離別の言葉。屈辱の言葉
※視点が変わります
危惧していた光景の一部が今、実現する。
名前を呼んでも返事の返ってこない男を前に、俺はしばらく硬直したままでいた。
今起きた出来事を理解出来ず、敵を前にして無防備を晒け出している。
依然暴れ足りぬ様子で熊の怪物が吠え猛る。動く物全てに敵意を向けて、目の前にある物全てを破壊し尽くそうとしている。
それどころじゃなかった。
立ちはだかっていた巨影が、突如として大きな風の渦に包まれる。内部の様子が分からない。そんな激しい竜巻は、周囲への被害を最小限に抑えながらその場に滞留した。
「しっかりせい! この足止めもいつまで持つか分からんぞ!? お前、こんなところで死ぬタマじゃなかろう!」
嵐玄が滑るように地面から浮いて駆け付けた。この老亀が裂磨の動きを抑えている。
それどころじゃなかった。
「オイ! おんしも聞いとるんか! こんな非常時に何呆けてとる!?」
「オッオジさん……オジさん、その人し、死んじゃったの……?」
嵐玄には叱咤で身体を叩かれ、後ろで喘ぐ男の子にも呼び掛けられる。
火の鳥が、主を慮るように地を這いながら弱々しく鳴いていた。
それどころじゃなかった。
何で、コイツが、俺の前に……? 何で、俺を危機から遠ざけようとした……?
何で、俺を庇うような真似をしたんだ……!?
込み上げる言葉にならない激情。怒りなのか悲しみなのか悔しさなのか、それすら自分では判断がつかない。
俺は、ゼムナスの容態を見ながら詰め寄った。抉られた痛々しい痕。スーツは血に染まり、か細い呼吸をどうにか繰り返していた。
ようやく、こんな状況で喉を絞り出すようにして口を開く。
「バ……カ、野郎……!」
自分でも何を伝えたいのかも分からず、俺はただ罵った。天朧としての面をなりふり構わず外して、ぐったりとした男を睨む。
「誰が、誰がこんなふざけたこと頼んだっ!? 俺だけなら対処できたのに、余計な真似すんな!」
ありったけ、思いの丈をぶつける。言及する相手は虫の息であるのに、すべきことは他にもあるのに。
「こんな……迷惑なんだよっ、よりにもよって! アンタに庇われるなんて! アンタは俺を憎んで、俺もアンタを憎むべきなのに! こんな後味の悪い死に方するな!」
「……ぁ」
呼び掛けに応えるように、ゼムナスから呻きがあった。辛うじて意識が残っている。
「ああ……疎ましかった、さ。だが……お前は、かつて私に言ったな……私は、今も自分に、負け続けていると」
「……それが何だよ」
「だから……一度きりでも、逆らってみたかった。……自分に、勝つ為に、何かをしようと……な」
フっと、失笑するような吐息を漏らす。これまで俺の前では見せたことのない、柔らかく安らかな表情だった。
「今まで、父親らしいことを、お前に一度たりとも、したことはなかった。……我が家でのお前に対する役割は、あくまで放任した保護者であったこと……。なれば、逆らうのであれば、それまでと……真逆のことを……」
「大きな……大きなお世話だ! アンタがそんな風なことを口にすると、気色悪いんだよ!」
声が震える。
そんなやり取りをよそに、竜巻の結界が解かれた。強引に突き破った裂磨がこっちを狙ってジリジリと迫っている。
「くそう、こんな時に……!」
「キィイイイイ!」
ゼムナスに従う精霊獣達の声。でも、俺はその場から動けなかった。
脅威がそこにいるのに、闘えない。
「……これ以上——ゴフッ、話は、不要だな。行動で既に、示した」
「……ッ? 何を」
「為すべきことを、為せ……一足先に、お前の母に、謝ってくるとしよう。そして最後に……お前にも言っておく」
「よせ……よせ、やめろ。よせ!」
「今まで……すまな、かった。苦労を掛けたな、アルフ」
「——やめろって言っているだろうがッ!」
張り裂けんばかりの絶叫が虚空に響く。
「もう喋るな! 今更、俺の名前を呼ぶなよ! 父親ぶるな! これじゃ、これじゃあ……」
「……フッ、ここまで意趣返しを……出来れば……充分……」
言葉が途切れた。
「……ゼムナス? …………ゼムナス?」
奴の体から力が抜けていくのが伝わった。
やがて、瞼が降り、血の気が引く。呼吸が止まるのが分かった。
「待て……! ダメだ! 此処で死ぬな……バカ野郎……! そんなの絶対許さないぞ! オイ! 聞こえているんだろ!? ゼムナス! ゼムナスッ!」
返事はない。そうこうしているうちに、荒魂は痺れをきらして飛び出した。
「——このぉ、クソ親父ィイイイイイイイイイイ!」
暗雲の下、荒魂の頭上が晴れ渡る。そして突如飛んできた輝く小さな球体が阻んだ。
それに裂磨は弾かれる。
光のベールを脱ぎ、中から純白の大きな翼を広げた幼い少女が姿を現した。さながら天使の降臨だった。
天上位の精霊獣、白鷺は大きな熊の頭と同じ高さに並ぶ。ひと呑みされてしまいそうな体格差にも拘らず、その少女は向き合う。
怪物はそんな神秘的な姿にも構いなく、唸りながらこれまでと同じように攻撃を繰り出す兆候を見せた。
「もう、安らかに眠りなさい」
裂磨が爪を繰り出すより先に、片手を前にする。すると、両者の間に淡い光を放つ壁が生じた。それは、先程天使を包んでいた物と同じ現象だった。
壁は、ただ防衛の為でなく相手を包み込む丸い結界となって裂磨を閉じ込めている。
その中で、怪物は光となって沈黙した。抵抗や苦悶もなく、駆られていた狂気を取り払われて眠るように調伏されていく。
退魔士企業の長はただその地位に座しているだけでなくもっとも退魔の力に秀でており、荒魂に対して無類の強さを誇る。
ものの一瞬で怪物を制した彼女は、地上に降り立ってこっちに来た。
「その方を見せてください」
「白、鷺……」
ゼムナスに手をかざすと、彼女は治癒を始めた。傷口がドンドン塞がっていき、赤いシャツの下には綺麗な肌が再生された。
やがて、心臓の動悸を取り戻した男は汗ばみ、浅い呼吸を絶え間なく繰り返している。顔に血色が戻ったが、未だ青ざめたままだった。
「これで怪我は治りましたが、一度心肺も止まり掛けていただけにショックが大きい筈です。出血も酷かったので、すぐ病院に運ぶべきでしょう」
呆気にとられるほどの奇跡を起こした助け舟に、俺は力が抜けていくのを感じた。
嵐玄達は彼の精霊力の消費による負担を鑑みて中へと戻った。
神々しき人型精霊獣に見惚れていた男の子にも、彼女は治癒の光を頭から振り撒いた。擦り傷程度のものを癒した。
重傷者の治療は既に終え、幾つもの建物が倒壊したこの被害にも拘らず、死者はいないと白鷺は報告する。彼女の早急な手当が功を奏したのだ。
遅れて到着したジルバが現場の後処理を請け負い、その子の親が戻るまで引き取ると申し出た。
そんな状況整理をぼんやりと聞きながら、膝をついてゼムナスを見降ろしていた俺に、隣で天使は言う。
「アルフ、色々この方に思うところはあるかもしれません」
「……俺、は」
「それでも同伴して貰います。貴方にとって、失うべき人ではないのだから」
意志の強い言葉に、俺は内心怯んだ。迷いのない彼女にはきっと、見透かされてしまっている。
唇を噛み、どうにか返事を選ぶ。
「……一緒に連れてってくれ」
「言われなくても、そのつもりです」
翼を最大に広げた白鷺は俺達を包むと天高く空へと舞い上がり、迅速に病院へと運び出す。
※
堅く握り締めた拳を、横合いにあった標識に叩きつける。固い支柱が容易く折れ曲がった。
「クソッたれ……! クソッたれ、クソッたれ!」
悪態を吐き出す彼のもとに通信が入った。
『最後の荒魂は調伏されたよアインくん』
「見りゃ分かんだろわざわざ口に出すんじゃねェ!」
『悔しがることはないさ。天朧がやったんじゃない。『北斗』のボスが直々に動いたんだもの、競争は無効だよ』
「そこじゃねぇだろ……! てめぇも見てたなら分かるだろうが」
歯噛みながらヘルメットを脱ぎ、怒りに身を任せるように投げ捨てる。弾んで転がる音が路面に広がった。
『——ああもう、やめてくれよ。故障したら高いんだよ?』
苦情を無視しながら彼が憎々し気に睨んだ先、眩い光が振ってきた地点から物凄い早さで飛び立つ人影を目の当たりにする。裂磨が先程までいた場所だった。
「あの熊野郎……目の前の俺を差し置いてアイツの方に向かいやがった! 無視しやがった!」
『そんなに腹を立てることかい? 狂暴化した怪物に理性を求めてどうなるのさ』
「裏を返せば本能に忠実ってことだろうが、敵の優先順位に対してな」
『……なるほど』
「あの中でアイツが一番敵だったってことだ……! 腕斬り落としてやったのに!」
あらためて口にしたことで余計苛立ちが募ったのか、折れた標識を蹴り倒した。
無数のサイレンが遠くからこちらに近付いてくる。都市が本来の動きを取り戻し始めた。
『此処は退こう。流石にこの規模の騒ぎになると君といえど面倒だ。その悔しさ、次回に活かすんだ』
「知った口叩いてんじゃねぇよ」
怒り肩で踵を返す彼の背後で『ちゃんと拾ってってよー』と男の声は虚しく風に流される。




