氷王の審判
***
玉座の間は――廃墟だった。
砕けた氷と焼け焦げた金属の破片が床に散らばり、
中央には、かつての王アルドレンが黒き鎖に縛られ、
凍てついた古の玉座の前で膝をついていた。
その顔は蒼白。
その瞳は恐怖に見開かれたまま、何も見ていなかった。
彼のそばには、小さな少年――デイヴィッド。
トーナメントで勇気を示した少年は、腕に包帯を巻き、
腰の投石器を揺らしながら、無言で王を見つめていた。
かつて“王”と呼んだ男の末路を、
まだ理解しきれずに――
その正面、崩れた階段を静かに降りてくるのは、
外套を風に揺らすハルト・アイザワ。
その背後には、カオリ、マグノリア、エイルリス、そしてオーレリア。
誰も言葉を発さず、ただ――見届けていた。
ハルトが言った。
その声は静かで、確信に満ちていた。
「……分かるか、王アルドレン?
お前の王国を壊したのは、敵じゃない。――お前自身だ」
アルドレンは歯を食いしばる。
「……黙れ、貴様…! 貴様に“統治”の苦しみが分かるか!」
ハルトはかすかに笑った。
「分かるさ。
だからこそ――この国は、救われる。
“犠牲”を理解した者の手によって、な」
そう言って視線を移す。
そこには、鎖につながれたまま立つ女王レネの姿。
疲労の影を抱えながらも、その目は静けさに包まれていた。
「……ハルト」
彼女が囁くように言う。
「もし私を殺すなら、あなたの手で。
誰にも……罪を背負わせないで」
重苦しい沈黙が落ちる。
デイヴィッドの瞳が揺れる。
この“征服者”が何を選ぶのか、息を飲んで見つめる。
だが――
ハルトが手を上げると、
空間に金色の紋章が浮かび、ゆっくりと回転を始めた。
「召喚コード――ソウル・リライト(魂の再書換)」
魔法陣がレネを包み、
氷と炎の光が彼女の身体を穏やかに包み込む。
その鎧は光に変わって消え、
彼女の呼吸は深く、静かに整っていく。
アルドレンは絶叫する。
「やめろ!
やつは――やつは俺のものだ!」
ハルトが冷ややかに答える。
「彼女は――誰の“もの”でもない」
「俺の妻だッ!」
「彼女は、“女王”だった。
そして今は……“自由”だ」
召喚の光が強まる。
その中心から、別の存在が現れた。
氷のように輝く銀髪。
透き通るようなターコイズの瞳。
白と金の布と結晶でできた神秘的な装束。
背には、光る霜でできた翼。
その存在は――
かつてのレネとは、まるで別の“魂”だった。
その彼女は、目を開き、ハルトを見つめて微笑む。
「私の名は……セルフィラ・フロストヴェイル、でいいのよね?」
ハルトは頷いた。
「お前の新たな名――そして、新たな自由だ」
鎖に縛られた王は、震えながら呻く。
「……なにを……何をした……お前は、一体何なんだ……」
ハルトはゆっくりと彼に近づく。
「神の領域に踏み込もうとした男が、
生み出した最後の代償さ」
「やめろ! やめ――」
指を鳴らす。
鎖が浮かび上がり、
玉座の魔法が再び目覚める。
氷と金の光が王を包み、
アルドレンの身体は凍結された。
その表情は――
永遠の恐怖のまま、氷の中に刻まれた。
デイヴィッドが一歩後ずさる。
「……なぜ……」
ハルトは、彼にやさしく視線を向けて答えた。
「繰り返させてはいけない過ちがある。
それを……“封じる”こともまた、選択だ」
セルフィラが静かに膝をつき、少年に語りかける。
「デイヴィッド、怖がらないで。
この国は、もう一度生まれ変わるわ。
――そして、あなたがその“守り手”になるの」
少年は涙をこぼしながら尋ねる。
「あなたは……女王なの?」
セルフィラは微笑む。
「昔はね。
でも今は――新たな夜明けのための、ただの仲間よ」
***
城の外では、兵士や民が沈黙の中、扉が開くのを待っていた。
そして――扉が開いた。
先頭を歩くのはハルト。
その背に続くのは、召喚体たち。
そして、霜の輝きを足元に残しながら進む、セルフィラ。
人々は息を呑む。
戦争も、叫びもない。
ただ、未来へと歩む者たちの姿が、そこにあった。
ハルトは手を上げ、
澄んだ声で言い放つ。
「――王はその欲により、滅びた。
だが、この国が共に滅びる必要はない」
「これからの北の王国は――
玉座に属するものではない。
“名誉をもって生き残る者”に、属する」
風が吹いた。
その言葉が、街全体に届くように――
群衆の中で、デイヴィッドは拳を握りしめた。
小さな投石器を握りしめながら、
彼は静かに誓った。
――この新たな時代を、必ず守ると。
玉座の間――
新たなる旗印が高く掲げられていた。
それは、氷海の上に昇る黄金の太陽。
その前で、セルフィラ・フロストヴェイルが静かに膝をつく。
その姿を見ながら、カオリが口元に笑みを浮かべて囁いた。
「ふふっ、師匠……また一人、女王が増えましたね」
マグノリアが柔らかく笑う。
「しかも……とても美しい」
エイルリスは静かに頷いた。
「北にふさわしい――誇り高き盟友です」
ハルトは、セルフィラを見つめ返す。
その瞳に映るのは、命を選び取った者の確かな光。
「……お前は、私の“しもべ”ではない」
セルフィラは穏やかに微笑みながら答える。
「ええ、分かっています。
でも私は、あなたのために戦います。
――恐れのない“生”を、やっと知ることができたから」
外では、雪が再び降り始めていた。
だがそれは、かつてのように冷たくはなかった。
まるで、新たな夜明けを告げるような――
あたたかな雪だった。
――つづく。




