民の裁き ― 壊れた声の再生
北の山々を冷たい風が吹き抜けていた。
月明かりに照らされた空き地で、ハルトは石のテーブルに地図を広げた。
彼の周囲には仲間たちがいた。アウレリア、カオリ、マルガリータ、モモチ、そしてガチャの新たな召喚、魔導士セリナ。
白髪でアメジスト色の瞳を持つセリナは、銀色の光を放つ黒いコルセット、長いストッキング、レースの手袋を身にまとっていた。
彼女の声は柔らかかったが、その存在感は強烈だった。
「アヤカの領域を囲む魔法の封印を確認しました」と彼女は杖を動かしながら言った。
「先に彼女のコーラス隊を引きつければ、封印を解除できます」
アウレリアがうなずいた。月光の下で金髪が輝いていた。
「彼女の邸宅は魅了の魔法で守られています。彼女の声を聞いた者は皆、 trance に落ちる」
「だから、静かに行くんだ」とハルトが答えた。
「そして、不意を突く」
マルガリータは鞭を肩に担いだ。
「やっとあの女を黙らせられるのね。甘ったるい声にはもううんざり」
カオリは穏やかな表情でハルトを見つめた。
「本当にやるの?彼女を襲えば、王国中があなたの仕業だと気づくわ」
ハルトは彼女を横目で見た。
「俺が求めているのは承認じゃない。均衡だ」
彼のマントには黄金の太陽の紋章が輝いていた。
「作戦開始だ」
夜がアヤカ・フジモリの居城「薔薇の宮殿」を包み込んでいた。
守衛たちは眠っており、その意識は内部から響く催眠の歌に支配されていた。
ハルトと仲間たちは影の中を進んだ。
黒いマントと狐の仮面をつけたモモチが、最初に動いた。
屋根の上を滑るように移動し、魔法の罠を外科手術のような精密さで無効化していく。
「封印、解除」と彼女はささやいた。
アウレリアは幻影の魔法で自らの角を隠し、ハルトの後ろを歩いていた。
唇にかすかな笑みを浮かべる。
「皮肉ね……アイドルが奴隷に囲まれて眠るなんて」
ハルトが手を上げた。
「セリナ、道を開け」
魔導士は正門に杖を向け、呪文を唱えた。
空気がねじれ、歌の魔力がため息のようにほどけた。
薔薇の宮殿は完全な静寂に包まれた。
マルガリータが扉を蹴り破る。
「歌を止める時間よ」
宮殿は荒廃していた。廊下に漂っていた魔法の旋律は消え去り、アヤカ・フジモリは、自身の声を初めて聞けなくなっていた。
王国の通りには混乱が広がっていた。
人々は催眠から目覚め、混乱し、数ヶ月にわたる強制的な崇拝の記憶を思い出していた。
泣く者もいれば、怒りの声で彼女の名を叫ぶ者もいた。
ハルトはしおれた花びらの上に足跡を残しながら、空っぽの玄関ホールを歩いていた。
彼の黄金のマントが風になびく。
壁にはアヤカの肖像画が飾られていた。笑顔で完璧な彼女──まるで偽りの女神のように。
「最初からこうだった……」彼はつぶやいた。
「すべての視線が、君だけを見る舞台だった」
アヤカは廊下の奥に現れた。体は血に染まったマントに覆われていた。
かつて輝いていた金髪は乱れて汚れ、だがその瞳は──誇りと恐怖に満ちていた。
「あなただったのね……」声を震わせて彼女は言った。
「全部仕組んでいたのは……ハルト・アイザワ。才能のない男。誰にも見られず泣いていた弱虫」
ハルトはゆっくりと歩み寄った。
「その言葉、覚えてるよ。君が笑っていた時のことも。みんなが俺を殴っているのに、教師たちは見て見ぬふりをしていた」
アヤカは弱々しく笑い、震えていた。
「何を期待してたの?この世界では……輝いた者だけが生き残れる。あなたは灰色。私は、称賛されるために生まれたの」
「違う」ハルトは彼女の前で立ち止まった。
「君は、自分の空虚さを隠すために生まれたんだ」
アヤカは手を上げ、淡いピンクの光を放った。
歌おうとしたが、声が震えた。魔法は彼女に従わなかった。
「な、何をしたの……?」彼女は息を切らして言った。
ハルトは手のひらで小さな金色のオーブを見せた。
「人々を君の歌から解放した。呪縛は消えた。君に捧げる舞台はもうない」
アヤカは怒りに満ちた目で彼を見た。だがその表情には恐怖もあった。
「魔法なんていらないわ!私はまだ……あなたを操れる!」
「やってみろ」ハルトはささやいた。
彼女は一歩踏み出し、気丈にふるまおうとした。
だが、ハルトのオーラが彼女を包んだ。
彼の背中から、冬の太陽のように輝く黄金の槍が現れる。
「ドロップSSR──審判の太陽槍」
アヤカは後ずさる。
「そ、それは……どこで手に入れたの?」
「君が嘘を手に入れた場所と同じだ」彼は答えた。
「運、宿命……そして、生きるために払った代償からだ」
槍が空を裂いた。
アヤカはかろうじて避け、ドレスは裂けた。
地面に倒れ、苦しそうに息をする。
「ハルト……お願い……
ただ、見てほしかっただけなの。愛されたかっただけ……それって、そんなに悪いこと……?」
ハルトの歩みが止まる。
その瞳は柔らかくなったが、決意は変わらない。
「いや、アヤカ。悪いのは、他人を壊してまでそれを求めたことだ」
アヤカは涙混じりに笑いながら跪いた。
「じゃあ……殺しなさいよ。
あなたも結局、みんなに見てほしいだけでしょ?
私と同じじゃない」
ハルトはしばらく沈黙し、
その後、槍を彼女の目の前に突き立てた。だが、触れはしなかった。
「殺す必要はない。君の声はもう、死んでいる」
地面に金色の魔法陣が浮かび上がる。
ガチャのルーンが回転し始めた。
「結果:調和の封印──ランクS」
アヤカは瓦礫の中を這いながら逃げようとした。
その金髪は灰にまみれ、手は血で染まっていた。
かつてのコンサートで着ていた白いドレスは、裂けて汚れていた。
何かを言おうとしたが、彼女の声──彼女を定義していた力──は、もうなかった。
その背後から、群衆が進んでくる。
村人、兵士、子どもたちまでも。
かつて彼女の名を叫んだ者たちが、今は松明と石を手にしていた。
「騙しやがって!」
「俺たちを奴隷にした!」
「偽りの女神は、その罪を償え!」
アヤカは後ずさり、震えた。
口を動かし、否定し、懇願したが、声は届かない。
かつて崇拝を求めたアイドルは、今や自ら蒔いた憎しみの果てに立たされていた。
最初の石が彼女に当たったとき、アヤカは己の運命を悟った。
自ら作り上げた舞台──それが、彼女の墓となったのだ。
「止めないの?」カオリが混乱を見つめながら尋ねた。
ハルトは首を振った。
「彼女は彼らの声と意思を奪った。
今、彼らはそれを自らの声で取り戻すんだ」
叫び声が彼らのもとへ届く。
ハルトは目を閉じた。
「他人の意志を踏みにじった者には、自らの終わりを選ぶ権利はない」
数時間後、炎は消えていた。
民衆は満足し、あるいは疲れ果て、去っていった。
残されたのは、煙の匂いと風の音だけ。
闇の中から、ハルト・アイザワが現れた。
仲間たちを連れて──
穏やかな瞳のアウレリア、
黄金の太陽の制服を着たカオリ、
影のように静かなモモチ、
そして肩に鞭を下げたマルガリータ。
灰の中で、アヤカはまだ息をしていた。
体は震え、顔は埃と涙と恥に覆われていた。
ハルトを見て、その目は恐怖に見開かれた。
「あ、あなた……」声を震わせて彼女はつぶやいた。
「あなたは怪物よ……これは正義じゃない……ただの残酷さ……!」
ハルトは無表情で彼女を見た。
「残酷さ──それは君が“愛”と呼んでいたものだ」
アヤカは立ち上がろうとしたが、膝をついた。
「わたしも……殺すの……?」
「いや」ハルトは答えた。
「君に、死ぬ自由すら与えない」
アヤカはかすかに笑い始めた。
「じゃあ……どうするの?
私をまた、おもちゃにでもするの?」
「違う」とハルトは冷静に返した。
「君を“本物”に変える。
君が一度もなれなかった存在に」
カオリが一歩前に出て、彼女の前に膝をついた。
「私もかつては君と同じだった。偽りで、空っぽで、鏡の中の奴隷だった。
でも……彼が私を解放してくれたの」
アヤカは震えた。
「解放……?それとも支配……?」
ハルトが手を上げた。
アヤカの足元に金色の魔法陣が現れる。
古のガチャのルーンが輝き、回転を始めた。
《発動:真実の声(Voice of Truth)》
魂の書き換え。存在の再構築。
アヤカは叫んだ。
彼女の体が白と金の光に包まれ、
金髪はピンクがかった銀に変わり、
緑で高慢だった瞳は、静けさを湛えた淡い青へと変わる。
ボロボロだったドレスは優雅な制服へと変わり、
青い縁取りのケープ、軽い布のコルセット、黒い手袋、
首には黄金の太陽の紋章が刻まれた青いリボンが飾られた。
戻ってきた声は、もはや誇りでも恐れでもなかった。
それは穏やかで、静かな声だった。
「わ、わたしは……誰……?」震えながら彼女は尋ねた。
ハルトは肩に手を置いた。
「君の名前は、今から“セリス”だ。
そして、真実だけを歌うんだ」
彼女はうつむき、新たな涙をこぼした。
「……かしこまりました、主さま」
マルガリータが腕を組んだ。
「勘違いしないでね、坊や……
だんだん神様みたいになってきてるわよ」
ハルトは首を振る。
「俺は神じゃない。
ただ、この世界に残された嘘を掃除する者だ」
カオリは新たなアヤカ──セリスを見つめた。
「……彼女、自分に正直でいられると思う?」
「きっとできる」ハルトは答えた。
「今の彼女の声は、もう“エゴ”のためじゃない。
“目的”のためにあるからだ」
一行は薔薇の宮殿を後にした。
そこは、ただの灰と化していた。
解放された都市を、朝日が照らしていた。
そこにはもはや歌はなかった。
風のざわめきと、未来へ進む足音だけが響いていた。
夜明けのキャンプで、セリスは一音だけ歌った。
それは強くもなければ、魔法でもなかった。
だが、その誠実さに、アウレリアさえも動きを止めた。
ハルトは黙って彼女を見つめていた。
「その歌……何を意味している?」
セリスはかすかに微笑んだ。
「それは約束です、ご主人様。
もう二度と、私の声で嘘をつきません」
彼らの背後で、黄金の太陽が輝いていた。
王国は偽りの女神を失った。
だが、ひとりの再生された同盟者を得たのだ。
――セリス、真実の声。
――つづく。
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