第五話
2015/07/20 本文訂正、後書きにおまけ付加
ご指摘、本当にありがとうございます。
多くのブックマーク登録、評価、ありがとうございます。
これだけたくさんの方に自分の小説を評価を頂いたのは初めてなので嬉しいです。
腕を引っ付かんだままの怜に付いて行ったら、人気のない校舎裏だった。皮肉にも、姫希に連れてこられた場所である。
姫希は壁ドンだけで終わったが、怜には何をされるのか。どうにも嫌な想像ばかりが浮かんでしまって困る。鉛筆は持っていないと思うが、今でもあのひやりとした感覚を思い出すと、寒気がするのだ。そんな中で人目のない所に連れられたら、不安を煽られてしまう。
「……ここなら邪魔は入らないだろう」
ずっと優子の前を歩いていた怜が、ふとこちらを向いた。
「改めて聞く。何故、手を抜いた」
台詞こそ同じだが、少なくとも、優子を壁に叩き付けた時程の激情は感じない。……慣れて感覚が麻痺してきたのか、それとも自棄になったのかも知れないが。
ただ、今の優子は怜に対してさほど恐怖を抱いていなかった。
「ずっと聞きたかったんですが、そもそも何の話ですか? 手を抜くとか、抜かないとか……」
だから、怜の顔を真っ直ぐ見て問う。
「忘れたのか? 今回の考査の事だ」
何を今更、と怜がむっと顔を顰める。対し、優子は半眼になった。
“今回の考査”どころか、考査は手を抜いてばかりだ。真面目にやっているのは、成績が掲示板に張り出されない模試だけである。
「前は首位を獲っただろう」
「はあ? え、あ……ああ、そう言えば……!」
放課も気にせず勉強しているのに、優子は首位ではない。それ故、何食わぬ顔で首位を獲り続ける秋峰怜に劣っているとクラスの笑いの種でもある。
そんな優子が首位に登り詰めたものだから、優子よりも、優子の友人の方がお祭り騒ぎだった。
誕生日とバレンタインに三倍返しと見返りを求められつつ、お祝いで大量に菓子を貰った事を思い出し、少しだけ目が遠くなる。あれは壮絶だった。
「でも、あれは……」
女子の生理現象で体調が悪く、点数の計算を誤ったのだ。いつもは八割前後を狙っていたのだが。
やらかした、と露骨に顔に出す優子に、怜は「やはりな」とどこか諦めにも似た声を出す。
雰囲気から察するに、優子が首位になった方が珍しいと気付いているのだろう。話していて怒りがぶり返したか、怜の顔が歪んでいく。
「全く、ようやく本気を出すのかとわくわくしていたのに、あの様とはな。俺も今回はついやる気を出して、自己最高点を叩き出してしまったんだが」
……わくわく。やる気。時折横柄な言い方にそぐわない単語が混じっているのは気のせいか。
「……俺が馬鹿みたいだ」
彼は、怒っているのではなかったか。それなのに、どうしてだが泣きそうに見えて、優子は慌て言葉を紡ぐ。
「だって、……別人に見えたんです」
白羽学園に外部生として入学し、優子は初めて怜がどのように生活していたかを知った。付属小学校に在籍していた時代から首位を獲り、ヒエラルキーの頂点に君臨する怜を目の当たりにしたのだ。
これは誰だろうと、真っ先にそう思った。小学校の頃の、どことなく無邪気な怜はどこに行ってしまったのかと。
初めて会った時は、ゲームと違う怜に戸惑った。だが、毎週のように怜の家に通い続け、机を並べていれば、感じ方も違ってくる。優子はいつからか彼を“秋峰怜”だと認識し、心惹かれていた。
だが学園で遠目に見て、そこに、一緒に勉強していた時に見せていた、人間味のある笑顔の面影はどこにもなかった。いつも何か警戒しているような張り詰めた空気を纏った彼は、正しくゲームで見ていた秋峰怜だった。
「それで、何となく、怖くなって……」
一瞬だけ、凍ったような双眸を向けられた事がある。優子を見ても揺らがないその目に、どきりと心臓が嫌な音を立てた。お前に興味はないと、そう言われた気がして。
怜が一気に遠い存在になった。それはゲーム補正のせいかもしれないし、別の要因があるかもしれない。何が理由であれ、少なくとも、優子の知り得ない“秋峰怜”となったのは確かだった。
それならば、彼に選択を委ねようと思った。いずれ、柏木姫希は現れる。その時、ヒロインはどう行動し、彼はどう振る舞うのか。予測もつかないが、結果、怜が何を選んでも、素直に受け入れようと思った。彼の決断に優子の意志など要らないし、あってはならない。
実際に柏木姫希が現れ、彼女がどんな人間か知っても、それは変わらなかった。大学と怜、二つも取るのは傲慢だろう。こうやって生きているのですら奇跡的で感謝すべきなのに、夢を二つも叶えるなんて、あってはならない事だと思ったから。
だから、姫希がどれだけ怜に引っ付いていても、優子は沈黙を保った。嫉妬などない。これがあるべき形なのだと言い聞かせ、ただひたすらに勉強に打ち込んだ。……どうせ怜が一番だろうという、学園に広がる投げ遣りな空気をぶち壊す勇気はなかったが。
「納得できない。別人に見えて怖かったから、本気でやらなかっただと? 俺がこの三年間をどれだけ楽しみにしてたか、知らないだろう」
「……すみません。それは分からないです、意味が」
睨め付けてくる怜。段々収拾がつかなくなる会話に、優子は思い付きを口にした。
「それなら、センター試験で勝負しましょうか?」
そこなら、優子も全力を出す。ゲームの世界か否かなど関係ない。誰にも譲らない。自分はその日の為だけにこの十数年間頑張ってきたのだから。
それなら文句はないだろう。優子が目線で問うと、怜は少し考えた後、
「……分かった」
不承不承といった様子ながら首肯した。
ふと、怜が言葉を発する。
「賭けでもするか?」
「賭け、ですか」
「ああ。負けたら、勝った方の要求を聞くんだ」
「そんな事しなくても、本気でやりますよ。……もしかして、手を抜くと思ってるんですか」
優子の文句を歯牙にもかけず、怜は飄々と言ってのけた。
「保険だ。言うに事欠いて“本気じゃなかった”なんて、流石にやってられない」
「……」
手を抜く、の部分を否定されなかった。信用のなさが伺える。
「俺も、何でも聞く。だから、今回こそは本気でやってくれないか」
懇願され、自分は意外に欲張りだと、ようやく気付く。
怜の事など、自分には関係ないと思っていた。大学という道を選んだ自分には、怜に近寄る資格はないと、ずっと思っていたから。
だが、今、思わぬ道を示されて、ぐらりと意思が揺らいだ。
思い通りにしても良いのだろうか。
望んでも良いのだろうか。
優子は知らず知らず口の端を持ち上げた。
「吠え面かいても知りませんからね」
そちらがその気なら、自分も好きに動いてやろうではないか。
「……それは分からないだろう」
どこか拗ねたように、しかし満足そうに怜は言い返した。
因みに、その年のセンター試験で、優子の得点率は軽々九割五分を越えた。
本編はここで終了。
以降は数話、蛇足の話を投下予定です。
↓以下おまけ↓
「怜君。自己採点終わりましたよ」
「何点だった?」
「894点です」
「………………いや違う、リスニングは入れるな」
「入れてませんが」
「……(撃沈)」
優子、最早化け物並みの点数。(リスニング含めず、満点は900点)




