民の裁き
青の宮殿の廃墟に、重く静かな沈黙が降りていた。
ツキシロ王妃は玉座の残骸の中で膝をつき、
衣は裂け、髪は血に染まり、肩に乱れて落ちていた。
魔力は尽き、浮遊していたオーブも──死んだホタルのように消えていた。
かつて彼女の術に囚われていた村人たちが、おそるおそる広間に足を踏み入れた。
農具を手にした者、石を握る者。
彼女の姿を見ると、一瞬立ち止まり、そして──ざわめき始めた。
「こいつが…俺たちに子どもを差し出させたんだ…」
「村を焼いたのも、こいつだ…」
「“秩序”が全てを正すって…言ってたくせに…」
広間の隅で、相沢ハルトは黄金のマントを肩にかけ、彼らを見守っていた。
カオリが一歩前に出て、彼に尋ねた。
「師匠…彼女を、どうするつもりですか?」
ハルトは、かつての女王に視線を落とした。
「何もしない」
「…何もしないの?」と、モモチが驚いて繰り返した。
ハルトは静かにうなずいた。
「俺たちは裁きの神じゃない。
彼女が歪めたこの国自身が──その行く末を決めるんだ」
彼が背を向けて広間を去ると、
村人たちはその意味を理解した。
叫びが始まったのは、その直後だった。
王妃は口を開いたが、声は嗚咽と笑いに交じって震えた。
「これが…民の正義ってわけね…」
最後の叫びは、怒号の中に掻き消えた。
そしてその声の残響が──青の王国の終焉を告げた。
その夜、中央王国の王宮にて。
アルブレヒト三世王のもとに、一人の使者が駆け込んだ。
全身が埃まみれで、息も絶え絶えだった。
「陛下…ツキシロ王妃が…陥落しました…」
「な…なんと言った?」王は震える声で問うた。
玉座の肘掛けにしがみつき、苦しげに息を整える。
その顔は蒼白で汗に濡れ、日に日に悪化する病を物語っていた。
王妃が彼を支え、すぐに医師たちが呼ばれた。
「レンジも…カイトも…そして今度はレイナまで…」
王はうわごとのように呟いた。
「我らの英雄たちは…一人、また一人と崩れ去っていく…」
王国の南端、富士守アヤカは、自邸のバルコニーから夜空を見上げていた。
微笑みは相変わらず完璧だったが、
その瞳には鋭く計算された光が宿っていた。
一人の侍女が近づく。
「お嬢様、国王より緊急の謁見の要請です」
「ふふ…」アヤカは扇を指先でくるくると回した。
「ようやく…私の価値に気づいたのね」
数時間後、彼女は王の謁見の間に現れた。
疲れきった王が、憔悴しきった眼差しで彼女を見つめる。
「王国は…分断されている。
希望を灯せる者が必要なのだ…
民の心にまだ響く声が…」
アヤカはやさしく微笑んだ。
「もちろんです、陛下。
私は歌いましょう──この国のために、民のために」
そして身を屈め、そっと王の耳元で囁いた。
「その代わりに──
通信と教会の権限、すべて私にください」
「守るためには、力が必要ですから」
王は迷った。
だがこの衰弱しきった身体では、拒む力もなかった。
「…必要と思うことを、好きに…」
アヤカは静かに微笑み、扇の陰でほくそ笑んだ。
「皆には、王国を愛して歌っていると信じさせましょう。
でも、民の心を操るのは──この声。
この私。」
その夜、青の王国の鐘は静かに沈黙した。
代わりに、近隣の首都に新たな旋律が響き渡る──
富士守アヤカの声が、魔法の波に乗って広がっていた。
それは団結と希望を謳う、美しい歌だった。
だがその旋律の裏には、
魂に触れる微かな“周波”が隠されていた。
それに気づく者はごくわずか。
けれど──すべての民が、彼女の歌に心を奪われていく。
彼女を敬い、愛し、依存していく。
その頃、遥か遠くの丘にて、
相沢ハルトはアウレリアとカオリを伴い、その光景を見つめていた。
「また一人、光の仮面をかぶった怪物か…」
アウレリアが呟く。
ハルトはうなずいた。
「そしていずれ…あの歌も、止めねばならない」
北風が強く吹きつけ、
灰と戦の匂いを運んでくる。
本当の戦いは──
まだ、始まったばかりだった。
――つづく。
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