目標
ある日の放課後──
「美依奈さん。一緒に帰ろう」
優太がいつもの優しい声で誘ってくれる。
「ごめん。あたし今日補習でさ」
「あー、この間のテストの?」
「そう。まじテンション下がる」
「分かった。頑張ってね」
優太はやや気落ちした顔で帰っていった。
成績のよい優太はもちろん補習なんて縁がない。
いつもは一緒に補習を受ける羽衣も今回はやまが当たったとやらで補習を免れていた。
補習を行う教室に入るとよく見かけるメンバーが揃っている。
先生もお馴染みの顔ぶれに苦笑しながら授業を行っていた。
これまでは補習なんて特になんとも思わずに受けていたが、今日はなんだかひどく虚しかった。
高校生活もあと二年もない。
卒業すれば進学するものや就職するもの、またはそのどちらでもないものに分かれていく。
そうなればもう優太と同じ環境で生活することはできない。
離ればなれになれば、心の距離も遠ざかってしまうかもしれない。
あたしにしてみれば幼い頃から想い続けた運命の人でも、優太にとっては高校時代に付き合った彼女程度ですぐに忘れてしまう可能性だってある。
そんなの、絶対イヤ。
想像しただけで目がうるうるしてしまう。
そうだ! 優太と同じ大学に進学すればまた一緒にいられるじゃん!
そう閃いた途端、現金なあたしは俄然勉強をする気が湧いてきた。
だからといっていきなり頭がよくなるはずもない。
先生が教える内容を必死で聞いて理解しようと努力したけど、半分も分からない。
補習後、さっさと帰宅するみんなをよそにあたしは先生のもとに行った。
「あの、先生」
「ん? なんだ? 分からないところがあったのか?」
「あ、いえ。そうじゃなくて……実は行きたい大学があるんですけど……」
「へぇ? 橘が? いいじゃないか。どこなんだ?」
あたしは恐る恐る優太の志望校を告げた。
先生は一瞬驚いた顔をして「うーん。なるほど」と取り繕った顔になる。
「やっぱいい。忘れてください。補習に出てるようなヤツが目指すようなとこじゃないですよね」
「無理ではないと思う。ただかなり頑張らないとだな」
「ですよねー。ははは……」
「橘が本気なら先生も可能な限り協力するぞ」
「はい。ありがとうございます」
教室を出ると既に廊下にも誰もおらず、校舎は静まり返っていた。
そんな静寂にあたしの足音だけが響く。
昼は汗ばむ陽気の日もあるが夕方はまだ寒い季節だ。
肌寒さを感じながら一人で歩いていた。
このまま高校を卒業して、優太と離ればなれになったらどうしよう……
せっかく何年もかかって再会し、恋人になることが出来たのに……
想像していると涙が込み上げてきた。
「美依奈さん」
「ふぇ……?」
顔を上げると昇降口に優太が立っていた。
「なんで……優太が? 帰ったんじゃないの?」
「まさか。帰るわけないよ。補習が終わるのを待っていたんだよ」
「優太……」
「わっ!?」
突撃するように優太の腕にしがみつく。
「ありがとう」
「さ、帰ろう」
きっと優太はあたしが泣いていたのを見ていた。
でもなにも聞かないで頭を撫でてくれる。
そんな優しさが、やっぱり優太だ。
胸に顔を埋め頭を撫でられる心地よさに酔いしれる。
……ついでに優太の匂いを嗅いでおこう。
「あ、そう言えばあたし待ってたら夕飯作るのとか遅れるんじゃないの?」
「大丈夫だよ。妹に任せるって連絡したから」
「真凛ちゃんに?」
「ああ。お兄ちゃんは彼女とデートだからって」
「デ、デデデートっていうか、一緒に帰るだけでしょ!」
やけにぐいぐいくる優太に躊躇ってしまう。
「二人きりで一緒にいる時間をデートって呼ぶんじゃないの?」
「ダメ。ちゃんとしたデートに連れていってよね!」
「分かった。じゃあ週末に出掛けよう」
「やった。約束だかんね!」
ぎゅっと手を握ると優太も握り返してくれる。
ようやくあたしらも恋人らしくなってきたかも。
その日の夜。
お風呂には入りながら優太のことを思い出していた。
あたしを待ってくれていた優太の姿は何度思い出してもドキドキしてしまう。
「あー、無理。マジ無理。しあわせ……」
上半身をだらんと脱力して脚をお湯から出してピンと伸ばす。
ちゃんと無駄毛の処理もしなきゃ。
優太とデートなんだし。
『無理ではないと思う。ただかなり頑張らないとだな』
不意に先生の言葉が脳内でよみがえった。
そうだ。
このままじゃ優太と同じ大学に進学できない!
無駄毛処理もけっこうだけど、それ以上に勉強をしなきゃ!
ざばっと湯船から立ち上がり、急いで浴室から出る。
思い立ったが吉日。
それがあたしのモットーだ。
勉強くらいしてやる!
ぜってー優太と同じ大学に行く!
ギャル、なめんなよ!
優太との時間のためならあたしはなんだってしてやるんだから!
「こら、美依奈! ちゃんと服を着なさい!」
「あーもう、ママ。うるさい! あたしは忙しいの!」
やる気を出してるときに限って親はうるさい。
一秒でも惜しむように肌着を着ながら机へと向かっていた。




