取り残された者の記録
後日談、ノワール視点
鍵のかかった家は、静かだった。
ノワールは、エレノアが暮らしていた邸の前に立ち、
しばらくその扉を見つめていた。
封印魔術は、確かに施されている。
簡易ではない。
時間を稼ぐためのものではなく、
「戻らない」覚悟で掛けられた封印だ。
「……なるほど」
低く呟く。
扉に手を伸ばしはしない。
壊せば入れる。
だが、それをしなかったのは――
彼女の意思を、尊重したかったからだ。
エレノアは、ここを去った。
誰にも告げず、
誰にも縋らず。
その事実が、胸の奥に静かに沈んでいく。
ノワールは踵を返し、
村の通りへと足を向けた。
⸻
商店の戸を開けると、
懐かしい香りが鼻をくすぐる。
「……エレノアさんのことで」
そう切り出すと、
店主は少し驚いたように目を瞬かせた。
「ああ、エレノアちゃん?
王都へ行くって言ってましたよ」
「王都……」
「ええ。急ぎみたいでしたけどね」
奥から顔を出した店主の妻が、
少し寂しそうに笑う。
「ご主人のルベル君と、
いつも一緒だったのに……」
その言葉が、
胸の奥に、鈍く突き刺さった。
「……そうですか」
ノワールは、短く礼を述べた。
「もし、戻ってきたら……
一報、いただけますか」
「もちろんですよ」
店を出ると、
村は変わらぬ日常を続けていた。
畑。
子どもの声。
見慣れた景色。
――けれど。
ノワールは、ここでようやく気づく。
エレノアには、
親しい友人と呼べる存在がいなかった。
彼女は、
この村でずっと“独り”だった。
師匠を失い、
世界から一歩距離を取りながら。
――ただ一人、
彼女の隣に立ち続けていたのが、
ルベルだった。
「……」
守るために、
引き離した。
危険だからと、
遠ざけた。
だが――
支えを、奪ったのは自分だったのではないか。
その考えが、
初めて、ノワールの中に芽生えた。
⸻
ノワール邸へ戻り、
封印室へと足を向ける。
そこには、
封じられていたはずの魂核が――
「……?」
反応が、ない。
魔力の揺らぎも、
共鳴も、
すべてが消えている。
消滅。
それ以外の結論は、浮かばなかった。
「……終わった、か」
救った。
封印は成功した。
エレノアは、これで自由になれる。
そう――
思うべきなのだろう。
それでも。
胸の奥に残るのは、
勝利の感情ではなかった。
「……エレノア」
名を呼んでも、
返事はない。
彼女は、ここにもいない。
村にもいない。
この世界のどこにも――
見つからない。
ノワールは、静かに目を伏せた。
自分は、
正しい選択をしたはずだ。
それなのに。
なぜ、
これほどまでに、
冷たい風が胸を吹き抜けるのか。
「……救ったはず、だった」
言葉は、
誰にも届かず、
静かな部屋に溶けていった。




