午後に滲む、知らない熱
午後の光は、柔らかすぎるほどだった。
窓から差し込む陽射しが、
床に淡い模様を落とし、
部屋の空気をゆっくりと温めている。
エレノアは、作業机の前に座り、
ルベルのローブへ刺繍を進めていた。
針を通す。
糸を引く。
――いつも通りのはずなのに。
(……あれ?)
指先が、妙にあたたかい。
火に近づいたわけでも、
急に体を動かしたわけでもない。
それなのに、
脈が、いつもより強く打っている。
(……集中、しすぎたかな……)
糸を引く指が、わずかに震えた。
胸の奥が、
じん、と、
小さく波打つ。
理由のない高揚。
魔力が、
静かに、しかし確実に巡っている感覚。
(……おかしい……)
思わず、胸元に手を当てる。
動悸は速いが、
苦しくはない。
むしろ――
身体が、軽い。
(……さっき、飲んだお茶……?)
朝の後。
ルベルが「エレノアのために」と言って作った薬液。
疑ったことなど、なかった。
信じているから。
彼が、ルベルだから。
(……血の巡りが、良くなるって……こういう……?)
立ち上がると、
ふわり、と視界が揺れた。
倒れるほどではない。
けれど、
世界が一瞬だけ、近くなる。
窓辺へ移動し、
外の光を眺める。
港町の屋根。
遠くの海。
白い雲。
いつも見ている景色なのに、
今日はやけに鮮やかだった。
(……綺麗……)
胸の奥で、
なにかが、すっと開く。
同時に、
思い出してしまう。
湯船の中で見た、
深紅の瞳。
触れないのに、
見つめるだけで、
身体の内側までなぞられたような感覚。
(……だめ……)
小さく首を振る。
(……これは、ただの体調の変化……)
そう言い聞かせるのに、
指先が、無意識に糸を撫でていた。
布に触れる。
糸の感触。
それが、
なぜか――
誰かの指先を思わせる。
(……私……)
思考が、
一瞬、止まった。
エレノアは、深く息を吸い、
ゆっくり吐き出す。
(落ち着こう……)
そのとき。
背後で、
扉が、静かに軋んだ。
「……エレノア?」
ルベルの声。
低く、
穏やかで、
いつもと変わらないはずなのに――
その一言だけで、
胸の奥が、
はっきりと反応した。
(……どうして……)
振り返る前から、
彼の気配が、近いとわかる。
熱を帯びた午後の空気の中で、
二人の距離だけが、
静かに、縮まっていった。
エレノアは、
まだ気づいていない。
この“違和感”が、
偶然ではないことを。
そしてルベルは、
その反応を、
見逃すはずがなかった。




