刻まれた名
その晩、ルベルは深い眠りに落ちていた。
生まれたばかりの存在なのに、眠り方は不思議と人間に近い。
胸がゆっくり上下し、長い睫毛が微かに震えている。
エレノアは毛布をそっと掛け直し、安堵しているようないないような複雑な気持ちで部屋を出た。
一方その頃――
ルベルは夢を見ていた。
赤い霧の満ちる空間。
形を持たないまま、ただ“存在していた頃”の記憶。
そこに、一人の老齢の男がいた。
ぼやけた輪郭。
だが強い魔力の流れだけは鮮明で、温かい。
「……まだ、見つからない……か……」
途切れ途切れの独り言。
その声は、深い後悔と焦りと、優しさが混じっていた。
ルベル――いや、“存在する前のルベル”はその言葉をただ受け取っていた。
理解はできない。
しかし、魔力として刻み込まれた。
老魔術師は震える手で魔術陣をなぞりながら、何度も一つの名前を呟いた。
【エレノア】
その度、ルベルの核のような部分が熱を帯びた。
(……エレノア……)
名前の意味などわからない。
しかし、その音だけが特別扱いされている感覚があった。
そして――
老魔術師は消える。
魔力が散り、命が尽きるように霧へ溶けた。
強烈に刻み込まれた名前が唯一つ。
【エレノア】
その名の主を命を賭して護れ。
その命令だけが残った。
そこへ、別の魔力が流れ込んできた。
若い、柔らかい、けれど不器用な、
どこか震えているような魔力。
(……エレノア?)
違う。
この魔力は“願っている”。
孤独。
寂しさ。
誰かに巡り会いたい……という切実さ。
そして――
魔術陣が変質する。
まるでこの願いに合わせて、
獣ではなく、“人”の形へと書き換わるように。




