夜に現れる異変
夜が降りた。
港町の風は穏やかで、
窓を叩く音もなく、
世界は驚くほど静かだった。
それなのに――
エレノアの胸だけが、騒がしい。
(……おかしい)
ベッドに横になっても、
眠気が来ない。
身体が熱を帯び、
内側からじわじわと温度が上がっていく。
布団を少しだけはねのける。
それでも、熱は逃げない。
(……薬……?)
昼間、ルベルが作っていた薬液。
“血の巡りを良くする”――
そう説明されたそれを思い出す。
飲んだ量は、ほんの少し。
調合も、彼らしい正確さだった。
なのに。
(……なんで……)
喉が渇く。
胸の奥が、妙に落ち着かない。
それは不調というより――
呼び水に近かった。
意識を閉じると、
ふっと、気配が近づく。
(……ルベル?)
名前を呼んでいないのに、
彼の存在だけが、はっきりと浮かぶ。
夢と現実の境が、溶け始める。
——赤。
瞼の裏で、
深紅の色がゆっくりと滲んだ。
あの瞳。
湯船で、何も触れずに、
ただ見つめてきたあの視線。
(……見ないで……)
心の中でそう呟いた瞬間、
逆に、意識が深く沈む。
——触れられていないのに、
——触れられている感覚。
それが、はっきりと起きた。
「……っ」
小さく息が漏れ、
エレノアはシーツを掴む。
夢だと、わかっている。
けれど、身体は正直だった。
(……こんなの……)
自分を責める言葉すら、
熱に溶けて輪郭を失う。
その時。
——すう、と。
魔力の流れが、
“整えられる”感覚が走った。
苦しさではない。
むしろ、安堵に近い。
(……あ……)
胸の奥が、
やさしく撫でられたように静まる。
それは――
ルベルが、遠くから触れている感覚だった。
実体はない。
けれど、確かに“寄り添っている”。
エレノアは、
無意識に、名前を呟いていた。
「……ルベル……」
その名を口にした瞬間、
熱は、完全に“甘さ”へ変わった。
——異変は、確かに始まっている。
けれどそれは、
苦痛でも、恐怖でもない。
むしろ――
拒めないほど、心地よい。




