氷翼の誓い
雪は灰のようにコロシアムを覆っていた。
観客席は沈黙し、風さえも息を潜めているかのようだった。
伝令官が厳かに杖を掲げる。
「名誉のトーナメント・第四戦!
“氷翼の乙女”エイルリス――黄金の召喚士の代表!
対するは――北の王国の女王、レネ陛下!」
群衆が一斉に叫び声を上げた。
祈る者もいれば、罵る者もいた。
何世紀にもわたって、一国の君主が自ら戦場に立つことなど、前代未聞だった。
南の門から現れたのは、女王レネ。
その鎧は青い結晶でできており、王家の紋章が古の文様として刻まれていた。
剣――“フロストハート”は冷気を放ち、白い羽のマントが背に揺れる。
兜の下からは鋭い視線がのぞくが、吐息はかすかに震えていた。
対するは、天より降り立った召喚体エイルリス。
黒と銀の翼が冬の蝕のように広がり、灰青の瞳が静かな慈しみを湛えていた。
彼女の武器は、骨と水晶で造られた大鎌。
光の霧がそれをやさしく包んでいた。
「民のために戦う女王と……
“自由”から生まれた召喚体」
貴族の一人が低く呟く。
「これは称号以上の戦いだ。
――どの理想が残るのかを決める戦だ」
レネは剣を天に掲げた。
「我が民のため、我が王冠のため、
雪に倒れた者たちのために――
南の闇などに飲まれてなるものか!」
エイルリスは穏やかに彼女を見つめた。
「あなたは“守る”と言う。
けれど、玉座に縛られている」
レネの眉がひそむ。
「責任を知らぬ召喚体に、何がわかる」
エイルリスは一歩、前へ進む。
「理想のために生きすぎて……
自分を見失うことなら、知っている」
彼女の翼が広がり、冷たい風を巻き起こす。
「私もまた――他人の声に仕え、
自分を捨てた“奴隷”だった」
レネが剣を構える。
「ならば、奴隷らしく倒れなさい」
ゴングが鳴り響く。
先に動いたのはレネだった。
その一撃は純粋な氷の斬撃を生み、空気を裂いた。
エイルリスは空へ跳び、華麗に回避。
翼が広がるたびに、銀の羽が舞った。
地面が割れ、王の力に応じて魔法が放たれる。
――「発動:フローズン・マジェスティ(氷の威光)」
氷の塔が地面から突き出し、エイルリスを水晶の迷宮に閉じ込めようとする。
レネは一歩一歩、冷気のなかを進む。
息は白く、足取りは揺るぎない。
だが、その背後に、静かな声が響いた。
「閉ざす氷も、内側からは壊せるわ」
氷の塔の裏からエイルリスが現れ、鎌を弧を描くように振るう。
塔が砕け、無数の光る破片となって舞う。
――「技:セレスティアル・ディバイド(天裂の一閃)」
レネは剣で防ぐが、その衝撃に吹き飛ばされ、数メートル後方に投げ出される。
マントは裂け、剣は空に霜の軌跡を残す。
彼女の息は荒い。
観客が声援を送る中――
その胸の内にあったのは、深い静寂だった。
彼女は思い出していた。
夫の顔、子の声、民の祈り。
彼らを守ろうとした自分の選択が、戦争を呼び込んだこと。
そして今、初めて――心に“迷い”が生まれた。
エイルリスは静かに舞い降りる。
女王の前に立ち、言った。
「あなたの氷は守ってなどいない。
凍らせているのは――愛したものすべて」
「黙りなさい!」
レネが叫び、最後の突きを放つ。
だがエイルリスはそれをかわし、鎌を一閃して彼女の剣を弾き飛ばす。
剣が、乾いた金属音を立てて地面に落ちた。
レネは膝をついた。
エイルリスはその姿を見下ろし、
慈しみに満ちた声で告げる。
「あなたは敵じゃない、レネ。
ただ、“強さを演じること”に疲れた魂」
観客席が静まり返る。
エイルリスは鎌を天に向けて掲げた。
――「発動:イージス・ウィング(審判の翼)」
光の羽根が空から舞い落ち、女王を包み込む。
その一枚一枚が、氷の鎧に触れるたび、
その“義務”を象徴する霜を溶かしていく。
レネは顔を上げ、
頬を一筋の涙が伝った。
「これが……“自由”というものなのか?」
エイルリスは、寂しげに笑った。
「そう。
“仕える”のではなく――“自ら選ぶ”ということ」
レネは静かに首を垂れた。
「負けたわ……でも、ありがとう」
エイルリスは手を差し伸べ、
女王をそっと立ち上がらせた。
伝令官が杖を高く掲げた。
「勝者――黄金の召喚士代表、エイルリス!」
観客席に歓声はなかった。
ただ、静かな拍手がゆっくりと響いた。
それは敬意を込めた、荘厳な拍手だった。
女王レネは、勝者の傍らに立ち、手を掲げて宣言した。
「これは、王国の敗北ではない――
真実の再誕だ」
その言葉に、観客は再び静かになった。
観覧席の上――
ハルトは静かに頷いた。
「エイルリス……敵の魂を壊すことなく、役目を果たしたな」
隣のカオリが小さく呟く。
「……初めてよ。勝利に“赦し”の香りが混ざってるなんて」
マグノリアは腕を組みながら口を挟む。
「だからこそ、一番危険な勝利よ。
恐怖より、赦しのほうが人を動かす」
エイルリスはゆっくりと顔を上げ、天を仰いだ。
雪がその翼に静かに降り積もる。
北の光が、二人の女性を照らす。
ひとりは立ち、もうひとりは跪く。
それは勝利ではなく――
理解によって結ばれた瞬間だった。
――つづく。
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