氷刃と太陽
凍てついた森は静寂に包まれていた。
聞こえるのは、氷を踏みしめる足音と、凍った木々の間をすり抜ける風の囁きだけ。
向かい合うハルトとカガミは、ただ互いを見つめていた。
二人とも、かつての姿とは違っていた。
カガミは深い青のマントに水晶のような剣を携え、その顔は穏やかでも、瞳は深淵のように冷たかった。
ハルトは金の縁のマントに身を包み、目には静かな力と沈黙の痛みが宿っていた。
——どれくらい経った、カガミ?
——召喚されてから……二年だ。
——それでもまだ、ユウトに仕えているのか?
——俺は誰にも仕えていない。
「秩序」に仕えているだけだ。
ハルトは眉をひそめた。
——秩序? 破壊された命の上に立つ秩序のことか?
——違う。お前が蒔いた「嘘」を正すための秩序だ。
二人の間の空気が凍りついた。
その一瞬、彼らの瞳の奥に浮かんだのは、懐かしい記憶——教室、遠くの笑い声、鳴り響くチャイム。
かつて、カガミは唯一ハルトを庇った存在だった。
みんなが彼を笑っても、彼だけは違った。
「ハル、お前の運があれば、俺はゲームで大金持ちだな」
「カガ、お前の勇気があれば、俺はもう笑わないよ」
だが、それらすべては召喚とともに失われた。
——あのとき、お前は俺を救ってくれた。
なぜ……もう一度救ってくれなかった?
——救ったことで……お前はもっと悪くなったと知った。
世界を炎で塗り替えようとする者に、俺はもう手を差し伸べない。
ハルトは拳を握った。
——見えてないのか? 炎じゃない。俺が見せてるのは「光」だ。
——光は影を生む。
俺は……その「均衡」を保つために生まれた。
ハルトは一歩前に出た。声が氷に響く。
——カガミ、お前には共に戦う場を用意した。
平和を。平等を。ユウトの鎖から解き放たれる自由を。
カガミはまばたきもせずに言った。
——お前を信じなかったからじゃない。
もう、誰も信じられないだけだ。
その沈黙は、どんな刃よりも痛かった。
カガミは氷の剣を持ち上げた。
——俺は見た。カオリに、お前の軍に、王国に何をしたか。
お前は世界を変えた。だが、それは癒しじゃない。
「服従」だ。
お前はユウトと同じだ。ただ、その暴政を正直に語るだけの違いだ。
ハルトは何も答えず、金の短剣の柄に手をかけた。
——なら……もう言葉は必要ない。
空気が弾けた。
二人は同時に動き、激突とともに地面が砕けた。
カガミの奥義:
《氷牙連斬》
大地から無数の氷刃が湧き出し、空気を裂くように襲いかかる。
ハルトは一つ一つを正確に、冷静に、防いでいった。
——氷じゃ俺は倒せない!
——倒すためじゃない。思い出させるためだ。
カガミは自らを中心に魔法陣を展開。
森全体が凍結し始める。枝も、大地も、空気さえもが結晶に変わっていく。
「この術……お前のために覚えた。」
ハルトは苦い笑みを浮かべた。
——ならば、その術……より強くして返してやる。
《発動:太陽裁決》
彼の足元に黄金の魔法陣が現れた。
天から純粋な光が降り注ぎ、氷を砕き、森を一瞬で溶かし尽くした。
二つの魔法の衝突は大地を揺らし、世界を割るような衝撃を生んだ。
やがて光が消え、二人は息を切らしながら対峙していた。
カガミの剣は折れ、鎧には無数の亀裂が走っていた。
——なぜ……負けるとわかっていて戦う?
——勝つためじゃない。
お前に「誰だったか」を思い出させるためだ。
ハルトは短剣を下ろした。一瞬、迷いが見えた。
だがカガミの瞳には、憎しみではなく……諦めが映っていた。
カガミは膝をついた。
雪が静かに彼を包み始めた。
——俺を生かせば……世界の果てまで追いかけるぞ。
——わかってる。——ハルトは手を掲げた。
黄金の閃光が森を照らした。
そして風が、カガミの最後の言葉をさらっていった。
「お前の中に……まだ何か残っていればよかった……」
数分後、カオリとオーレリアが兵を連れて到着した。
そこにあったのは、砕け散った氷の結晶に覆われた戦場だけだった。
その中心に、ハルトが立っていた。
その瞳は、何も映していなかった。
サヤカがそっと近づく。
——終わったの?
——ああ。
——……許したの?
ハルトはゆっくりと首を振った。
——いいや。彼も……俺自身も。
北の太陽が、その剣に反射して光った。
まるで、世界がひとりの戦士のために涙を流しているかのように。
遠く、黄金の王国の旗が氷の風にたなびいていた。
勝利には、代償があった。
――つづく。




