棚の奥の“残滓”
棚の奥を睨みつけるように見据えるルベルの瞳は、
普段の柔らかな赤ではなかった。
光が細く鋭く絞られ、
まるで獲物を追う獣の目だ。
エレノアは思わず息を飲んだ。
「ル、ルベル……?」
呼びかけに返事はない。
代わりに、ほんの微かに肩が震えている。
緊張ではない。
反応を抑え込んでいる震えだ。
エレノアはそろりと棚の奥へ手を伸ばす。
黒い箱。
師匠が“絶対に触るな”と昔言っていた気がする。
けれど詳しい説明はなかった。
今まで反応したことは、一度もない。
エレノアは眉を寄せて呟く。
「たぶん……師匠の残していった……失敗作の魔道具……
だったはずなんだけど……」
その瞬間。
ルベルが“ぐっ”と前に出た。
エレノアと棚の間に、無言で割り込む。
「だめ」
低く、震える声。
「え……?」
「エレノア、近づかないで」
普段と違いすぎる声音に、
エレノアの胸がぎゅっと縮まる。
(ル、ルベルが……こんな声出すなんて……)
不安より先に、驚きが勝った。
ルベルは棚の奥を睨んだまま、言葉を続ける。
「……そこ、いやな気配がする」
「気配……?」
「エレノアに触れてほしくない。
近づかないで」
(これ……“守るため”の反応……?
危険を察知したときの、本能……?)
でも、ただの過剰反応とは言えないほど、
ルベルは全身を強張らせていた。
まるで――
その箱が“敵”だと、最初から知っていたみたいに。
エレノアは少しだけルベルの腕に触れる。
「だ、大丈夫ですよ。
これは、師匠が――」
「師匠でも、だめ」
ぴしゃりとした言葉に、
エレノアの手が止まった。
ルベルは続けた。
「……“あれ”は、造られる前の僕に……似てる」
「っ……」
脳の奥で何かがひっくり返ったような衝撃。
(造られる前……
召喚獣としてのルベルの……核の部分……?)
ルベルは眉をひそめる。
「……エレノアを護るための“獣”として……造られる前に感じた……
いやな、ざらざらした……魔力に似てる」
エレノアは急いで黒い箱を見る。
箱の縁が、確かにほのかに光っていた。
さっきより強い。
まるで――
“反応している”ように。
(まさか……
師匠が造ろうとした召喚獣の“失敗した核”……?)
違和感が確信に変わる。
エレノアの喉がひくりと鳴った。
「ルベル……それは多分……
師匠が、あなたの前に……試作していた魔道具です」
ルベルの赤い瞳が微かに揺れた。
「……僕の、前に?」
「そう。
きっと……召喚獣を安定させるための“核”を作ろうとして……
その残滓だけが……箱の中に残ったままなんだと思う」
ルベルは静かに息を吸い、吐いた。
「それは……エレノアに危ない」
目は鋭く、声は低く。
エレノアは、ルベルの“本能”の気配に気づきながらも、
彼の言葉にしっかり耳を傾けた。
「どう……危ないんですか?」
「……あれは、エレノアを“主”として見ない」
はっと目を見開いた。
(そ、そうか……
“主を護るための存在”になる前の段階の核……
命令も、人格も、従属も……まだ何もない獣の本能だけ……)
そんなものが起動したら――
エレノアに従うどころか、襲われる可能性もある。
そしてその後ろで、ルベルは言葉を続けた。
「僕の“前の姿”に似てる。
……でも、僕とはちがう」
黒い箱の中から微かに立ちのぼる魔力の“ざわり”。
エレノアの腕に鳥肌が立つ。
(……こんなものが……家の中にあったなんて……)
すると、ルベルがゆっくり振り返り、
エレノアを見つめる。
目は真剣で、少し怖いほど。
「エレノア。
あれは……僕より危ない」
息を飲む。
「僕がいるから、触っちゃだめ」
その言い方は、
まるで――自分の存在理由そのものを告げるかのようだった。
エレノアは胸がぎゅっと締めつけられ、
ただ小さく頷くしかなかった。




