静かな家に残る声
森に囲まれた石造りの小さな家は、今日も変わらず静かだった。
窓の外では鳥が遠くで鳴き、風が木々を揺らし、淡い光が部屋の床に落ちる。
けれどその穏やかな景色は、エレノアの胸をほとんど慰めてはくれなかった。
彼女はまだ二十三歳。
魔術師としては未熟で、失敗ばかりの毎日だ。
それでも、ここまで歩いてこられたのは
――あの人がいたから。
「……師匠」
口にすると、胸がきゅっと縮まった。
拾われたあの日から、ずっと優しくしてくれた。
書物の余白に書かれた細かなメモは、今読み返せばどれも気遣いに満ちていて、当時は何も気付けなかった自分が悔しくなる。
思い出がふっと蘇る。
あの日、弱々しい息の中で師匠は笑った。
『人は独りでも生きていけるが、共に歩む者に出会えたら彩りはさらに豊かになるだろう?
私がエレノアと出逢えたようにね』
大きな手が優しく頭を撫でた感覚が残っている。
あの温もりに触れた最後の瞬間を、エレノアは今でも鮮明に覚えていた。
「……会いたいな」
呟いても、返事はない。
自分の声だけが吸い込まれていく。
師匠を失ってから、エレノアの世界は再び静まり返った。
人見知りが悪化して、村に行けば挙動不審。
目も合わせられず、どう返せばいいか分からず、結局逃げるように帰ってくる。
友人はできない。異性と話すとさらに固まる。
「ボッチ魔術師……レベルだけ無駄に上がってる気がする……」
思わず顔を覆いそうになった。
そんなひとりごとの中、調合していた釜から小さく音がして、慌てて杓子を回す。
あと少しで仕上がる。仕上げには――精霊の粉が必要。
「よし……あとは粉を入れて……」
気合いを入れて棚へ向かう。
しかし、瓶を持ち上げた瞬間、彼女の表情が固まった。
からん、と虚しい音。
中身は空っぽだった。
「……え?」
慌てて棚の段をすべて確認する。
どれも同じ。どこにもない。
「うそ……切らしてる……!」
両肩が落ち、深くため息をついた。
これがないと今日の調合は完成しない。
代わりも利かない。
失敗したらやり直しだ。
「ほんと私、ダメだなぁ……」
視線を伏せたまま、指先を口元に当てる癖が出る。
(……そういえば、地下室に予備があったかも)
それを思い出し、魔法灯を手に取った。
階段の前に立つと、ひんやりとした空気が肌に触れた。
灯りが壁を照らし、細長い影が伸びていく。
ゆっくりと足を踏み出すと、靴音が静かに反響した。
一段、また一段。
薄暗い階下へと降りていく。
精霊の粉を取りに――ただ、それだけのつもりだった。




