白き影
***
風は刃のように鋭く、顔を切り裂くかのようだった。
雪は止むことなく降り続け、視界はほぼゼロに等しかった。
ハタナカ将軍の軍は、魔法の松明を頼りに進軍していたが、その光も吹雪のたびにかき消されていく。
「前方、盾を構えろ!」と隊長が叫ぶ。
「隊列を保て! 敵は丘の上にいる!」
将軍は軍を三つに分けていた。
一隊は北へ──山岳の探索。
一隊は東へ──物資の確保。
そして彼自身が率いる主力部隊が、正面から敵を迎え撃つ。
「もしこの吹雪がハルトによって生み出されたものなら……
彼は、この地を掌握している」
そう考えながらも、リュウスケの目に恐れはなかった。
彼は剣を掲げ、声を張り上げる。
「進め! 恐怖では王国は崩れん──倒すのは、我ら人間だ!」
*
凍りついた斜面の上、ライラ・フロストベインは狙撃スコープ越しに軍を見下ろしていた。
レンズには風向きや温度を補正する浮遊ルーンが表示され、視界は完全に制御されていた。
呼吸は浅く、まるで息をしていないかのよう。
「距離:1,200メートル。
風:北西からの横風。
目標:先陣部隊。」
隣ではカオリが敵軍の進行図を確認していた。
「将軍は、北に部隊を分けた。あなたの予測通りよ」
「完璧」
ライラは目を離さずに呟いた。
「兵士たちは雪に紛れたつもりかもしれない……
だが私には、彼らこそが光って見える」
銃声が響いた。
青い閃光が空気を裂く。
将軍の側近がひとり、氷の弾丸に頭部を撃ち抜かれ、即座に倒れた。
「命中、確認済み」
「次」カオリが無機質に言う。
数分のうちに、三つの小隊が姿を消した。
どこから攻撃されているかも分からず、軍は混乱と恐怖に包まれていた。
ライラ・フロストベインは、ただの狙撃手ではない。
彼女の魔法は吹雪の「残響」と同調していた。
一発ごとに、風に魔力の痕跡を残し、次の獲物を感知する。
彼女は──雪嵐に溶けた狩人だった。
「プロトコル起動:〈エコー・サークル〉」
青いルーンが雪面に広がり、円形の紋章を描く。
範囲内のすべての音、振動、動きを記録するフィールド。
「……彼らは怯えている」
「そして恐怖は──音を生む」
*
数キロ先、ハタナカ将軍は異様な静けさに気づいた。
「……どうした?」
「将軍、偵察隊が戻りません!」
「……見られているな」
「近くからじゃない。もっと遠くからだ」
彼は手袋を脱ぎ、凍てつく空気に素手をさらした。
「ならば……こちらも動こう。
──獲物が動けば、狩人は本当に狩れるか?」
*
将軍は魔導兵に命じ、「熱の幻影球」を展開させた。
これらは空気の流れと温度を歪め、敵の感知魔法を攪乱する術式だった。
ライラの周囲の魔法マップは、無数の偽信号で埋まった。
カオリが焦りを見せる。
「本物の位置がわからない……!」
だがライラは微笑む。
「──想像以上の男ね。さすが“将軍”」
彼女は雪に身体を伏せ、魔法を切り、手動でスコープを調整。
片目を閉じる。
「魔法なんていらない。
必要なのは──本能」
一発。
風音を切り裂いて弾丸が放たれた。
それは幻影のひとつを貫き、中心の熱源球を粉砕。
連鎖的に、他の幻影も消えていく。
「一つずつでいい」
「嵐の“眼”の前に、偽りは残らない」
*
さらに高み。
黄金の鏡越しに戦場を見つめていたのは、ハルト・アイザワ。
隣ではオーレリアが風の流れを安定させていた。
「ライラの任務は順調だ」
「将軍は?」とオーレリア。
「……耐えている。
だからこそ──危険だ」
ハルトは目を閉じ、片手を空へ掲げた。
雪片が黄金の光を帯び、空中で光り始める。
「ライラは兵士を狩った」
「次は、彼の“信念”を狩る番だ」
***
***
将軍は山の頂を見上げた。
雪が彼の鎧に降り積もり、静かに溶けていく。
「……永遠に隠れてはいられんぞ、ハルト」
歯の間から漏れる声は低く、鋼のように硬かった。
「お前がこの時代の“悪魔”なら──
俺は、その悪魔に立ち向かう“鋼”となろう」
吹雪が咆哮のように唸る。
兵たちは再び隊列を組み直し、松明の炎が白銀の嵐の中に微かに揺れていた。
その光の中で、男たちの覚悟だけが燃え続けていた。
そのはるか上空、
ライラ・フロストベインは肩に銃を預け、ゆっくりと笑みを浮かべた。
「狩人の遊戯、始まりね──」
そしてその遥か遠く、
ハルト・アイザワが静かに目を開けた。
曇天の裂け目から、一筋の光が射し込む。
金の太陽──《ソル・ドラード》が、雲間に微かに輝いていた。
もはや誰にも止められない。
戦争は──始まってしまったのだ。
――つづく。




