最初の召喚
森の静寂はあまりにも濃密で、
自分の呼吸が壊れる音さえ聞こえていた。
ハルトは、もはや身動きすらままならなかった。
フェラリスの槍が脇腹を貫き、
痛みは容赦なく意識を蝕んでいた。
血は一滴ずつ、白い雪を染めていた。
遠くから、仲間たちの叫びが消えていく。
転移魔法の光も、数分前に途絶えていた。
——見捨てられた。
——また……か。
身体は震え、喉を焼くような冷気が肺に突き刺さる。
這おうとしたが、地面は鋭い氷の結晶で覆われていた。
彼は思い出す。
教室で「無能」と笑われた日々。
夜な夜な逃げ込んでいたガチャゲーム。
“引く”という行為だけが、彼に小さな希望をくれた。
結果が出る前の一瞬の「かもしれない」という幻想。
——もう一回……
今度こそ、何か「当たる」かも……
視界が滲む。
そのときだった。
金属的な音が、どこからともなく響いた。
森の外ではない。彼の“内側”からだ。
—[接続を確認しました。]
—[ユーザー識別:ハルト・アイザワ]
—[無限召喚ガチャ・システム、起動完了]
その声は冷たく機械的でありながら、どこか“生きていた”。
空気が震える。
彼の前に、金の魔法陣が浮かび上がる。
その文様は、まるで古びたルーレットのように回転していた。
——これ……ガチャ……?
—[初回召喚を確認]
—[コスト:命のマナ]
—[実行しますか?]
ハルトは自分の血に染まった手を見る。
命と引き換えに、たった一つの召喚……?
彼は笑った。乾いた、壊れかけた声で。
——もう、失うものなんてない。
—[確認完了。]
魔法陣が激しく回転する。
光、音、熱。すべてが混ざり合い、
風は空中で凍りつき、
木々は身を屈め、
森そのものが“震えた”。
そして光が収束したその中心に——
“彼女”がいた。
長く、淡く金色に輝く髪。
真珠のような肌、星を映したような深い青の瞳。
軽装の鎧には鱗の意匠があり、
その呼吸ひとつで光が踊る。
背中からは、透明な翼が闇の中で広がった。
—[召喚完了。]
—[個体:銀竜オーレリア]
—[クラス:SSR召喚体]
—[初期忠誠度:100%]
彼女は静かにハルトを見下ろし、
その瞳は静かでありながら、どこか慈しみを湛えていた。
——あなたが……私の召喚主?
ハルトは言葉を失っていた。
その存在はあまりにも“圧倒的”だった。
オーレリアは手を差し出した。
その温もりは、まるで冬の中にある炎のようだった。
——ひどく傷ついているのね。
皮肉ね。君は見捨てられた……でも、“運命”は君を選んだ。
ハルトは苦しげに笑った。
——もしこれが夢なら……覚めないでくれ。
オーレリアはわずかに微笑んだ。
——これは夢じゃない。
でも、生き続けたいなら——“代償”を払う必要があるわ。
——代償……?
——“恐れ”よ。
その瞬間、空気が震え、
暗闇の中から三体のフェラリスが現れた。
黒い装甲に覆われた獣たちが、牙を剥いてうなる。
オーレリアは振り返り、声の調子が変わった。
——では始めましょう。契約の刻を——。
一体目が跳びかかった瞬間、
彼女の手が光り、空気が凍りつく。
怪物は氷の檻に捕らわれ、一瞬で粉々に砕け散った。
二体目が吠えながらハルトに突進する。
オーレリアはその前に立ちはだかり、
回転しながら吐き出した息が、毒のような霧となって獣を包んだ。
フェラリスは痙攣しながら雪に沈んだ。
三体目は他よりも大きく、口を開いて火を飲み込んだような咆哮を上げる。
オーレリアは剣を掲げ、
聞き慣れぬ古代語でささやく。
「——冬よ、太陽を喰らえ。」
天空から凍てつく光の槍が降り注ぎ、
獣を真っ二つに切り裂いた。
咆哮は止んだ。
残ったのは、雪の降る音だけだった。
***
その瞬間、ハルトの人生は終わり、
新たな“物語”が始まった。
ガチャに“希望”を託していた少年は、
今、運命を“引き寄せる”者へと生まれ変わったのだった。
ハルトは、自分の目を疑っていた。
粉々に砕けた氷、凍りついた空気、
そしてその中心で、ゆっくりとこちらに歩いてくる——オーレリアの姿。
——これが、あなたに属する力。
それは“ふさわしいから”ではない。
あなたが——
「すべてを賭ける勇気を持った、唯一の者」だったから。
ハルトは俯き、震える声でつぶやいた。
——皆に……捨てられたんだ。
まるで、ゴミみたいに。
オーレリアはそっと微笑んだ。
——ならば、世界を“清め”なさい。
そして——新たな世界を、あなた自身の手で創るのよ。
その瞬間、風が止んだ。
雪が、金の魔法陣のまわりで静かに輝き始める。
—[召喚完了。]
—[ガチャ・システム、永続解放]
—[機能:召喚/スキル/アイテム/遺物]
—[警告:各召喚は、使用者の生命力および精神力を消費します]
ハルトは拳を握りしめた。
——なら……
命が尽きるその瞬間まで、俺は賭け続ける。
オーレリアは彼を見つめる。
その瞳には、悲しみと尊敬が同時に宿っていた。
——それがあなたの望みなら……
わが主よ、私はあなたを鍛え上げましょう。
こうして、始まった。
異世界の氷空の下——
「運のない少年」が最後の一投を放ち、
“運命”そのものを変える力を手にしたのだった。
――つづく。




