扉の向こうに眠っていたもの
地下室の倉庫に入ると、乾いた木の匂いと古い紙の香りがふわりと漂った。
棚には壺や調合用の瓶がずらりと並び、埃が薄く積もっている。
魔法灯をかかげて奥を覗くと、目的の精霊の粉がひっそり並んでいた。
「……あった!」
安堵の息が漏れた、そのときだった。
瓶を取った拍子に、棚の奥で何かが光った。
まるで「押して」と聴こえる。
「……なにこれ?」
もちろん、押すつもりなんてなかった。
ただ、少し触れてみようと指を伸ばしただけ。
ほんの、かるく――
カチッ。
……しまった。
と思った瞬間、床がわずかに震えた。
次いで、壁の奥から
ゴトッ、カタタン……と、
止まっていた歯車が再び回り始めるような音が響く。
「え、えっ……?」
倉庫の壁の一部が横にずれていく。
埃がふわりと舞い上がり、暗闇の奥から冷たい空気が流れ出した。
隠し扉が、そこにあった。
エレノアはごくりと喉を鳴らし、魔法灯を掲げながら中へ足を踏み入れた。
そこは――
見覚えのある、そして忘れられない匂いがした。
師匠の魔術研究室。
埃にまみれているのに、どこか懐かしく、温かい空気がまだ残っているように思えた。
机や器具はそのままの配置で、時間が止まったようだ。
中央の机には、一冊の古い魔術書がぽつりと置かれていた。
開きっぱなしだ。
(師匠の……?)
恐る恐るページをめくる。
読み進めれば進めるほど、その内容に背筋がぞくりとした。
「……禁術…っ…!」
天に召された者へ血肉を付与し、この世へ呼び戻す術。
古代より封じられ、触れてはならない領域。
しかし、師匠の筆跡は迷いなく、静かで、どこか優しい。
エレノアは震える指で、最後のページへと手を伸ばした。
――そこは、突然途切れていた。
続きを示す文字は、一切ない。
未完のまま、放り出されたように静かだった。
まるで、師匠の時間だけがそこで止まってしまったように。
「……続きが、存在しないんだ」
エレノアの胸に締め付ける痛みが走る。
なぜ師匠はこの研究を?
どうして書き終えていないのか?
尋ねる相手はもういない。
そっと机に魔術書を元の場所へ。
精霊の粉が入っている瓶を持つ。
埃の匂いが舞い、静寂が足元まで降りてくる。
「……戻らなきゃ」
そう呟きながらも、視線は魔術書の表紙から離れなかった。
気付けば、心の奥でひとつの考えが芽生え始めていた。
(……もし、私なら――続けられる?)
エレノアは研究室の扉を閉ざし、元の倉庫を通り抜け、階段へ向かう。
精霊の粉と 魔術書 を抱えて…




