疑念の種
月城レイナの領地に広がる街並みは、まるで完璧な絵画のようだった。
清潔な家々、整えられた庭園、笑い声を上げる子どもたち、微笑みを浮かべる商人たち。
貧困も争いも涙も存在しなかった。
あるのはただ——幸福の仮面をかぶった沈黙。
空気には甘い香りが漂っていた。
花と魔力が混ざった匂い。
街の至る所には同じ紋章が刻まれていた:青い瞳が円の中に描かれた、レイナの紋章。
住民たちはそれに毎朝手を当て、まるで神聖な加護のように崇めていた。
だがカオリには、それがどれほど不自然か、分かっていた。
—「これは感情の魔法よ」彼女は囁いた。
—「思考の波を操ってるの。みんな幸せだと“思い込まされてる”だけ。」
隣でハルトは市場を鋭い目で見つめていた。
—「ならば……彼女が支配できないものを植え付けよう。」
—「何を?」アウレリアが尋ねる。
—「“疑念”だ。」
一行は四方へと散った。
モモチは灰色のマントを纏い、屋根の上を音もなく駆けていた。
紫の瞳が周囲を精密に捉え、衛兵の動きと魔力の流れを観察する。
見かけるたびに、青い旗に《崩壊のルーン》を刻み込んでいく。
(この紋章が崩れれば、幻想も崩れる……)そう彼女は確信していた。
一方リラは、町の広場で旅芸人を装っていた。
光る杖を手に、優美な言葉で火と光の幻を操り、群衆を魅了する。
だがその演目の合間に、彼女は魔法の声で囁いた。
「あなたの“幸せ”は、本当にあなたのものかしら?」
「どうして毎日、同じに感じるの?」
「もし“夢”を覚えていたら……何を夢見た?」
最初は誰も反応しなかった。
だが次第に、目の光が変わり始めた。
母親が笑うのをやめ、商人が子の名を忘れ、
ひとりの少女が、理由もなく涙を流した。
——“疑念”は、確かに根を張った。
その夜、月城レイナの宮殿の灯りは、これまでになく強く輝いていた。
まるで、失われつつある何かを埋めようとするかのように。
リラは森の中の廃小屋へと戻り、机に帽子を置いた。
—「効いてるわ」彼女は疲れた微笑みを浮かべた。
—「レイナの感情魔法、確実に弱まってる。あと少し。」
モモチが闇から姿を現し、ハルトの前にひざまずく。
—「南方で衛兵の動きが活発です。紋章の変化に気づいた様子。
このまま進めば、三日で支配網は完全に崩壊します。」
アウレリアが腕を組んだ。
—「ってことは……本人が動くってことね。」
ハルトはうなずいた。
—「その通り。
俺が“彼女を誘いたい”理由、それがここにある。」
カオリが近づき、真剣なまなざしを向ける。
—「……あなたも、彼女を利用するつもり?」
—「いいや」ハルトは穏やかに言う。
—「俺は、“本物の恐怖”を教えるつもりだ。」
同時刻。
青いガラスの宮殿で、月城レイナは魔鏡をのぞき込んでいた。
鏡の中には、彼女が支配する街々の様子が映し出されていた。
だが……そこには異変があった。
住民たちの笑顔は、不自然に揺れていた。
何人かは虚空を見つめ、
何人かは足を止め、何かに耳を傾けるような仕草を見せた。
—「……何が起きているの?」
侍女が尋ねる。
—「些細なことよ。すぐに修正するわ。」
そう答えながら、レイナの声はかすかに震えていた。
彼女は手を伸ばし、精神制御の印を再強化した。
だが……鏡は反応しなかった。
その表面に、一筋のヒビが走る。
——そしてその裂け目の中に、一瞬だけ“ハルトの顔”が映った。
レイナは息を飲み、後ずさる。
その呼吸は乱れ始めていた。
—「……また、あなただったのね……」
映像は消えた。
だがその瞬間。
何千もの心を支配してきた魔女が、初めて一つの感情に囚われた。
——“不確かさ”。
雨が青い街に降り注いでいた。
街の片隅で、住人たちがささやき合う。
「黄金の英雄が戻ってきたらしいぞ」
「金? あれは魔族じゃなかったか?」
「さあな……でも最近、夢の内容が変わってきたんだ……」
高台のバルコニーから、リラが眠る都市を見下ろしていた。
隣で、モモチがクナイを静かに拭っている。
—「……芽は出たわね」
—「ああ」リラは笑った。
—「そして花が咲く頃には、この《青の王国》も——もう青くはない。」
森の中、ハルトは拳を握りしめ、遠くの空を見つめていた。
—「月城レイナ……
お前の玉座は《嘘》でできている。
俺が灯すのは——《真実》だ。」
この章では、ハルトは月城レイナの精神支配に抗い、ライラとモモチを村に送り込み、疑念を植え付けようとします。
レイナの感情支配は崩れ始め、初めて恐怖を感じます。
戦いはもはや剣ではなく…心の戦いとなります。
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