、それでも研究を続け、
最後には自分の魔力で“封じた”。
きっと――
それが、この黒い箱。
ルベルは視線を落とさず、
静かに低く唸るような息を漏らした。
「……エレノアが触れたら……あれは“主”として認識しない」
「そ、それって……どうなるんですか……?」
ルベルの答えは短く、はっきりしていた。
「噛みつく」
「ひっ……!?」
言葉が喉で跳ねた。
“噛みつく”という単語の響きに、
エレノアは思わず足を一歩引いた。
だが、ルベルはゆっくり手を伸ばし、
エレノアが下がった距離をすぐに埋めた。
(ちょ、近っ――)
赤い瞳が揺れた。
「……怖がらないで。
噛みつくのは……あれ。
僕じゃない」
その声は驚くほど優しかった。
だが、すぐに続く。
「でも……エレノアが噛まれたら、
僕は……その“核”を殺す」
ぞくり、と背筋に冷たいものが走った。
“核を殺す”。
つまり、魔道具であろうと、
危険があれば破壊するという意味だ。
ただの言葉なのに、
そこに“獣の牙”が隠れているのがわかる。
エレノアは小さな声で尋ねた。
「ルベル……怖く、ないんですか?」
もし本当にあれが危険な魔力だとしたら。
近づくのさえ危険なはずなのに。
ルベルは、躊躇なく答えた。
「怖くない。
エレノアより危ないものなんて、ない」
え?
「……エレノアを危ない目に遭わせるものは全部……僕が壊す」
ひゅ、と喉が鳴った。
この言葉は、
“忠誠”でも
“やさしさ”でもない。
もっと、深くて、強い何か。
――執着の“芽”。
エレノアは胸を押さえた。
息が浅くなる。
(だめ……心臓が、変な感じ……)
彼は続けた。
「エレノアが望むなら、封印する。
望むなら、壊す。
……望むなら、触らせない」
エレノアはあわてて首を振った。
「こ、壊すのはだめです……!
師匠の遺したものですから……っ」
「……封印だけ?」
「はい……!」
ルベルは短く息をつき、
獣のような鋭さを少しずつ鎮める。
「わかった。
エレノアがそう言うなら……封印する」
安心しかけたその刹那――
ルベルの胸の奥から、
“ぐるる……”と低い魔力の震えが伝わってきた。
声ではない。
魔力の振動。
それは明らかに――
“敵意を向けられた獣の本能”だった。
エレノアは全身の毛が立つのを感じた。
(これ……本能の反応……!?)
彼の中の“獣”は、
あの箱を危険と見なし、
破壊対象として捉えかけている。
だけど――
ルベルはエレノアの望みを優先して、
自分の衝動を押し込めた。
その圧倒的な力の“我慢”が、
逆に恐ろしく見えた。
エレノアは震える声で言った。
「ルベル……ありがとう。
封印を……お願いできますか……?」
ルベルは顔を上げ、
まっすぐエレノアを見て頷いた。
「エレノアが望むことは、
全部……叶える」
その言葉が甘くて怖くて、
エレノアは胸の奥がひりつくほど熱くなった。




