病院での葛藤。変化と決意
ゼムナスの移送された病院内。集中治療室の前で席に腰を据えていた。
傍には白鷺が同席しており、一緒に待っている。
「焦らなくて良いんですよ? 迅速な手当て、迅速な搬送。こちらも手は尽くしました。お医者様に任せましょう」
「……うん」
「あとは彼の気力次第です」
俺自身、とりわけ怪我を負ってもいないのに、天使は励ましの言葉をくれていた。
通路から慌ただしく無数の足音がこちらにやってくる。
アリスが血の気が引いた様子で駆け付けた。詳しい事情は連絡している。
「お、父さんは……!」
「……まだこの中だよ」
「容態は? 危篤じゃないって聞いたけれどホント? 手術するくらい酷いの?」
「アリスさん、落ち着いてください。傷はわたくしが塞いでおります。処置はもうじき……」
言うなり、部屋の前にあった標示灯の光が消えた。
左右に扉が開き、ストレッチャーが運び出される。その上には施術を終えて酸素マスクをつけた男が眠りについている。
妹は弾かれたようにゼムナスを何度も呼び掛けながら駆け寄った。
そのまま病室にまでついていこうとするも立ち止まる。ハッとした様子でこちらに振り返った。
「兄さんも……」
言い掛けて、言葉を呑み込む。言わんとしていることは分かっていた。
きっとこれまでの俺だったら首を左右に振っていただろう。アリスもそれを分かってて口をつぐんだのだ。
兄アレスもいない今、心細い様子で泣き崩れそうな表情で、付き添って欲しい筈だ。
「話が終わったら、行くよ」
「わたし、アリスと先に」
代わりに真噛がゼムナスの搬送に同伴した。彼女だって同胞を失いとても辛い心境であるのに、アリスを出迎えからずっと付き添ってくれている。
「積もる話はあるとしても、こちらで先にご説明してよろしい?」
「……はい」
「経緯をお聞きしたところ、酷い重傷患者だと思えば驚きましたね。外傷の形跡なんてまるでなく、血だけが大量に消失していて極度に脈拍が低かった。殆ど検査と鎮静剤、輸血だけで済んでしまいました」
「命に別状はない、ということですね」
「ええ、今のところですが。意識が戻るのを待つばかりかと。しかし、今日は件の騒動で何人もの患者が運ばれてきましたが、そちらは全く処置が必要ありませんでした。いやはや、こちらのお株を奪われてしまうとはいえ貴女のような方が医療現場におられると非常に心強いのですがね」
「出来うる限り未然に防ぐのがこちらの領分ですから。それに、病までは治せませんのでそこまで万能ではありませんよ」
にこやかに天使は勧誘をお断りする。
それから医師に今後の話を受ける。入院の手続き、万が一の時に連絡する旨、耳に入ってはいてもいまいち頭に入ってはこなかった。
「まぁ、残りの詳しい話は落ち着いてからにしましょうか。峠は越えていること、まずはそれで十分でしょ」
解散して残された俺と白鷺はしばらくその場に立ち止まっていた。
「アルフ、わたくしも少しお話よろしいですか」
「……うん」
「今回の件、とても残念でした。怪我の功名とはいえ、こんなことになるなんて」
「俺に嘆く義理も資格も無い」
「どうしてですか」
「だって、白鷺も知っているだろ? 俺はアイツを……」
言葉に詰まる俺に対して、彼女はおもむろに頷く。
「はい、続けてください」
「アイツを、憎んでた筈だったんだ……。関わりたくもなくてついつい邪険になって、ムキになった」
それは確かだった。喫茶店の中に奴がいるということを認識しただけで、腹の奥からドス黒い感情が立ち昇った。自分が冷静ではなくなっていくのが分かっていた。止められなかった。
でもそんな衝動を抑える必要もないと断定したし、むしろ正当性すらあるように思えた。
「だからこの結果は本意であった筈なのに、何故か拒絶する自分がいたんだ。俺を庇って血に染まったゼムナスを見た時、その前提が崩れた」
感情の整理に苦戦しながら、言葉にしていく。
やがて、内に抱える矛盾に気付いた。
己を捨てた父親という相手に、繋がりを断ち切ろうとしていたのにこちらから憎み合おうとしている。
この男に破滅を望んでいたのに、死に立ち会うことを拒み生を願った。
俺は、一体どうしたかったのだろうか。
「だから、それで闘えなくなったのは俺の心の弱さなんだよ。白鷺にも迷惑をかけた、助けに来てくれなかったらどうなってたか。ごめん、あんな奴でも助けてくれてありがとう」
「謝らなくて大丈夫です。そうなるだけの確執があったのですから」
「今日だけで、自分が至らないことだらけだと思い知らされた。もっと上手く立ち回れることはいっぱいあったのに、私的な感情に揺さぶられて危うく色んなものを失うところだったんだ。笑わせるよね、何が退魔士だよ」
何が『北斗』の中でも有数のS級だ。何が天朧だ。
「ええ、それで良いんです。未熟は恥じるものではありません。今回貴方は己の至らぬところがあることに気付いて、乗り越えるきっかけになったと思いましょう」
けれども、と天使は言った。
「わたくしはしっかり聞いています。貴方の心の叫びを。貴方が、彼をお父さんとハッキリ呼んだことを」
「ッ……」
あの時俺はあろうことかゼムナスを父と呼んだ。酷い罵りもあったが、確実に。
どうしてそんな風に呼んでしまったのか。どうかしてたとしか思えない。
何となく後ろめたい気持ちに駆られ、彼女と目を合わせられず視線が彷徨う。
「自分に嘘はつけません。きっとあのまま助かっていなかったら、アルフは深い傷を残していたでしょう。ですから」
手を引き、俺を座らせる。そのまま顔を己の腕に抱き寄せた。小さな身体で抱擁する。
ふんわりとした温もりといい匂いに包まれた。
「もう少しだけ、認めてあげたらどうですか。彼のこと、そして彼を想った貴方自身を」
「……俺、自身」
「実はアルフが席を外した時、貴方のお父様とは仕事以外の話をしました。貴方を『北斗』に引きいれて退魔士にしたことを感謝されましたし、契約したわたくしに今後も貴方をどうかよろしく頼むと頭を下げられて」
「アイツが……?」
二人になった時、そんな話をしていたのか。信じられないような内容だが、白鷺が嘘をつくとは思えない。
「貴方を追い出した人、という前情報とはまるで別人でした。憎まれ口ばかりで不器用だけれど、家族のことはちゃんと慮っているのがありありと伝わってきましたよ。だからとても不思議でしたね、此処まで考えられる人がどうして、貴方にそんな仕打ちをしたのか」
「……」
「憶測では知りようがないですが、あの人もあの人なりに思うことがあったのかもしれません。今になって貴方を庇おうとした行い、それを受けて貴方が感じたこと、全てを無意味だと切って捨てないで欲しいと思います」
俺も、変わらなくちゃならないのだろう。
白鷺だって変わったんだ。ずっと独りで生きていくと決めていたが、今はこうして共に寄り添っているように。
「あっ」と言うなり彼女は離れ、慌てて弁明するように手をあたふたさせた。
「ごめんなさい、つい! よく知りもしないのに家族間のことを横槍に入れられたら嫌ですよね! すいません差し出がましいことを」
「いや、そんなことない」
今度は俺がぐいと引き寄せた。突然のハグに、天使は「ふぇっ」と素っ頓狂な声をあげる。
「白鷺も家族なんだから、全然言っていいんだよ。むしろどんどん助言して欲しい」
「……元気、出ました?」
「おかげさまで」
愛情表現としてだけでなく、あまり周囲に聞かれたくはない話の為に俺は抱きしめたまま小声で続けた。
「……あのさ白鷺。他にも思ったことがあるんだ」
「今回の騒ぎについて、ですね」
「うん」
そう、偶然俺達が商談をしていた店の付近に現れて、偶然強大な荒魂達が立て続けに三体も出現して、偶然その戦闘中に先日『北斗』に殴り込みを掛けたアインが乱入してきたというのはあまりにも出来過ぎている。
俺が調伏した紫狼も、精霊界から人間界へと引き摺り込まれた果てに荒魂に堕ちてしまった。それは、記憶に新しい事例と重なる。
退学になったライアンと荒魂化した夜兎が瘴気を含んだ召喚石で呼び出した精霊獣達と同じ過程によって併発した現象に違いないだろう。つまり紫狼を筆頭に今日の荒魂達は、自然発生ではない可能性が濃厚である。
「結論から言って、人為的に起こされた物なんかじゃないかな。証拠はないし推測に過ぎないけれど」
誰かが、何かを目的に怪物たちを都市に放った。
それだけじゃない。脅迫を受けたシェークリア家がその襲撃の渦中に巻き込まれたというより、襲わせたのではないだろうか?
そもそもの話だ。ライアン・レイヴェルトが入手したその召喚石の出どころは、未だに分かっていない。あの兎童女から渡ったというのが考えにくいとするなら、別の場所から出回っていると考える方が自然だろう。
きな臭い。思い返すときな臭過ぎる。
「ジルバさんも言っていたけど、アインの動きの早さはまるでこの事態を予期していた上での行動のように思えるんだ」
「乱入してきた彼が所属する『鴉』からは、明確な回答は来ていません。今後も黙秘を通されてしまうでしょう」
英雄崇拝からの挑戦状、『鴉』の奇妙な動き、アインという退魔士、瘴気の召喚石。色んな点が線として繋がりそうな様相を見せている。もう少し、確信に至る為の材料があれば何かが分かりそうなのに。
でも、ハッキリしていることがひとつある。
「それで今後は何事もないのなら良い。でもこれで終わりじゃない、だろうね」
「ええ。これは明確な『攻撃』です。狙いは都市なのか、『北斗』なのか、わたくし達なのか、シェークリアの方々であるのか定かではありませんが」
「うん。挑発と受け取ってもいい。どれであっても、もう許しはしない。やられっぱなしでいるのも、限度があるよね」
そして俺達は挑戦状を叩きつけられている。地下闘技場から『鴉』のアインと相対しろと、大して何のメリットもなく二人の精霊獣をチップに賭けて挑むように呼び掛けられた。
裏社会に関わる気もなかったし応じる必要もないと思っていたが、今や前提が覆った。
この日常を覆そうとする悪意が忍び寄っているのなら、どうすべきか。
「受けて立つよ、白鷺。この日常を守る為に」
病室でゼムナスが休む傍ら、赤いポニーテールを垂らしてベッドにうずくまる少女の背中を見た。すすり泣きが時折聞こえてきて、震えている。
「アリス、白鷺が助けてくれたんだ。しばらくすれば目を覚ますよ」
「…………う、ん」
辛うじて返事が届く。俺もベッドの近くに行った。
一定の呼吸を繰り返す男の前に立ち、いつになく平坦な気分でその寝顔をまじまじと眺める。
やっぱり五十近くになると大分老けた。気苦労があったのは俺だけじゃなくて、そっちにもあったのかもしれない。
こんな風な心境の変化を持つようになるなんて、昨日の俺では思いもしなかっただろう。だからって、このまま許してあげようと思うのは難しいが。
「早く起きて妹を安心させろよ」
意識のない相手に言葉を送り、壁際で成り行きを見ていた狼少女のもとへ。
何も言わず手を頭に置く。撫でられる彼女はされるがままに目を閉じていた。真噛に今してやれることはこれくらいしかない。
「そういえば、もう学校が終わっていると思うけど鈴狐に連絡はまだしてない?」
「ううん。わたし、伝えた」
「じゃ、こっちに?」
「ううん。その前に用事、あるって」
「用事?」
聞き返すと、狼少女は頭に手を置かれたまま縦に動かして「うん」と続けた。
「宣戦布告、だって」




