湯の静寂、視線の檻
先にエレノアが浴室へ入った。
湯船に身を沈めると、肩までじんわりと温かさが広がる。
(……落ち着け、私)
湯気が立ちのぼり、視界が柔らかく滲む。
扉の向こうで、気配が一つ増えた。
「……エレノア」
低く、抑えた声。
「入っても……いいか?」
一拍。
胸の奥で、心臓が跳ねる。
(聞かれるって……こんなに……)
「……はい。どうぞ」
扉が開く音。
ルベルは視線を伏せたまま、静かに身体を洗い始めた。
水音だけが響く。
布が擦れる音。
呼吸。
湯船に入ってくる気配がして、湯がわずかに揺れた。
――無言。
近い。
でも、触れない。
ルベルは湯に浸かったまま、ただエレノアを見ている。
赤い瞳が、湯気越しでもはっきりわかるほど、熱を孕んで。
(……なに、この沈黙……)
視線に絡め取られて、逃げ場がない。
「……何か、言ってください」
耐えきれず、エレノアが口を開いた。
ルベルは一瞬、目を細める。
「……いいのか?」
「え?」
「言葉だけでも……抑えるのが、少し楽になる」
「……触れちゃ、ダメですよ?」
「……ああ」
即答だった。
そして、ほんの少しだけ声の温度が変わる。
「じゃあ……巻いてるタオル、外してくれないかな」
「――っ!?」
湯気の中で、エレノアの思考が真っ白になる。
「な、なんで……!?」
「触れない。約束は守る」
ルベルの視線は逸れない。
むしろ、深く、絡みつく。
「……ただ、見ていたいだけだ」
低く、静かで、逃げ道を塞ぐ声。
「エレノアが……俺の前にいるって、確かめたい」
湯が、静かに揺れる。
心臓の音が、やけに大きい。
(だめ……これ……逃げないと……)
ルベルは一切動かない。
手も、肩も、距離も。
視線だけで、檻を作っている。
「……どうする?」
そう問う声は、優しいのに残酷だった。




