黒衣の青年と、静かな微笑み
朝の眠気がまだ残る中、
エレノアはキッチンで湯気の立つハーブティーを抱え、
ふらふらと深呼吸していた。
(……今日は落ち着いて過ごしたいなぁ……
昨日からずっと胸が忙しい……)
そんなとき。
コン、コン。
突然のノックに、
エレノアの肩がビクッと跳ねる。
「ひっ……! だ、誰……!?
私、今日は人と会う予定……ないはず……!」
背後では、
ルベルが音のした方へ身体を向け、
静かにエレノアの前へ一歩出た。
その動きは、
明らかに“守る形”。
(また出た……騎士みたいな動き……
うれしいけど……扉開けづらいのよね……)
エレノアは意を決し、扉をそっと開ける。
そこに立っていたのは――
黒衣に身を包んだ、長身の青年。
落ち着いた黒髪。
都会の魔術師らしい気品。
金の瞳が朝の光に細く揺れた。
そして彼は、
懐かしむように優しく微笑んだ。
「……エレノア。
やっと会えた」
その声だけで、
エレノアの胸がきゅっとなる。
「ノ、ノワール……?」
「覚えていてくれたんだね。
よかった」
柔らかい笑み。
優しい眼差し。
それだけで気持ちが楽になる。
(あ……懐かしい……
私、昔……この人とちょっとだけ遊んでもらった……
シュヴァルツ様の弟子で…
唯一、怖くなかった人……)
胸の奥で、
ぽっと温かい何かが溶けた。
エレノアは思わず微笑む。
挙動不審なのに、
それすらノワールには“可愛く”映った。
しかし——。
ノワールの視線がルベルに移った瞬間、
空気が変わった。
先ほどまでの柔らかさを
完全に消し去った無表情。
瞳の色すら冷たく感じられる。
「……君は?」
声まで低温。
対してルベルも、
感情のない目で返す。
「エレノアの……仲間だ」
「そうか。
……用件があるのはエレノアだけだ」
塩対応。
砂利対応。
もはや氷対応。
(や、やばい……!
雰囲気凍りついてる……!?)
慌てたエレノアは挙動不審MAXで手を振った。
「まっ、待って!
あ、あの! ノワールは師匠の友人の弟子で……
うぅ……その……むかし……知り合いで……!
こちらは……えと、その…」
言葉が転がり落ちるように詰まる。
顔は真っ赤。
手はばたばた。
ノワールはそんなエレノアに静かに笑う。
「落ち着いて、エレノア。
君が覚えていてくれて、それだけで嬉しい」
やわらかい声。
そして、
その笑顔のまま――
彼は胸に手を当て、わずかに瞳を伏せた。
「……シュヴァルツ師が……
先日、老衰で天に召された。
……伝えに来たんだ」
エレノアの呼吸が止まる。
「……シュヴァルツ様が……
そっか……」
瞳が揺れる。
ノワールは静かに言葉を続けた。
「最後まで、君の話をしていたよ。
“エレノアはきっと、立派な魔術師になる”って」
胸の奥が甘く痛む。
涙をこらえるエレノアを見て、
ノワールの微笑みはさらに柔らかくなった。
本当に優しい目だった。
その表情に、
エレノアはほっと息をつく。
だが――
背後のルベルの魔力だけが
ひりつくように鋭く揺れていた。
ノワールの穏やかさを受けるたびに、
エレノアの魔力が細く甘く反応するのを
ルベルは敏感に感じ取ってしまっていた。
(……あの男……
エレノアを“見る目”が……違う)
静かに、確実に。
ルベルの内側で、
獣の本能が牙をむき始めていた。




