縫い目に滲むもの
窓辺に置いた小さな机。
朝の光が、白い布地をやわらかく照らしている。
エレノアは、ルベルの新しいローブを膝に広げ、
針に糸を通した。
――指先が、少し震える。
(……集中しなきゃ)
深呼吸をして、
一針、また一針。
花の文様を縫い進めるたび、
糸が布に沈み、また浮かび上がる。
それはまるで――
心臓の鼓動みたいだった。
(……血の巡りが良くなる薬液……)
ルベルの言葉が、
ふと頭をよぎる。
“エレノアの為に”
その一言が、
どうしてあんなにも胸に残るのだろう。
(……信じてる。信じてる、けど……)
針先が、わずかに布を噛んだ。
「……あ」
小さな声が漏れる。
ほどけないほどではない。
でも、糸の流れが乱れた。
(……私、変だ)
昨日の夜。
湯気と月明かりと、
深紅の瞳。
触れられていないのに、
“触れられた感覚”だけが、まだ身体に残っている。
(……欲しがってるみたいじゃない……)
指が、無意識に布を強く掴む。
ローブは、
彼のためのもの。
守るためのもの。
温めるためのもの。
それなのに――
(……離れたくない、なんて……)
糸を引く手が、止まる。
視線が、部屋の奥――
調合室の方へ向かう。
今、ルベルはひとりで作業をしている。
呼んでいない。
呼ばれてもいない。
それが、少しだけ……
怖い。
(……私、依存してる?)
胸の奥が、きゅっと痛む。
でも、すぐに首を振った。
(違う。違うわ……)
師匠の言葉が、
また思い出される。
――共に歩む者に出逢えたら、彩りはさらに豊かになる。
彩り。
この刺繍も、
その“彩り”のひとつであってほしい。
エレノアは、
そっと文様の中心に、
小さな“護符の形”を忍ばせた。
魔力を込めない、
ただの形。
それでも――
願いだけは、確かに縫い込む。
(……どうか、ルベルが……)
――壊れませんように。
――奪われませんように。
――私から、遠ざかりませんように。
針を抜く。
糸が、すっと整った。
その瞬間、
なぜか胸がざわめいた。
理由は、わからない。
ただ――
この家のどこかで、
別の“準備”が進んでいる気がしてならなかった。
エレノアは、
もう一度、深く息を吸い、
何事もなかったように、
次の一針を落とした。




