私は逃げます
男の手から放たれた、私の身長くらいある大きな火の玉。
急なことで反応が遅れてしまい、気が付いた時には目と鼻の先。躱すのは難しく、防御するのでは遅すぎる。ならば甘んじて受け止めようと、私は両腕を交差させました。
火属性への耐性はあります。
だから、致命傷にはならないと踏みましたが、やはり分かっていて攻撃を受けるのは嫌ですね。
──ドカァンッ!
と激しい爆発音が城全体に轟きました。
予想以上の破壊力に耳がキーンとしましたが、それ以外の外傷はありません。
『なん、だと……?』
まさか真正面から受け止められるとは思っていなかったのでしょう。
男は目を丸くさせ、呆然と私を見つめます。無傷だったことがより驚きを大きくさせているのでしょう。次なる一手を警戒していましたが、それは無駄に終わりました。
「あの、私は貴方と戦うつもりはないんですよ。二人を返せというのも、多分勘違いだと思います。ついでに貴方の座っている場所は私のベッドで、私は今すぐにでもそこで眠りたいので……どうかお引き取りを」
『ふ、ふふ……俺に、この俺に説教か……。いいだろう。あの二人が大切にしている者だからと手加減していたが、もう容赦はしないぞ!』
聞いちゃいねぇ。
「だから、私は貴方と戦うつもりは──」
『黙れ! ディーネとシルを誑かしたお前は……お前だけは許さん!』
「は? いま、なんて?」
ディーネと、シル。
それはウンディーネとシルフィードのことでは?
彼が求めていたのは私の二人の嫁ではなく、精霊のお二人だった?
燃え盛るような赤い髪に、赤い瞳。
精霊のお二人を愛称呼びする彼は……………………あっ……。
「まさか、貴方は」
と、全てを言い切るより先に彼は先程よりも一回り大きな火球を私へ向けて────。
『ねぇ、何をしているの?』
心の臓まで震え上がるほどの、冷酷な声が聞こえました。
その瞬間、部屋を支配していた蒸し暑さは嘘のように消え去り、それとは逆に真冬を通り越した絶対零度の冷気が私の背後から漂い始めました。
本来ならあり得ない霜が部屋に降っています。
家具や布は凍りつき、呼吸をするたびに白い息が口から出て行きます。
『少しでもリーフィアと一緒に居たいから、頑張って戻ってきたのに…………ねぇ、どうしたの? 何があったの? どうして、貴方がここに居るの?』
「う、ウンディーネ……?」
まるで別人。
そう思うほどの威圧感が、彼女から感じられました。
彼女はウンディーネ。私の嫁です。
しかし、その目は妙に据わっていました。
……ああ、なるほど。
これは、あれです。
初めて見る、ウンディーネの『ブチギレ』ですね。
『う、ウンディーネ、落ち着け。頼むから落ち着いてくれ。これは違うんだ。これには訳があって、だな……』
『うちはリーフィアと結婚したの。リーフィアの問題は、うちの問題。リーフィアに迷惑を掛けるなら、うちは全力で旦那様のために邪魔者を排除するよ?』
──ヒエッ。
その言葉は嬉しいですが、なんか怖いです。
「あのぉ、ウンディーネ? 一旦落ち着きましょう? ……ほら、私は何ともありませんから。ね?」
『イフくんは、昔からそうだったよね。目の前のことに集中すると、他は何も考えなくなる。それで何回、うちとフィーちゃんが尻拭いをしたと思っているの?』
あ、これはダメですね。
この子も周りが見えなくなっています。
ウンディーネの暴走が一番怖いです。
ついうっかりで世界樹を枯らすほどですからね、巻き込まれたら命が危ないです。
ってことで、私は逃げます。
これは精霊たちの問題。私が出る幕ではありません。
…………え? 元はと言えば私が原因だろうって? あはは、何を言っているのかわかりませんね。本当に、異世界の言葉って難しいです。はい。
『お、おい! まて人間! さっきのは謝る。謝るから助け──』
「それではごゆっくり〜」
希望を求めて伸ばした手は、報われることはありませんでした。
その顔は絶望に染まり、言葉が出ないのか口がパクパクと動いていましたが……私の知ったことではありません。
「よぉし、ミリアさんの部屋でベッドでも借りましょうかね」
部屋を出て、早足でその場を離れます。
「ついでにミリアさんを抱き枕にしちゃいましょう…………って、そういえばあの人、まだ私のことを追いかけて城下街に居ますね」
色々なことがあって、すっかり忘れていました。
流石にまだ帰ってきていないですよね。
しばらくは帰ってこないよう、完璧に撒いたのが仇となるなんて、人生は何が起こるかわかりません。
「肝心な時に居ないなんて、魔王のくせに使えませんねぇ」
でも、居ないなら仕方ありません。
合鍵なら持っているので、勝手にベッドを使わせてもらいましょう。
そうと決まれば、即行動です。
遠くから聞こえてくる絶望の叫びを背に、私は今度こそ安眠を求めて歩き出しました。




