呼び戻す名
ランプの炎が小さく揺れ、
古い魔術書の頁に影を落としている。
エレノアは机に向かい、
師匠の残したその一冊を、静かに開いた。
革表紙は擦り切れ、
何度も読み返された痕がある。
――師匠の魔術書。
ただの理論書ではない。
頁の余白、行間、角という角に、
走り書きとメモがびっしりと残されている。
「……」
エレノアは声を出さず、
その文字を指でなぞった。
丁寧ではない、
急いで書き留めたような文字。
インクが滲み、
ところどころ線が重なっている。
――それでも、はっきりとわかる。
これは、遺された声だ。
(……師匠……)
頁の端に書かれた短い一文。
「魂は断たれても、
絆が残るなら、道は消えない」
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
エレノアは、そっと息を吸い、
次の頁をめくった。
そこには、
明らかに後から書き加えられたメモがあった。
インクの色が違う。
文字の癖も、微妙に崩れている。
「契約者が“喚びたい”と願う限り、
召喚獣は完全には消えない」
指が止まる。
(……喚びたい……)
胸の奥で、
赤い花が微かに脈打った。
まるで、
その言葉に応えるように。
エレノアは、無意識のうちに
唇を噛みしめていた。
(……私、まだ……)
――喚びたい。
危険だと、わかっている。
禁術だと、何度も突きつけられた。
それでも。
師匠の文字を追うたび、
心が否定できない方向へ引き寄せられていく。
「魂核は“個”ではなく、“重なり”として存在する」
「失われたと思った瞬間が、一番危険だ」
危険。
けれど同時に――可能性。
エレノアは、魔術書を胸に抱き寄せた。
紙越しに伝わる重みが、
まるで師匠の手のように感じられる。
(……もう一度……)
喉の奥が熱くなる。
ルベルを、
再び自分のもとへ。
完全な形でなくてもいい。
封印されていてもいい。
ただ――
(……声だけじゃなく……
“そこにいる”って、感じたい……)
指先が、
自然と次の頁をめくった。
そこにあったのは、
はっきりとした文字ではなく、
丸で囲まれた言葉。
「再喚起は、“代償”を伴う」
ランプの炎が、
一瞬、強く揺れた。
エレノアは、その文字から目を離せずにいた。
(代償……)
それでも、
ページを閉じる気にはなれなかった。
なぜなら――
この書は、
エレノアを止めるためではなく、
導くために遺されたものだと、
もうわかってしまったから。
机の上に広げられた魔術書。
走り書き。
指先に残るインクの感触。
そのすべてが、
ひとつの方向を指している。
――ルベルを、再び喚ぶために。
エレノアは静かに目を閉じ、
胸の奥で、その名を呼んだ。
声には出さず、
ただ、確かに。
赤い花が、
応えるように、強く脈打った。




