港町に住まう新婚
潮の香りが、通りを満たしていた。
港町の朝は賑やかで、
石畳には行き交う人の足音と、
遠くから聞こえる波の音が混ざり合っている。
商店の裏口に、
小さな木箱が二つ、丁寧に置かれた。
「……いつもありがとうございます」
店主がにこやかに受け取り、
中身を確かめるように蓋を開ける。
整然と並ぶ薬瓶。
透明なガラス越しに、淡い色の薬液が揺れた。
「品質は相変わらずだね。
……それにしても」
店主の視線が、ふと二人へ向く。
「本当に仲がいい。
新婚さん、って感じだ」
その言葉に、
エレノアは一瞬だけ目を伏せ、曖昧に微笑んだ。
否定もしない。
肯定もしない。
けれど——
隣に立つ“彼”の存在が、
その言葉を否定させなかった。
深くフードを被った長身の男。
港町の喧騒の中でも、妙に目を引く立ち姿。
顔は見えないはずなのに、
歩き方、佇まい、距離感。
なにより、
エレノアのすぐ隣に“当然のように”いる、その在り方。
通りを行く女性たちの視線が、
自然と彼へ集まっていく。
「ねえ……あの人、絶対美形じゃない?」
「フードの下、見てみたい……」
そんな囁きが、風に混じって聞こえた。
——次の瞬間。
わざとらしく、
ひとりの女性がよろけるように進路を変えた。
(……あ)
エレノアは小さく息を吐く。
「……はぁ」
肩がぶつかる、ほんの寸前。
フードの男が、
何の感情も見せずに一歩、位置をずらした。
それだけで、
女性は空振りのまま通り過ぎる。
そして——
低く、近い声。
「……エレノア」
名前を呼ばれただけなのに、
胸の奥が、すっと温かくなる。
次の瞬間。
額に触れる気配。
そして、唇に落ちる、軽い感触。
「……ちゅ」
短くて、静かで、
誰にも見せつけるようなものじゃない。
けれど。
確かに“選ばれている”ことを告げる仕草。
周囲の空気が、
一瞬、凍った。
「……え?」
「今の……?」
視線が集まるのを感じながら、
エレノアは思わず目を見開き——すぐに赤くなる。
「る、ルベル……!」
抗議の声は小さく、
けれど、その距離は離れない。
フードの下で、
ルベルはわずかに笑った。
誰にも見えない、
けれどエレノアだけにはわかる微笑み。
「……大丈夫。
ちゃんと、戻ってくるって印」
その言葉は、
独占でも、誇示でもなく。
“当然”の確認だった。
エレノアは観念したように、
小さく肩をすくめる。
(……もう。
どこへ行っても、こうなんだから……)
港町の喧騒の中。
薬瓶は無事に納品され、
新婚と誤解された二人は、
何事もなかったように通りを歩き出す。
フードの影に隠された赤い瞳が、
一瞬だけ周囲を見渡し——
そして、
迷いなく、エレノアだけを見る。
この街でも。
この世界でも。
彼の帰る場所は、
もう、ひとつしかなかった。




