操りの軍勢
都市には冷たい鉄とくすぶった煙の匂いが漂っていた。
真夜中、歌ではもうひび割れを隠せなくなった頃、
レイナの宮殿に響いた音は不吉だった──
それは軍靴の行進、魔法によって刻まれた機械的な鼓動。
水晶の作戦室で、レイナ・ツキシロは微笑まず、
まるで蜘蛛の巣を紡ぐかのように、無数の魔力を集中させていた。
彼女の前には、眠る衛兵や逮捕された市民が整列され、
目は石のように濁り、一度も瞬きをしない。
レイナの指先から伸びる青い光の糸は、
彼ら一人ひとりのうなじに絡みついていた。
「目を覚まして」
彼女が囁くと、無表情の人々が一斉に応じた。
──「考えず、従え。」
それは兵士ではない。
それは“意思なき兵”の軍団だった。
レイナはそれを“秩序の遺産”と呼んだ。
志願か否かにかかわらず、再構築された人々が、
絶対の平和を維持するための道具として歩き出したのだ。
彼女にとって、それは理想──
魂なき秩序。
答えだけの世界。
劇場の南バルコニーで、アヤカ・フジモリは遠くの松明を見つめていた。
完璧なメイクが、初めて揺らいだ。
かつての“私的リハーサルの夜”──
無表情の観客、拍手の代わりに命を吸ったあの歌。
いま、王国は拍手すらせず、ただ従っていた。
「私はこれが……望みだったの?」
横で杖を持つリラが、かすかに言った。
「あなたの歌が、彼女に力を与えたのよ。
レイナは、あなたが始めたものを洗練させたに過ぎない。」
アヤカは呟いた。
「私たち……破壊しようと誓ったものと、同じになったのかもしれない……」
疑念は、冷たい霧のように胸に宿った。
かつて光を目指したアイドルは、
いま、その光が他人を盲目にしていることに気づき始めていた。
数十キロ離れた廃神殿──
そこにハルトが率いる《黄金の太陽団》はいた。
敵と戦うのではない。
意識なき“兵”たちを目覚めさせ、
名を思い出させること。
それが目的だった。
ハルトの指示はこうだった:
モモチ:巡回隊を追い、魔法リンクに隙を作る。
カオリ:覚醒した者を精神的に支える。
アウレリア:空から目を引き、レイナの注意を逸らす。
リラとセレネ:幻術で混乱を演出。
マルガリータ:脱出ルートの確保と誘導。
作戦開始は真夜中。
モモチは影のように動き、パトロール中の兵の魔法の結び目を静かに裂いた。
その兵たちは、明け方になる頃、微かな疑問を抱き始めるはずだった。
アウレリアは銀の竜として夜空を翔け、
氷の蒸気で作られた炎が、王都を照らした。
レイナは結界と鏡を守るために魔力を集中し、
その一瞬の隙に、ハルトたちは突入した。
広場ではリラとセレネが舞台のように幻影を展開。
思考停止の兵士たちは、慣れた命令すら誤解し、武器を取り落とす。
カオリがそっと近づき、額に手を当てる。
「あなたの名前は?」
兵士は震えながら答えた。
──「……タロウ」
「タロウ……」
その名を繰り返すと、
彼の目に一筋の光が戻った。
名前を思い出した兵士たちの間に、
混乱が生まれた。
涙を流す者、戦列を離れる者、
初めて「自分」であることに気づいた者。
宮殿にてレイナは激痛を感じた。
魔力の糸が震え、断ち切られてゆく。
彼女は怒りの絶叫と共に“虚無の雷”を放ち、
一部の解放者を氷のような沈黙へと葬った。
だが、その代償は大きかった。
他の監視拠点を閉じる必要があり、
その隙こそが、ハルトの読み通りの一手だった。
レイナの心に、あの男の影が浮かんだ。
「……遠回しに仕掛けてきたな。ならば、根から断つ。」
しかしその代償として、
都市の中では噂が爆発した。
「王は一部を守り、一部を殺すのか?」
「誰のための英雄なのか?」
夜明けには、数十人の兵士と囚人が立ち上がっていた。
自分の名前を思い出し、仲間と再会し、涙を流す者もいた。
だがハルトは無秩序を許さなかった。
マルガリータとセレネが脱出ルートを案内し、
リラは幻影のカーテンで逃走を隠し、
モモチは通路を監視した。
黄金の印は壁に刻まれていた。
「目を覚ませ」
それはもはや“脅し”ではなく、
“招き”だった。
その夜以降、解放された人々は家々に小さな紙を残した。
“旧神殿に集まれ”──
小さな記憶のかけらが、静かにつながり始めた。
レイナは、かつて支配していた空白を見つめた。
彼女の鏡には深いひび。
怒りとともに、彼女の中には初めての“不安”が芽生えた。
もしこの“蜘蛛の巣”が完全に崩れたなら、
王国は何になるのか?
アヤカは楽屋で、一人涙を流した。
恐怖ではない。
越えてはいけない線を、越えてしまったと知ったから。
リラはその肩に手を添え、黙って支えた。
アヤカが味方になるのか、敵になるのか──それはまだ誰にもわからない。
ハルトは山から、旧神殿へ向かう人々を見ていた。
その光景に、魔力が一瞬光を放つ。
一つの魂が取り戻されるたび、彼は強くなり、確信を深めていく。
「これは、始まりに過ぎない」
カオリが隣で言った。
声には、確かな決意が宿っていた。
ハルトは頷いた。
「さあ、動かすがいい。奴らが駒を進めるなら、俺たちもまた動く。」
街は混沌に燃えていた。
だが、その炎の中には復讐以上のものがあった。
──“選択”という名の、始まり。
――つづく。
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