夜毎に、呼ばれる
最初は、気のせいだと思った。
眠りに落ちる、その直前。
意識がほどける、ほんの一瞬。
――呼ばれた気がした。
「……エレノア」
名前だけ。
はっきりした声じゃない。
けれど、間違えようのない“彼”の響き。
胸の奥が、きゅっと縮む。
(……また……)
それは一夜だけじゃなかった。
二夜目も、
三夜目も。
眠りの縁に立つたび、
必ず――呼ばれる。
そして、その夜から
夢が変わった。
⸻
夢の中。
そこは、
あの家だった。
薪の匂い。
ランプの淡い光。
夜の静けさ。
「……エレノア」
背後から、声。
振り向くより早く、
温度があった。
抱き寄せられるわけじゃない。
触れられているとも言えない。
けれど――
“そこにいる”と、体が理解してしまう距離。
「……来た」
耳元で、低く囁かれる。
それだけで、
胸が熱を帯びる。
(だめ……夢……これは夢……)
そう思うのに、
拒めない。
なぜなら、
夢の中のルベルは――
あまりにも、優しかった。
触れる前に、必ず問いかける。
「……触れて、いいか」
夢だと分かっているのに、
その問いが、
胸の奥を甘く締めつける。
エレノアが頷くと、
彼は決して急がない。
髪に触れる。
頬に手を添える。
額に、静かな口づけ。
それだけで、
世界が満ちる。
(……ずるい……)
夢の中の彼は、
現実よりもずっと静かで、
ずっと深く、
離れる気がない。
「……逃げなくていい」
「……ここでは、俺しかいない」
囁きは、
甘く、
重く、
絡みつく。
触れ合いは、
いつも途中で終わる。
それ以上は描かれない。
けれど、
“続きがある”と、心と体が理解してしまう。
目が覚める瞬間、
必ず――
「……愛してる」
その言葉だけが、
はっきり残る。
⸻
朝。
胸が、妙に熱い。
体に触れられた痕跡はない。
けれど、
感覚だけが、消えない。
(……これは……)
魔術師として、
エレノアは理解してしまう。
――魂核の残滓。
――深層意識への干渉。
――契約の名残。
理屈は、ある。
だが――
(……夜だけ……)
夜になると、
また、呼ばれる。
拒めない。
拒みたくない。
だって、
夢の中でだけは――
ルベルは、
失われていない。
⸻
その頃。
封印核の内側で。
ルベルは、
“触れている”つもりはなかった。
だが、
呼ばずにはいられなかった。
(……エレノア……)
声だけ。
気配だけ。
夢の縁に、指先を置くだけ。
それなのに――
彼女は、
毎夜、来る。
拒まない。
逃げない。
それが、
どれほど彼を狂わせているか――
本人だけが、知っていた。
(……夢で……これなら……)
核の奥で、
静かな欲が、形を持ち始める。
――夢なら、許される。
――触れても、現実じゃない。
――彼女は、拒んでいない。
そんな理屈が、
檻の中で、ゆっくり歪んでいく。
(……もっと……)
夜毎、
夢は、少しずつ深くなる。
触れ合いは、
少しずつ長くなる。
言葉は、
少しずつ、独占的になる。
――それはもう、
“慰め”ではなく。
執着が、彼女の眠りを占領し始めていた。




