暁の誓い
夜明け。
かすかな光が、黄金の王国の城壁を照らし始めていた。
空は鈍く灰色に染まり、町には重く沈んだ静寂が漂っていた。
そして、噂は確かに広まりつつあった。
「北の英雄たちが来るらしい」
「氷の天使を連れてくるそうだ」
「黄金竜でさえ、止められないって――」
住民たちは扉を閉ざし、
商人たちは店を開けず、
王国はかつてないほど豊かであったにもかかわらず――
恐怖が、新たな通貨のように流通していた。
***
城のバルコニー。
カオリが手を握りしめながら外を見下ろしていた。
「……みんな、怯えてるわ。ハルト」
黒いマントを整えながら、ハルトは応える。
「――恐怖は、使いようだ」
「……でも、それに呑まれたら、あなたまで壊れてしまう」
カオリの声は、どこか懇願にも似ていた。
ハルトは歩みを止める。
その瞬間だけ――
彼の瞳から“征服者”の影が消え、
かつて森で裏切られた、あの少年の面影がよみがえった。
「……ならば、変えてやろう」
「恐怖を――希望に」
***
正午。
ハルトは、民衆が沈黙する広場へと姿を現した。
その背には、アウレリアとカオリが付き従っている。
マントが風にたなびき、魔法で拡声された声が響く。
「――黄金の民よ!」
「耳にしているだろう。
北から英雄たちが来ると」
「我らが“罪”から生まれた国だと。
我らは滅ぶべきだと。
そう言っているらしい」
広場は静まり返る。
ハルトは一歩前へ出る。
「だが、周りを見てみろ。
貴族たちが逃げ出したとき、誰がパンを配った?」
「神殿が門を閉ざしたとき、誰が家を直した?」
「――俺たちだ!」
観客の一人が叫ぶ。
「そうだ。
北の“英雄”たちが信仰にすがる間、
我らは運命を創ってきた」
「我らは聖者ではない。
だが、奴隷でもない」
彼は剣を高く掲げる。
それは黄金に燃え、空に向かって輝きを放った。
「この国は恐怖に屈しない!
――意志によって再誕する!」
「我らが流した涙の数だけ、新たな剣が生まれる!」
その瞬間――民衆の咆哮が広場を揺らす。
恐怖は火に変わり、
黄金の王国は、初めて戦を恐れなくなった。
――それを望むようになった。
カオリはその姿を見つめながら、胸に手を当てた。
「……ハルト」
「なんだ」
「今の演説……本当に、美しかった」
ハルトは微笑むが、その笑みには影があった。
「美しさのためじゃないさ」
「――時に、地獄には“言葉”が必要なんだ」
***
その頃、数百キロ北。
氷風が吹きすさぶフレイガルドの城では、
高峰悠人が浮かぶ魔法陣に囲まれた立体地図を見つめていた。
その傍らで、俊介が呟く。
「……反応し始めたな。
これで、あいつが“ガチャ”を使えば即座に座標が取れる」
だが悠人は顔をしかめる。
「……早すぎる」
魔力石が不穏な光を放ち、
乾いた音を立て、表面に小さな亀裂が走る。
「これは……?」俊介が問う。
悠人は低く答える。
「ハルトの力が、予測以上に急激に拡大している。
……異常な速度で、だ」
そのとき、影が地図の上を横切った。
現れたのは沢渡リナ。
モモチとの戦闘で傷を負った彼女は、血の滲む肩を抑えながら進み出る。
「……悠人様……」
「ハルトは……憎しみでは戦っていません。
彼は“目的”のために戦っている。
そして……人々が、それを信じ始めているんです」
悠人は拳を握る。
「ならば、壊すのは肉体だけでは足りない」
「――信仰そのものを、破壊しなければならない」
俊介が静かに頷き、剣を抜いた。
「――“作戦コード:ゼロ”を開始しよう」
黄金の王国――再びその城内にて。
ハルトの側近たちは、それぞれの準備を整えていた。
アウレリアは鋼の爪を丁寧に研ぎ、
モモチは煙のような気配を纏いながらクナイの本数を数え、
リラは古のルーンを刻みながら、城壁の結界を強化していた。
そして――カオリ。
彼女は静かに膝をつき、ハルトの前で頭を下げた。
「……ハルト様。
本当に……全てを相手に、私たちは抗えるのでしょうか?」
ハルトは手を差し出し、彼女をゆっくりと立たせた。
「わからない」
「だが、俺は最後まで“信じる”」
「恐怖は……戦っても死なない。
――だが、“信じること”で消える」
カオリは微笑み、わずかに顔を赤らめた。
「……なら、私は“あなた”を信じます」
その瞬間、突風が吹き抜け、
城の黄金の旗が大きく翻った。
その遥か先――地平の彼方から、
北の雷鳴が響き始めていた。
戦争は――明日始まるものではなかった。
一ヶ月後に訪れるものでもなかった。
すでに始まっていたのだ。
目には見えず――だが確かに、
すべての者の“心”の中で。
――つづく。




