沈黙の命令
夜明けは灰色だった。
街はまだ目を覚ましきってはいなかったが、噂の余韻は消えていなかった。
王座の間で、ハルトは机の上に広げられた一束の文書を見つめていた。
それぞれに名前、日付、行き先が記されている。
混乱の発端が突き止められていたのだ。
「難しくはなかったよ」
モモチが彼の傍らに身を寄せ、そう言った。
「文書は下町の酒場から送られてきていて、低純度の魔法インクが使われていた。
訓練を受けていない者ならではの雑さだ。」
アウレリアは腕を組み、冷たい視線を向けた。
「で、差出人は誰だ?」
モモチは小さな封印された巻物を机に落とした。
「元兵士よ…でも模様がある。」
「どんな模様だ?」とハルトが尋ねる。
「誰か別の者から指示を受けていた。
手紙には見覚えのある紋章が刻まれていたの。」
ハルトは紙を手に取り、じっと見つめた。
紋章は単純だった:円を横切る一本の剣。
その目が鋭くなる。
「つまり……まだ生きているのか。」
周囲の者たちが戸惑いの色を浮かべる。
カオリが口を開いた。
「誰のことですか、ハルト様?」
彼は無言で巻物をしまった。
「古い仲間だ。
臆病さを言葉で隠すのが得意な奴だ。」
マルガリータは鞭を肩にかけ、意地の悪い笑みを浮かべた。
「で、どうする?まず舌を抜くか、それとも魂を奪うかしら?」
ハルトはすぐには答えなかった。
玉座を離れ、窓際へ歩み寄る。
風が彼の黒いマントの金縁をそっと揺らす。
「いいや」
ようやく口を開いた。
「すべての罪が俺の手を必要とするわけじゃない。」
ゆっくりと振り向き、部屋の空気を凍らせるような冷静さで言った。
「二人に任せる。
事が済めば…誰も尋ねるな。」
五人の女たちは互いに視線を交わした。
カオリが一歩前に出る。
「誰が行きますか?」
ハルトはかすかに微笑んだ。
「彼女たちは、すでに知っている。」
アウレリアとモモチは言葉なく頷いた。
決意と忠誠が、その瞳に光る。
マルガリータは小さく笑った。
「ふふ…面白くなりそうね。」
同じ夜、北風が強く吹いていた。
街は眠り、迫る運命に気づいてはいなかった。
路地裏の小さな酒場の一室で、蝋燭が揺れている。
蒼白な顔の男が震える手で新たな手紙を書いていた。
何度も扉を見やり、汗をぬぐう。
「あと一通…あと一通書けば、済むんだ…」
だが、言いかける前に影が動いた。
黒いヴェールに包まれた人物が背後に現れた。
金髪で瞳が燃える者が、出口を塞ぐように立つ。
「おまえは……誰だ?」と男はどもりながら訊ねる。
応えたのは、風の囁きのような一つの声だけだった:
「命令は下された。」
蝋燭の炎が消えた。
そして、沈黙がすべてを覆った。
夜明け。
冷たい風が、城の庭を静かに通り抜けていった。
ハルトは一人、木の下に立っていた。
その背中は揺るがず、だが風と同じように――鋭く、冷たかった。
やがて影からモモチが現れ、静かにひざまずく。
「……伝令は、消えました。」
その隣に立つアウレリアが続けた。
「噂は、もう広がらない。
残るのは、沈黙だけです。」
ハルトは小さくうなずいた。
「それでいい。
“目的を持った沈黙”は、どんな剣より強い。」
少し離れた場所から、カオリが彼の姿を見つめていた。
胸の奥に、温かな敬意と、かすかな恐れが同時に浮かぶ。
――彼は、力だけで治める者ではない。
正義と復讐の境界すら、
その意思ひとつで塗り替えてしまう。
そして、
黄金に染まる朝の光の中――
王国は、再び静寂を取り戻した。
あまりにも、
不自然なほどに。
――つづく。




