木苺パイと覗いた牙
木苺パイが焼き上がると、
小さな家は甘酸っぱい香りで満たされた。
エレノアはオーブンからパイ皿を取り出し、
ふうふうと息を吹きかけながらテーブルへ運ぶ。
「わぁ……いい匂い……
久しぶりに上手く焼けたかも……」
ルベルは椅子に座り、じっとパイを見つめていた。
赤い瞳が熱を宿しているように見える。
「……食べてもいい?」
「も、もちろんです!
あの……火傷しないでくださいね」
「しない」
少しだけ得意げな言い方で、
エレノアは思わずくすっと笑ってしまった。
ナイフで切り分けると、
ルベルが横からじっと覗き込む。
「……どうしてそれ、そんなに細かく切るの?」
「えっ、えっと……食べやすいから?」
「ふーん……」
興味なさそうでいて、実はとても集中して見ている。
そんな姿にエレノアの方が落ち着かない。
皿に盛って渡すと、ルベルはフォークを手に取り、
一口、ゆっくり口へ運んだ。
「……」
静かに噛んで、飲み込む。
息を吸い、目を閉じ――
「……エレノアの味がする」
「ぶはっ……!?!?」
「木苺の甘さと……優しいところ」
いや待って。
木苺の甘さと“優しいところ”って何!?
「ちょ、ちょっとルベル!?
なんでそんな言い方するの!?恥ずかしい!!」
「……違った?」
「違くはないけど違う!!なんて言えば……!」
エレノアが混乱していると、
ルベルはふっと口元をゆるめた。
「美味しいって意味」
「最初からそう言って!!」
心臓が忙しすぎて泣きそうだった。
ふたりでパイを食べ進めて、
家の中が静けさに包まれた頃。
ルベルが突然、フォークを止めた。
「……エレノア」
「え?ど、どうしたんですか?」
ふつうの呼びかけに聞こえたのに、
その声は妙に低くて、胸に落ちる。
ルベルはテーブル越しにエレノアをじっと見つめ、
わずかに目を細めた。
「今日は……村の人に、
何人も見られてた」
(あ……ああ……そういえば……)
エレノアはパイの上の木苺をいじりながら、
気まずそうに目をそらした。
「え、えっと……その……
あなた目立つので……」
「エレノアの周りを……見てた」
「……え……?」
赤い瞳が、ほんの一瞬だけ鋭く光った。
「じろじろ……何人も」
エレノアの喉がひくりと動く。
(……これ、
“嫉妬”と“警戒”の混ざった目……?)
ルベルはフォークを置き、
ゆっくりと手を伸ばした。
エレノアの頬に触れる前で――
また止まる。
触れない。
触れないのに、距離が近くて息が触れそう。
「エレノアは……僕のもの?」
「へえぇええぇぇぇ!?!?」
椅子ごとひっくり返りそうになった。
「ち、ち、違……っ!
違うというか……その……!!
いや違います!!!」
ルベルは少しだけ首を傾げた。
「違う……?」
「違います!!
“もの”じゃないです!
私は……私は……っ」
言葉が詰まった。
ルベルはしばらくエレノアを見つめ、
そのあと、ほっとしたように手を引っ込めた。
「……じゃあ、
これから“違わなくなる”?」
(え……え……なにそれ……)
その言葉はまるで、
獣が獲物に向ける“契約の宣言”のようで。
甘い香りに満ちた部屋の中で、
ひとつだけ、危うい影が伸びた気がした。




