美依奈さんのいない教室
ゴボウの肉巻きを包丁で切ると少し固さを感じた。
「よし」
美依奈さんは少し固めが好きなのでわざとそのように仕上げた。
斜めに切ったそれを弁当箱に詰めると喜ぶ美依奈さんの顔が浮かび、笑い返すように僕も口許が緩む。
「ってなにを浮かれてるんだ、僕は」
我に返って唇を噛む。
これじゃ美依奈さんの思う壺だ。
罠だと看破しているのに引っ掛かったら意味がない。
球技大会のことや不器用ながらも上達していっているお弁当を見て、いい人なのかもなんて思い始めている自分がいた。
それにあの整った顔立ちに見詰められると、嘘だと分かっていてもドキッとしてしまう。
気を引き締め直そう。
そんなことを考えていると、ブーブーとスマホが震える。
「ん?」
差出人は美依奈さんだった。
こんな朝早くになんの用だろう?
『ごめん。風邪引いた。学校休む。お弁当、作っちゃってた?』
ペコペコと頭を下げるスタンプつきのメッセージだった。
風邪でダルいならわざわざこんなメール送らなくていいのに。意外と律儀な人だ。
『まだ作ってないよ。気にせずゆっくり休んでね』
迷った挙げ句スタンプはやめておいた。
僕がメッセージを送ると、美依奈さんからすぐに『ありがとう』とハートを飛ばすスタンプが届く。
ハートはただの飾りだ。
おそらく『ありがとうスタンプ』にはハートのヤツしかなかったのだろう。
深く考えずそう決めて美依奈さんのお弁当に詰めたおかずを朝食の皿に移し替えた。
美依奈さんのいない一日は穏やかで、そして少し物足りなかった。
今日一日、何度も空席の美依奈さんの席に視線を向けてしまっていた。
「ねぇ、優太」
美依奈さんの親友の羽衣さんがニヤニヤしながらやって来る。
「なに?」
「今日配られたプリント、美依奈の家に持っていって」
「え? 僕が?」
「彼氏でしょ?」
「ちょっ!? 教室でその話は」
幸い近くに誰もいなかったので聞かれてはいないようだ。
「羽衣さんが持っていってよ」
「無理。うちバイトだし」
「でも」
「優太が行ったら絶対美依奈喜ぶし」
「そうかな?」
「そうだよ。じゃ、頼むね。これ、カギ」
さらっと当たり前のようにカギを渡される。
「なんで羽衣さんが美依奈さんちのカギ持ってるの?」
「お互い行き来するからだけど? その方が便利じゃん」
「便利って……二人とも家族と住んでるんだよね」
「当たり前っしょ? 高校生なんだから」
家族も住んでいる家の鍵を持っているという感覚がよく理解できない。
ていうかなんでそれを僕に渡してくるのだろう?
「はやく行った方がいいよ。親帰ってくるの六時前だから、急げばワンチャンあるかも?」
「わ、ワンチャンってなんだよ!」
犬でないことだけは分かるけど……
「あと行く前に連絡とかしちゃダメだかんね」
「え? なんで?」
「そんなことしたら化粧しておしゃれバッチリにしちゃうに決まってるでしょ。風邪引いてるのに無理させちゃダメ」
「あ、なるほど」
「黙って行って勝手に家に入ればいいから」
それで鍵を渡してきたのか。
ようやく理解した。
「じゃあね。うまくやんなー!」
羽衣さんは一方的に捲し立てて去っていく。
託された僕は仕方なく美依奈さんの家へと向かった。
羽衣さんに教えられた住所に向かうと、僕が以前住んでいたところの近くだった。
懐かしさがよみがえるが寄り道をしていると遅くなるのでまっすぐ美依奈さんの家に向かう。
カギを借りていたがさすがに勝手に開けるわけにも行かないのでインターフォンを押す。
しかししばらく待っても反応がない。
もう一度押そうかと思ったが、寝ていたら起こすのも可哀想だ。
仕方なく借りたカギでドアを開ける。
玄関先にプリントだけおいて帰るつもりだった。
ガチャっとドアを開けると、寝ぼけた顔の美依奈さんと目があった。
「あ……」
「ふぇっ……?」
美依奈さんはTシャツとショートパンツという部屋着。髪はセットされておらず、少しクシャっと乱れていた。
「な、な……なんで優太がいるのよ!」
「わっ!? ご、ごめん!」
「もう最悪! こんな格好だし、スッピンだし!」
美依奈さんは自室と思われる部屋に逃げる。
「配られたプリントを持ってきただけだから! ここにおいて帰るね!」
「帰るな! お願い、ちょっと待ってて!」
「風邪引いてるんだろ? ほんと、着替えとか化粧とかしないで」
「しないからちょっとだけ待ってて!」
何をしているのか、部屋からはドタンバタンと激しめの音が聞こえてくる。
「いいよ、こっち来て」
「う、うん」
躊躇いながら部屋に入る。
黒とピンクが基調でヒョウ柄のクッションやラグが敷いてある派手派手しい部屋、と思いきや意外とシンプルな部屋だった。
化粧道具が置いてあるチェストとか、美術館にある巨大な絵画の額縁みたいな枠の鏡、ガラス天板のテーブルなど落ち着いたお洒落感がある。
大きなビーズクッションの上にいるぬいぐるみとかはギャルだなって感じだけれど、それ以外はいたって普通だ。
「ジ、ジロジロ見んな! ハズいから……」
「ごめん。結構普通だなって思って」
「はぁ? 当たり前だし。あたしをなんだと思ってるわけ?」
「うーん……ギャル?」
「ギャルも普通の部屋なの! っもう!」
吠える顔もスッピンだからか、いつもより柔らかく感じる。
照れて髪の毛先をいじる素振りもなんだかあどけなくて可愛い。
「スッピンって新鮮だね」
「も、もう! 見るな!」
「部屋を見ちゃダメで顔も見ちゃダメならどうすればいいんだよ」
「目をつぶってて!」
「そんな無茶苦茶な」
部屋を見てもダメで顔を見てもダメ。
どこを見ればいいのかと視線を泳がせ、更に叱られそうな胸元辺りを見てしまう。
(ん? そういえばさっきからやけにたゆんたゆん揺れてない? それに膨らみの中心辺りがややぴょこっと尖っているような……)
慌てて目を逸らす。
これ、たぶん素肌の上に直にTシャツ着ちゃってるっ……
風邪で寝ていたんだからあり得る話だが、だったらさっきの慌てぶりはなんだったのだろう?
ブラを着けるためじゃなかったのか?
そこではっと気付いた。
(これはハニートラップだっ……)
さっき慌てたのは隠し撮りするカメラを設置していたからに違いない。
用心深く視線だけで周囲を確認する。
どこかにカメラがあるはずだ。




