反逆の始まり
夜明けの光が、黄金の王国を偽りの輝きで包んでいた。
商人たちは店を開き、子どもたちは駆け回り、鐘の音が響く。
だが、その平穏の下で、ささやきが増えていく。
「新しい王は老いないらしい。」
「その力は、魔から授かったという。」
「英雄たちを“浄化”したのは――火だったそうだ。」
ハルトは宮殿のバルコニーからすべてを聞いていた。
魔法などなくても、恐れは空気のように感じ取れる。
秩序は、細い糸の上にかろうじて成り立っている――彼はそれを知っていた。
隣では、香織とアウレリアが領土拡大について議論していた。
美弥妃は市民の教育と権利の再編に尽力し、
凛は新たな騎士団を訓練していた。
だが、評議会には二つの空席があった。
悠翔と鏡。
その不在は、言葉よりも重く場にのしかかっていた。
王国の外れにある宿屋。
薄暗い火のそばで、悠翔は剣を磨いていた。
その目は虚ろで、迷いを映していた。
まぶたを閉じるたびに浮かぶのは、あのハルトの顔――
静かで、揺るがぬまなざし。
「…もう、俺たちの知ってる“ハルト”じゃない」
彼が呟くと、背後から声が返る。
「そして、俺たちが踏みにじったあの少年でもない。」
鏡がそこにいた。
黒い外套をまとい、疲れた目をして。
言葉はなくても、互いの決意は伝わっていた。
「彼が築いているのは“正義”じゃない。支配だ。」
悠翔は続ける。
「均衡と言いつつ、すべては彼の意思で回っている。
香織でさえ…もう、かつての彼女じゃない。」
鏡は静かにうなずいた。
「彼は魂の法則すらも弄んでいる。
肉体でも精神でもない。“善悪”という物語そのものを操っている。」
「じゃあ、俺たちはどうする?」
「――かつてできなかったことを、今度こそやる。
立ち向かうんだ。」
その沈黙は、誓いだった。
鏡は数週間かけて、古代のポータルに関する記録を研究していた。
かつて王国を繋いでいた“マナの線”。
忘れられたその道の先には、別の世界がある。
そして、彼は知っていた。
「かつての仲間の何人かが…そこに送られた可能性がある。」
彼と悠翔の目的は一致した。
黄金の王国を離れ、失われた英雄たちを探し出す。
そして、新たな同盟を築くこと。
鏡はそれを「オーロラ計画」と呼んだ。
悠翔は、それを「正義」と呼んだ。
それが“裏切り”とされようとも、
歴史とは、生き残った者たちによって書かれる。
月なきある夜、二人の男は王国の外壁に辿り着いた。
風が遠くの鐘の音を運んでくる。
悠翔は後ろを振り返り、ハルトの城に灯る光を見つめた。
「…追ってくると思うか?」
「まだ来ないさ」と鏡が応える。
「まずは観察する――あいつはいつもそうだ。」
だが、その頃。
王城の奥で、香織は目を見開いた。
マナの流れに“揺らぎ”を感じたのだ。
ハルトは何も見ずに言った。
「…行かせてやれ。」
「なぜ?」
「均衡には、動く駒が必要だ。」
香織は黙ってうなずいた。
「…仰せのままに、我が主。」
風が吹く。
そして悠翔と鏡は、森の闇へと消えていった。
北への旅路は長く、危険に満ちていた。
かつて“光の神殿”があったはずの廃墟を越え、
灰に覆われた村々を抜けて進む。
焚き火のそばで、二人は語り合った。
過去と、未来と、答えのない問いを。
「…ハルトは、本当に世界征服を目指してるのか?」
悠翔が尋ねる。
「いや」と鏡は答える。
「彼が目指すのは“再定義”だ。
世界を作り変えること。
…それこそが、最も危険なんだ。」
悠翔は黙って星を見上げた。
そして、静かに言った。
「なら――止めるしかない。
たとえ、それが…最後になるとしても。」
数日後、彼らが辿り着いたのは、氷に覆われた古き聖域だった。
そこには、ひとりの謎めいた人物が待っていた。
白銀の髪。
深紅の瞳。
そして、水晶のように輝く槍を手にした者。
「…均衡を求める者たち、というわけね。」
その声は静かでありながら、凍てつくように鋭かった。
「私は雪永セイラ。かつて“召喚された者”の一人。
そして、この世界の“真の敵”を知っている――」
悠翔と鏡は、互いに目を合わせた。
その瞬間、二人は悟った。
これまでの戦いは、
ほんの序章にすぎなかったのだと。
強風が吹きすさび、彼らの肩に霜を降らせる。
――北には、北の物語がある。
――つづく。




