美依奈さんの正体
振り返らずに猛ダッシュで美依奈さんの住むマンションから立ち去る。
追ってきていないと分かっていても足は止まらなかった。
住宅街を抜け、駅を通りすぎ、小学校を越えてもまだ走っていた。
あてなんかない。
ただ悔しくて、悲しくて走っていた。
息が切れても更に走り、脚が縺れて転びかけてしまった。
「うわっ」
慌てて目の前の手すりにしがみつくと、そこはかつてチバと遊んだ公園だった。
息をするのもしんどいくらいなので公園のベンチに腰かける。
心臓を落ち着けながら先ほどの光景を思い返す。
「くそっ!」
思い切り太ももを殴る。じんじんと足が痛んだ。
アクセサリーやぬいぐるみが並べられた棚には間違いなくビデオカメラが設置されていた。
しかも電源オンの赤いランプが灯っていた。
雑に隠したところを見ても、僕を部屋にいれる前に慌てて設置したに違いない。
部屋に入る前、一、二分外で待たされたことを思い返す。
騙されて浮かれる僕を隠し撮りして笑うために撮影していたのは間違いないだろう。
「やっぱりだったなぁ……ははは……」
ウソ告白だと最初から分かっていた。
今さら落ち込む必要なんてない。
そう分かっているのに、胸の奥には鈍い痛みが走る。
騙された振りをして返り討ちにするつもりだった。
それなのに僕はどんどん美依奈さんに惹かれていってしまった。
引っ越しばかりで幼なじみがいない僕の境遇を悲しんでくれたこと。
お見舞いに来たとき着替えを見てしまったハプニング。
球技大会でましろさんを庇ったこと。
下手くそながら一生懸命お弁当を作り、次第に上達してきたこと。
桧山くんから庇ったときに見せた涙。
色んな美依奈さんが脳裏にフラッシュバックされ、胸が締め付けられた。
「分かってた……分かってたはずなんだけどなぁ……」
鞄を抱くように背中を丸めて俯く。
告白された一ヶ月前の自分に言ってやりたい
「美依奈さんみたいな美少女が僕なんかに告白するはずがないじゃないか。なに浮かれてんだよ……ほんと、バカだなぁ……」
悔しさや怒りは沸いてこなかった。
ただ虚しさだけが去来する。
だから言ったじゃないか。
ウソ告白だって。
なんで分かってるのに騙されるんだよ。
こんないたずらは別に珍しくもない。
美依奈さんたちはノリで楽しんでるだけだ。
疑いながらも次第に本気になっていく僕は、さぞかし面白かったことだろう。
心の中でチバを裏切ったことのバチが当たったんだ。
そう。
僕は確かにチバを裏切った。
もし本当に美依奈さんが僕の彼女だったら、と願ってしまった。
一度ならず、二度もチバを裏切った。
その報いがこれだ。
顔を上げるとかつてチバと二人で隠れたてんとう虫型のドーム遊具が目に入る。
あの中でチバと将来を誓い合った。
狭い穴の中に無理矢理入り込むと、砂の埃っぽい匂いがした。
あの雨の日、ひっそりとここに隠れて僕とチバは未来を誓い合った。
そうだ!
あのとき確か僕たちは結婚を誓うために証拠を残したはずだ。
低い天井を見上げて、油性インクの掠れた文字が見つけた。
汚れているが確かにうっすらと残っている。
相合傘の片方に『イキユウタ』と僕の名前が書かれ、その隣には──
「えっ!?」
驚きのあまり息が止まった。
『タチバナミイナ』
掠れていて読みづらいが確かにそう書かれていた。
「どういうことだ!?」
驚きのあまり立ち上がろうとして頭を天井に強打する。
「いたたたっ……」
頭を押さえながら踞り、混乱と興奮でぐちゃぐちゃの頭を整理する。
なぜ僕の隣に美依奈さんの名前が書かれているんだ!?
ワケが分からない。
「あっ……」
そうだ。
チバというあだ名はタチバナの間二文字を取ったものだった!
つまりチバは美依奈さんだったんだ!
「まさか……ウソだろ……僕はとんでもない勘違いをしていた……」
あまりの衝撃に頭がくらくらした。
「これはウソ告白のいたずらなんかじゃない……」
ギリッと歯を食い縛り、己の間抜けさを呪う。
「結婚する約束を破った僕への、チバの復讐なんだ……」
いたずらにしては長いし、しつこいと思っていた。
しかし復讐なら話は別だ。
まだまだこんなものでは気が済まないのだろう。
もっと僕を有頂天にさせ、浮かれたところで叩き落とす。
それが狙いなのだ。
「そっか……チバか……美依奈さんが……」
考えてみれば、不思議なことじゃない。
ウソ告白のターゲットに僕を選んだのは偶然なんかじゃない。必然だ。
だってこれは長い長い復讐なのだから。
それならば、受け入れよう、その罰を。
理由はどうあれ、僕はチバを傷つけた。
その罪を償うのであればどんなことも甘んじて受け入れるつもりだ。
美依奈さんに心が惹かれたのも当然だ。
僕が心から愛し、そしていまも焦がれている人なのだから。
驚くほど僕はほっとしていた。
少なくとも二回もチバを裏切らずに済んだ。
それが嬉しかった。
これからは素直にチバを、美依奈さんを好きだという気持ちを認めよう。
恋をして、大切に思って、そしてフラれよう。
本気で傷ついて、ようやく僕の御祓は終わることが出来る。
掠れた油性インクの文字を撫でながら、僕は誓った。
失恋するために、僕は恋をする。
これにて第二部終了となります!
遂にチバ=美依奈さんと気付いた優太。
しかしウソ告白も間違いないと確信したまま。
美依奈さんが好きという気持ちを素直に認め、騙されようと決意します。
そんな事情はまるで知らない美依奈さんとどんな関係になるのでしょう?
加速していく勘違いラブストーリーをお楽しみに!




