現世に“繋ぎ止める媒体”
満月は、静かに沈み始めていた。
赤い花は、もう閉じない。
それは“咲いた”のではなく――定着したのだ。
エレノアは、胸元に手を当てる。
鼓動に合わせて、花の中心が淡く光る。
(……戻らない……)
理解は、恐怖より先に来た。
変化は、目に見えるほどではない。
けれど、確実に――身体の奥で起きている。
呼吸が、深くなった。
魔力の巡りが、以前よりも滑らかで、速い。
魔術を使おうと意識しただけで、
術式が“浮かぶ”。
詠唱が、要らない。
(……こんな……)
指先に集まる魔力は、
これまでのエレノアのものと、少し違う。
質が、近い。
あまりにも――ルベルに。
鏡の前に立つ。
瞳の色は変わっていない。
けれど、光の入り方が違う。
暗い場所でも、世界がくっきりと見える。
聴覚も、嗅覚も、
すべてが“拾いすぎる”。
そして――
一番の変化は、睡眠だった。
眠るとき、境界が消える。
夢に入る、のではない。
重なるのだ。
赤い花が、媒介になる。
花弁の中心から伸びる、
見えない“糸”。
それは魂核へ――
さらにその奥へと、繋がり続けている。
(……私の身体が……器に……?)
否定しきれない感覚。
身体は、もう“ひとり分”ではない。
常に、もう一つの存在を受け入れる前提で整えられている。
拒絶は、できない。
拒めば――自分が壊れる。
だから、エレノアは息を整え、
その変化を受け入れた。
(……ルベル……)
名前を思うだけで、
赤い花が、応える。
魔力が、返事をする。
不可逆。
それは、失ったからこそ生じた変化。
彼を封じられた代償として、
エレノアは――境界の存在になった。
人であり、
契約者であり、
そして――鍵。
満月は完全に沈み、
夜は、静かに深くなる。
その静寂の中で、
誰にも見えないところで、変化は完成した。




