笑ってください
部屋に戻るなり、アカネさんは私をベッドに放り投げ、抱き枕のように後ろから抱きついてきました。
まさか自分が抱き枕にされることになるとは思っておらず、私が困惑したのは当然のことでした。
「アカネ。急にどうしたのですか?」
こつんと、背中に鋭いものが押し当てられます。
わざわざ振り返らなくても、これがアカネさんの角なのだとわかりました。
これは、私の方から言わせるのは厳しいでしょうね。
だったらアカネさんが自分から言ってくれるのを待つのみです。幸い、頼ってくれるだけの好感度はあるはずなので、待っていればいつかは悩みを打ち明けてくれるでしょう。
来なかったら、その場合は普通にヘコみます。
「…………あれは、妾の兄上だ」
「ええ、そうでしょうね」
「すまなかった」
「どうして謝るのでしょう? アカネは私を助けてくれました。お兄さまの態度は……まぁ熱血系で暑苦しかったのは否定しませんが、不快には思っていませんよ」
「違う。妾の情けないところを見せてしまったことへの謝罪じゃ」
やはり、あの態度はアカネさんも問題と認識していたのですね。
「聞かせてもらえますか?」
抱きしめられる感触が、少し強くなりました。
それでも私は言葉を続けます。
「時には不満をぶちまけることも大切です。私、口は堅い方ですよ」
返事はありません……ですが、背中越しに感じる彼女の鼓動が、僅かに緩くなりました。
「昔はな、兄上のことが大好きじゃった」
それからアカネさんは、静かに過去を打ち明けてくれました。
「兄上は妾にとって憧れじゃった。何でも出来て、すぐに新しい知識を習得してしまう。小さな頃から父上の仕事の手伝いを任されて、ミスすることなく業務を果たしていた。『天才』とは、兄上のことを言うのだと、妾は少しでも兄上に近づけるようにと、頑張って勉強した」
あのお兄さんが、アカネさんの憧れですか。
でも、側から見ても、とてもそうには見えませんでした。
むしろ嫌っている。
わざと避けている。
そんな風に見受けました。
「兄上に褒められることが嬉しかった。そのおかげで妾は頑張れた。……じゃが、ある時に気が付いてしまったのじゃ」
──妾は兄上のようにはなれない。
それは、まだ幼かった少女には辛い現実だったのです。
「まだその時はここの考えも古くてな。男は仕事をし、女は家事をする。女が仕事なんてしないという風潮がまだこびり付いていた時代じゃった」
昔の日本にもあった風潮です。
今では男も女も仕事に出る時代になっていましたが、やはり母親が家事をするという考えは、まだ根強く残っているようにも感じられました。
この国も、同じような時代を経験していたのでしょう。
「父上は妾の頑張りを認めてくれて、仕事を任せてくれた。じゃが、先方は妾が相手だからとナメた条件を突きつけてきてな、そ奴らは様子見で来てくれた父上に激怒され、妾はその場をどうにか乗り切ることができた」
じゃが……と、アカネさんは言葉を続けます。
「…………悔しかった」
それはとても小さな、弱音でした。
「女だからと見縊られたことではなく、その程度の連中相手に歯噛みすることしかできなかった、自分自身に腹が立った。妾はどう頑張っても兄上のようにはなれない。女だから、男には勝てない。そう思い知った時、妾はここに居るのが辛くなり、逃げたのじゃ」
アカネさんが私から離れます。
寝返りを打って振り向くと、彼女は今にも泣きそうなほど暗い表情で、俯いていました。
「妾は臆病者じゃ。こんな婚約者なんて、失望したじゃろう?」
「…………」
私は手を伸ばします。
怒られると思ったのか、アカネさんは目を瞑り──
「あいたぁ!?」
無防備な彼女の額にデコピンをかましてやりました。
「え、なぜ、今のは痛かったぞ!?」
「ええ、痛くなるようにやったので」
それに伴い、こっちの指も少し痛くなりました。
……ったく、どんだけ頑丈なんですか。
「下らないことで悩んでいる罰です」
「く、下らないじゃと……!」
「ええ、下らないですね。本当に下らなすぎて、途中で眠ってしまいそうでした」
「それは、いつも通りでは?」
「…………細かいことはいいんですよ」
ちょっと、そこで正論をぶちかましてくるのはやめていただきたいです。
「女だから、兄上のようにはなれないから。実に下らない。そのせいで今までの貴女を否定するのですか?」
「っ!」
「私は知っています。アカネがどれだけ頑張って、魔王軍を支えていたのかを。貴女が居たからこそ、今も魔族は苦しまずに居られるのです。その成果を過去で押し潰すことは、否定することは、私が許しません」
「じゃ、じゃがっ──いたい!」
まだ何かを言おうとしていたので、次はチョップを振り下ろしました。
「また変なことを言ったら、次はもっと痛いですよ」
アカネさんは額を押さえて涙目になりながら、こくこくと頷きます。
「とても面倒臭がりで、自分の惰眠を最優先に考えている自堕落エルフ。それが私です」
「そう、じゃな……リフィはそういう性格じゃな」
肯定しないでください。
……いや、合ってますけど。
「んんっ! でも、今回の旅は大人しく従いました。それはどうしてだと思いますか?」
「それは、他に人が居なかったから仕方あばっ!」
チョップ、二回目です。
「外れです。アカネに居なくなってほしくないからですよ」
「──え?」
「いいですか? 一度しか言わないので、よく聞いてください」
私は姿勢を正し、アカネさんを真っ直ぐに見つめます。
「私は、貴女が必要です」
アカネさんは一瞬呆けた顔を晒し、すぐに顔を赤く染めました。
「貴女以外はいらない。貴女だけが頼りです」
「な、なななっ!」
私は握り拳を作り、強く言葉を綴ます。
「アカネが居なくなったら、誰がミリアさんの子守をすると言うのですか……!」
「……………………あ、そっち」
…………はて?
なんか、心底呆れられたような顔をされましたよ?
「まったく、リフィは相変わらずじゃな」
「やっと笑ってくれました」
ようやくアカネさんが、心から笑ってくれました。
私は暗い雰囲気が大嫌いなのです。
婚約者にそれをやられていたら、居心地が悪いです。
だから、彼女が笑ってくれて本当によかった。
これで安心して眠れます。
というのは半分冗談です。
私だって流石にそこまで非道じゃありませんよ。
…………本当ですよ?
まぁ、真偽はどうであれ、アカネさんの笑顔を取り戻したいと思ったのは本当です。
「貴女は、笑っていた方が綺麗です」
笑う彼女に、私も笑いかけました。




